Extra chapter Ⅲ SUMMER FESTIVAL! (2012)

♪1 初夏の憂鬱

 珍しく長田おさだの方から『会えないか』という短いメールを受信したあきらは、一体何があったのだろうと小首を傾げながらも承諾する旨の返信をした。


 オッさんと呼ばれる彼は正に晶の『おじさん』代わりである。付き合いも長く、晶が心を許せる数少ない人間――そして、異性だ。


 そう、異性なのである。


 おまけに長田は既婚者で、勇人はやとという名の息子もいる。

 例えば普通の女性なら、妻子持ちの男性から『会えないか』なんてお誘いがあった場合、もしかしてと身構えるなり、その気があるのならこれはしめたと思うなりするだろう。


 しかし晶はそんなことを微塵も考えない。

 会えるか否かを問われたのだ。自分のスケジュールを確認してみると、今日はどちらかといえば『暇』にカテゴライズされる日であり、断る理由など無い。

 しかし、会うといっても一体どこで、と部屋をぐるりと見渡す。


 少なくとも――、


「ここはダメだな」


 と散らかり放題の自室の中で晶はため息をつく。リビングは共用なので章灯しょうとがマメに整理整頓をしている。髪の毛一本落ちていない――わけではないが、いつも丁寧に掃除されていた。

 とりあえずいつも通りにウチで良いだろうと思っていると、長田から追加のメールが届いた。


『迎えに行く』


 またも随分と簡素なメールである。それはまぁいつものことだから気にしない。


 しかし、一体どこに行くのだろう。


 出掛けるとなると、さすがにそれなりの恰好をしなくてはならないのがメディアに露出している者の辛いところである。

 裏方専門の頃とは違い、いまは顔も名前もそこそこ知れ渡ってしまっているため、最近ではサングラスが必須アイテムになった。初夏の蒸し暑い日だというのに、性別がバレてしまうのを恐れて肌を露出させることも出来ない。結局、男物のシャツにところどころ肌が見えない程度にダメージ加工が施されているジーンズという色気も何もない恰好になる。


 テレビCMで見るようなさらりとしたワンピースを着たくない訳じゃない。

 今年はまた暑くなると聞いたし、案外、女らしい恰好の方が変装になるんだけど、とか。――いや、別に色気づいたとかそんなんじゃなくて!


 晶は誰に対してというわけでもなく大きく頭を振って即座に否定した。


「マキシ丈のワンピースはさ、背の高い女の子が着ると恰好良いんだよ。アキも絶対似合うぞ」


 恐らく自分と同じくらいの身長であろうモデルタレントが、長いスカートをなびかせながら海岸を走るという内容のファストファッションメーカーのCMを見て章灯がぽつりと呟いた。その時は「そうですか」と素っ気なく返したのだが、自室に戻ってからも何となくその言葉が頭から離れず、その日の日付が変わる前にそのファッションメーカーのインターネットサイトにて件のワンピースを購入してしまったのである。

 そしてそのワンピースはというと、いまだダンボールを開けられることもなく、日の目を見る日をいまかいまかと待ちわびている状態だったりする。


 冷えた室内から窓の外を見る。カラカラに乾いたアスファルトをギラギラと照り付ける太陽は高く、それ以上苛めてやるなよとたしなめたくなるほどだった。そんな炎天下をこの恰好で、と思うと多少ひるんだが、他ならぬ長田の誘いを断るわけにはいかない。

 晶は部屋の隅に埋もれているダンボールをちらりと見やり、あれは家で着れば良いじゃないか、と自分に言い聞かせた。


 家から出ると、サウナ風呂のような熱気が冷えた身体に襲い掛かってくる。まとわりつく湿気に顔をしかめつつ、迎えの車に乗り込んだ。

 

 どうしたんですか。

 どこへ行くんですか。


 車内で晶が発したのはこの二言のみだった。

 そしてそれに対する長田の返事はというと、「あぁ」と「おぉ」である。まるで答えになっていない。

 しかし晶は深く追及することをしなかった。ハンドルを握る長田の顔が、様子が、いつもと違っていたから。


 心ここにあらず。


 あぁ、この言葉はこういう時に使うものなのだな。ただそんなことを考え、自分達の音楽が流れる車内で、晶はゆっくりと目を閉じた。



「アキ、着いたぞ」


 その言葉と共に肩を優しく揺すられ、晶は目を開けた。小さい頃から何故か長田の運転だとすぐに眠ってしまうのだ。サングラスを外して目をこする。素顔だとこういう時何も考えずに顔に触れられるのが良い。


「ここは……?」


 まだ半分ぼやけたままで窓を覗き込むと、ここはどうやら住宅街らしい。時間は14時を少し過ぎた辺りで人の通りも無い。そして、この車はある家の駐車スペースに停められている。


「俺んち。久し振りだよな」

「ほんと……久し振りです」


 そう言いながらドアを開けると、まだまだ猛威を振るっている熱気が冷えた身体を取り囲んだ。その温度差に軽く眩暈をし、身体がぐらつく。そうなることを想定してドアを掴んだままで良かったと思った。自分の身体のことは自分が一番良くわかっている。


 ただ、何となく違和感が残った。

 それはいつもならそのタイミングでかけられる「大丈夫か、アキ?」という長田の言葉が無かったためだったのだが、晶はそれに気付かず、ただ首を傾げるばかりであった。

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