♪3 裏切りと居酒屋
キッチリと施錠までされた室内であるにも関わらず、ヘッドホンのヴォリュームは音が漏れるのを恐れてかなり絞っている。
そして何かにとりつかれたかのように、休みなく曲を作り続けていた。
とんでもないものを手に入れてしまった。
もう止めよう。こんなことをしていてもきっと自分のためにもならないし、それに――、
これは間違いなく章灯さんへの裏切り行為だ。
頭では理解しているものの、自然と指はプレイヤーの再生ボタンへと伸びてしまう。最後にもう一回だけ。そう自分に言い聞かせる。そうやって自分を騙し続けてもうひと月。
まるで中毒だ。
一日の大半を『それ』を聞くことに費やしている。いや、正確にはじっくりと聞いているというよりは常に聞き流しているという状態である。
家での晶の過ごし方といえば料理を作るかギターを弾くかであり、浮かんできたイメージを曲にすることももちろんある。その中にはまだ日の目を見ていないものもあるのだが、それは今後のためのストックとして貯めてある。
しかし、これがその『ストック』に該当するかといえば――……。
「おーい、アキ、飯食ったかー?」
コンコンという控えめなノックの後で聞こえる章灯の声に、晶はぎくりと肩をすくめた。彼に聞こえているはずなんてないのに、やましい気持ちで冷や汗が出る。お互いに探り合うような数秒の沈黙の後、章灯は「――ヘッドホンしてるな、こりゃ」と独り言を呟いて去っていった。
ヘッドホンをしている。それは間違いない。ただ、先述の通りその音はかなり絞られているため、ノックの音も最初の彼の声も、そして最後の呟きもきちんと聞こえていた。その上で――、聞こえない振りをしたのだった。
晶が『それ』を手に入れてしまってから約1ヶ月。
2人の関係は妙にギクシャクしていた。
偶然にも見つけてしまった大量の譜面を、てっきり渡しそびれた自分達の楽曲だろうと、章灯は晶が気まずそうな表情で差し出してくるのをある意味期待して待ち。
晶はというと、隠し事が苦手なのを自覚しているために、いつにも増して無口になった。
始まりはそんな風だった。
しかしいまとなっては、それらが自分達の曲ではなく、恐らく『晶が気に入ったやつ』のために作られたものであるということに章灯は気付いてしまい、晶は譜面を見られてしまった以上、これ以上のボロは出すまいと施錠した部屋に籠るようになってしまった。それでも章灯は努めて明るく振る舞った。そうでもしないと本当に捨てられてしまうのではと怖かったのだ。けれど晶の方では下手に口を開けば溜め込んでいる『秘密』を漏らしてしまいそうで、それを恐れた。どんな話題を振ってもただ頷くだけの彼女に、章灯の心は折れそうだった。
「最近ちょっとおかしくないか?」
「何か悩みでもあるのか?」
勇気を振り絞ってそう尋ねたこともあった。しかしもちろん彼女は首を横に振るばかりで答えない。
何やら必死なその様子にそれ以上追究することも出来ず、それ以降、それに類する問いかけを止めた。
ライブツアーなどこれといって大きなイベントもないのが幸いだった。いや逆に、自分達の音と観客の声に包まれていた方が良かったのかもしれない。
何となく
「
佐伯が案内してくれたのは以前
あまり広いとは言えない店内には、仕事の疲れをにじませたサラリーマン達がそれでも陽気な顔をして思い思いに飲み食いしている。天井からぶら下がるようにして設置されているテレビには野球のナイター中継が流れているのだが、周囲が騒がしすぎて音声はほぼ耳に入ってこない。では誰も見ていないのかというとそういうわけでも無いらしく、ジョッキを握りしめ、やけに真剣な顔をして画面に見入っている客もちらほら見受けられた。
佐伯は席につくなり「とりあえずナマ2つ」と注文し、店員に渡されたおしぼりで豪快に顔を拭ってからそう切り出した。
「何か、かぁ……」
佐伯ほど豪快にではないがつられて章灯も顔を拭いた。そしてそれをきちんと畳み、テーブルの上に戻す。
「今日2回もミスってたもんな。何もないわけ無いよな」
痛いところを突かれて章灯はややオーバー気味に肩を落とす。
「3回だよ……」
正直に申告すると、佐伯は頭を掻きながらガハハと笑った。
「真面目だな、山海は。きっちり数えてたのか」
「だって伝える側の人間だぞ? 本来は1回だって許されないんだからな」
数えるさ、そりゃ。
明らかに消沈している彼の声は威勢の良い若い店員の「ナマ2つ! お待たせしました!」という声でかき消されてしまった。そしてそれらをテーブルの上に置くとすぐさま伝票を取り出し、注文に備える。
「串焼きお好み5点盛りと厚焼き玉子。それから胡瓜の一本漬けにイカの一夜干し。山海、他に何かあるか?」
章灯が首を横に振ったのを確認してから、佐伯は、とりあえず以上で、と締めた。
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