♪13 彼と彼女の耳
「来た……っ!」
小刻みに震え出した携帯のサブディスプレイには『湖上勇助』の文字。章灯は慌てて充電ケーブルを引き抜くと、晶を起こさないよう慎重にベッドから抜け出した。
「もしもし俺です」
「……おう。悪いな、こんな時間になっちまって」
「いえ……。あの………アキは寝ましたから」
「世話かけたな」
「良いんですよ。それより……コガさんは大丈夫ですか」
「大丈夫って何がだよ」
「いや、何となく」
「アキから聞いたのか?」
「アキからというよりは、今日――もう昨日ですけど、ちょっとだけオッさんも来てって……あの……いろいろ聞きました」
「いろいろ、か」
「その………娘さん……『カナちゃん』のことですとか……」
「あぁ……おう……」
「あの、カナちゃんは……」
「ん? もう寝たよ。俺のベッド占領してな。さっきまでアキを――あのイケメンは誰だ、紹介しろ紹介しろってうるせぇうるせぇ」
「ハハ……早速ファンゲットですか、アイツは」
「ほんと大したやつだよなぁ」
「……ん?」
「どうした」
「カナちゃんってアキのこと知らないんですか?」
「そりゃ知ってるわけねぇだろ。アキが俺の『娘』だなんて公表出来るかよ」
「そうじゃなくて。AKIを、ですよ。ギタリストの」
「ん~? いや、私服だったからじゃねぇ? ステージメイクもしてねぇし」
「私服はまだしも、アキは顔が変わるほどのメイクなんてしてませんよ。髪だってあのままじゃないですか。自分でこういうのもアレですけど、女子高生で俺ら知らないってのはまた随分と……」
「言われてみると確かになぁ。お前みてぇに私服だと誰だかわかんねぇってわけでもねぇのにな」
「……アナウンサー一本の時はそうでしたけど、いまは結構わかってもらえるんですからね」
「そうかぁ? そうだっけかなぁ。うーん……うん、ほぉ~お、成る程。うんうん」
「……何すか、その小馬鹿にしたような」
「小馬鹿になんかしてねぇよ。馬鹿にしてんだ」
「もう、コガさぁん! そんなことは置いといて、ですね。明日……ってもう今日ですけど、アキ連れてそっち行きますから」
「そっち? 俺んち?」
「そうです。ちゃんとアキと向かい合って話してください。その方がお互いすっきりすると思うんで」
「まぁ……そうだな。んじゃ、15時過ぎにしてくれるか。俺、ちょっと用事あるからよ」
「15時過ぎですね。わかりました」
章灯との通話を終え、湖上は脱力したようにソファに腰を落とした。ここ数日、彼のベッドとして機能しているそのソファにごろりと転がり、大きなため息をつく。
「成る程、そういうことかよ」
疲れをにじませた声でそう呟くと、両手で顔を覆ってクツクツと笑う。その後で「畜生」とひとりごちた。
『キヨコ』って何だよ、馬鹿野郎。
心当たりが無いわけねぇじゃねぇか。馬鹿野郎は俺の方だ。
ごしごしと顔をこすり、気合を入れて立ち上がる。隣の部屋に行き、自分のベッドで寝息を立てるカナの顔をまじまじと見つめた。長田は耳がそっくりだと言っていたが、自分の耳なんてそんなにじっくり見るものでもない。少し尖り気味で小さめの耳たぶ。そしてカナの耳もまたそんな特徴がある。親父もこの耳だった。
手先が器用で壊れたおもちゃを良く直してくれたり、三味線やピアノも上手い父。そんな父を見て音楽の道を志したと言っても過言ではない。
ただその一方で酒を飲むと非常に質が悪く、年の離れた弟妹達は夜になると父の怒声に怯えたものだ。いつの頃からか酌をするのは湖上の役目になっていて、未成年にもかかわらず飲めと強要されたこともある。初めての酒の味は苦く、どうしてこんなものを旨そうに飲めるのか疑問だった。数年前に肝臓を悪くしてからはきっぱりと止めたらしいが、果たしてどうだか……。
そんなことを思い出しながら自分の右耳に触れる。親父に似ていると言われるのが嫌でピアスを開けまくった。小さな耳たぶではせいぜい3つが限度だったので、軟骨にも開け、右は合計5つ、左は4つだ。いまでは約半分が塞がってしまい、残っているのは右の軟骨のが2つと左耳たぶの3つである。
「くそぅ、明日は早く起きなきゃなんねぇか」
面倒くさそうにそう言って頭をかき、壁時計を見る。
章灯風に言うと、もう『今日』か。
そう思って苦笑した。
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