♪2 お前は誰だ
落ち着こう。
少し落ち着こう。
落ち着いて状況を整理するんだ。
えーっと、本当にここは俺の部屋で良いんだよな?
見慣れたガラステーブルの前に胡坐を掻き、
もしかして部屋を間違えたかと思ったが、家具はもちろん、朝脱ぎ捨てた部屋着までそっくりそのままである。それら全てを同じにしたとすれば、もうそれは病的なファンの仕業としか考えられないが、自分にそこまでのファンがいるとは思えない。
自分を出迎えてくれた少女はというと、何やら楽しそうに流行りの洋楽をふんふんと口ずさみながら料理を温め直している。湖上が手に持っていたコンビニ袋の中身は冷蔵庫にしまわれていた。
「好き嫌いとか、無いよね~?」
こちらを振り返ることもなく尋ねて来るその声に、湖上は「お、おぅ」とだけ答えた。結局『お前は誰だ』とはいまだに聞けないでいる。
「はぁい、お待たせぇ~」
両手に煮物の小鉢を持った少女が満面の笑みでこちらへ向かって来る。
「あと白いご飯とお味噌汁もあるの。運ぶの手伝ってよ。あぁ、あとお箸! 早く早く!」
またしても『お前は誰だ』のタイミングを逃してしまった湖上は、彼女に急き立てられるまま立ち上がり、食器棚にしまい込んであるトレイを取り出して、その上にご飯と味噌汁、そして自分用と客用の箸を置いた。
「我ながら良い出来ぃ~。はい、いっただっきまぁ~っす!」
少女は、ぱぁん、と音が出るほど勢いよく手を合わせた。そして目の前で呆けている湖上を一瞥し「ちゃんと挨拶しないとダメ」と言う。
「いただき……ます……」
彼女に倣って手を合わせ、不承不承そう呟く。すると少女は満足そうに頷いて小鉢の中のにんじんを箸でつまんだ。
得体のしれない少女が作ったものを口にする気になれず、湖上はとりあえず冷蔵庫から出したばかりのビールを開ける。喉はカラカラに渇いていた。
「あれぇ? おかしいなぁ」
にんじんを咀嚼する少女は眉をしかめて首を傾げる。
「ねぇ、思ったより美味しくないんだけど」
そんなことを言われても困る。作ったのはお前だろうに。
純粋に『不思議だ』という顔をしている少女を見て、何だか少しだけ肩の力が抜けた。食べてみてよ、とせっつく彼女に負け、湖上もにんじんに箸を伸ばした。
「あ――……、あぁ、お前、これ出汁ってどうした?」
「出汁?」
「出汁? じゃねぇよ。昆布と鰹節……は見つけられねぇとしても、スパイスのラックに顆粒出汁の瓶があったろ」
「スパイスの瓶、たくさんありすぎてどれかわかんない」
「はぁ? わかんねぇ……って、あぁ、そうか、詰め替えた時にラベル剥がしちまったんだったな。そうか。……いや、それにしたってよぉ」
「煮物ってお醤油とみりんとお砂糖があれば出来るんでしょ?」
「んー、まぁ、そうだな。あとは酒と出汁だ。俺の煮物はな」
「へぇ~」
「母ちゃんに習わなかったのか」
「ママ、忙しいんだもん」
「ほぉ。それは仕方ねぇな」
「調理実習は皆がハンバーグが良いって言うしさぁ」
「まぁ、
「あはは、本当だ。ごめんごめん。明日はちゃんと出汁入れてみるね」
「そうか、頼むな。――じゃねぇ!」
うっかりこの団欒に呑まれるところだったと、湖上は声を上げた。いきなり大きな声を出した湖上に少女は目を丸くしている。
「お前は誰だ!」
やっとそれを言えたことに湖上はとりあえず満足する。少女は箸をぱたんと置き、居住まいを正した。そして「コホン」と可愛らしい咳を1つ。
「えぇーっと、あたしはカナ。初めまして、だよね、『パパ』」
「はぁ~~~~~~~~~~ぁ? パパぁ~~~~~~~~ぁ?」
いきなりみぞおちにぶち込まれた爆弾に、湖上は文字通り飛び上がった。手にしていた椀の中の味噌汁が少し零れたが、それでも落とさなかったのは奇跡といえるだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます