♪19 疲労困憊

「疲れた……」


 もちろん飲みの誘いに乗ることはなく、まっすぐに帰宅した章灯しょうとは、うがい手洗いと着替えを済ませた後でソファに身を沈め、安堵の息を吐いた。


 危惧していたマスコミの方はというと、章灯が思っているよりもずっと少なく、移動のために車に乗り込む際に4、5人駆け寄って来た程度だった。それでも一応、自分の口から自分の相棒がプロデュースに携わったために接する機会が増えただけだと伝えることは出来たし、これ以上することはない。


 それよりも彼を悩ませたのは、人の少ない時間帯だったとはいえ、局内で『告白』してしまった明花さやかへのフォローであった。明花への、というよりは、口に出さずとも『いっそくっついてしまえ』『お前どうせ彼女いないだろ』という空気になってしまった局内への、と言った方が良いかもしれない。

 何がどう『いっそ』なのかというアンタッチャブルな部分を器用にスルーし、どうにか二人をくっつけようと画策する先輩アナ達を何とかかわして来たのである。


「お疲れさまでした、章灯さん」


 一足先に帰宅していたあきらもまた心なしか疲れているような表情をしており、騒動の余波を痛感させられる。


「アキ、本当にごめん」


 キッチンへと向かう背中にそう言うと、彼女は首だけをほんの少し彼の方へ向け、「大丈夫です」と言った。しかし、そのトーンからして、ちっとも大丈夫そうではなかったが。


 カナレコ本社から戻ったあの日、彼女はしばらくの間難しい顔をして黙っていたが、やがて、『人は浮気をすることもある』ということに気付くと、はらはらと涙を零した。もちろん、帰宅するまでの車内で、章灯は何度も誤解であると晶に説明はした。それでも、彼女が自分の頭の中できちんと繋がったのがそのタイミングだったのである。


 もちろん冷やかすためだけにやって来た湖上こがみ長田おさだにひとしきりからかわれ、さんざんに打ちのめされた章灯がキッチンに行くと、彼の目に飛び込んできたのは直立不動の姿勢で泣いている晶であった。


「あっ、アキぃっ?!」


 章灯が声を上げると、大男二人は我先にと争いながらキッチンへ駆け込んで来た。


「どうした!」

「アキ!」


 そこにいたのは立ったまま声も上げずに泣いている晶と、身体を丸め、おろおろしながら彼女の顔を覗き込んでいる章灯である。


 お前がアナウンサーじゃなかったら、顔を殴ってるところだった。そう湖上は後に述懐している。


 爽やかな朝の顔がチラついたか、はたまた、晶が悲しむと思ったか、湖上は握りしめた拳を何とか収めた。そして殴る代わりに晶の背中を優しくさすり上げる。湖上がやらないのなら俺がと、恐らくそう思ったであろう長田は握りしめた拳を章灯の脇腹に叩きこもうとしたところで手を止めた。章灯の必死な表情と、同じく必死に『娘』を労わる湖上を見て、その気が削げてしまったのだった。


 結局、野郎3人で彼女を取り囲み、いかに章灯が晶を大事に思っているかということを様々な観点から説明することとなった。途中、湖上から耳打ちで「もう一回プロポーズしろ」という命令が下ったが、さすがにそれはこんな状況で言うことではないだろう。小さな声で「それはあとで」と濁す。

 一体何が晶の心に響いたのか、ようやく泣き止んだところで、男3人はそろって床にへたり込んだというわけである。


 その日の就寝前、章灯はベッドの上で2度目のプロポーズをした。

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