6/4 虫の日・後編

「オッさん見てください」


 かなり密やかにではあったが、興奮を隠しきれないといったトーンで章灯しょうとは自分の背後にいる長田おさだを手招く。


「――お? おいおいすげぇな」


 長田の素直な反応に章灯も上機嫌である。ありがとう、じいちゃん、と心の中で手を合わせた。


 昨晩仕掛けたトラップには大量のカブトムシが掛かっていた。彼らは背後に迫る人間にも気付かず、一心不乱である。

 長田は網を構えていたが、章灯はそれを制した。


「カブトですし、ここは手でいきましょうか」


 そう言って素早く一匹を捕まえる。ほら、と得意気に見せてきたが、正直腹の方はよくよく見ると気持ち悪いな、と長田は思った。

 こうやって虫を捕まえるのなんて数十年ぶりだ、と思いつつ、震える手で一匹を捕まえると、何ともいえない達成感で少しだけ身体が震えた。


 あくまで下見なので、とりあえず『成功の証』として二匹だけを捕獲し、その場を去る。


 テントに戻り、鞄の中から餌のゼリーを取り出してそのかごの中に入れた。

 きっとこれを持ち帰るだけでも勇人はやとは喜んでくれるだろう。けれども、やはり自分で捕まえたら、絶対にもっと喜ぶ。今回のようにキャンプをして、一緒にトラップを仕掛ける、というのも、子どもにしてみればアミューズメントパークに匹敵するほどの大イベントだろう。

 

 ――いや、俺にとっても、かな。

 

 そう思って長田は苦笑した。そう思ってしまうほど、楽しかったのだ。


「あの、オッさん」


 淹れたばかりのコーヒーを勧めながら章灯が問い掛ける。


「何だ、コーヒーくらいは淹れられるのか」


 そう言って茶化すと、章灯は「さすがにこれくらいは」と笑ったが。軽いふざけ合いの後で「サンキュ」と呟きカップに口をつける。6月とはいえ早朝はかなり冷える。有難い温かさだった。


「俺一晩考えたんすけど」

「何だよ。どうした」

「いや、やっぱり昔思い描いてたような生活は出来てないよなぁって」

「お前、真面目だな……。聞き流せよ、そんなん」

「まぁ聞いてください。そもそも、俺、アナウンサーですしね。つっても民放なんで、堅ッ苦しい職場ではないんすけど」

「そうだな」

「飲むのは好きですけど、専ら宅飲みですし」

「そりゃ家にアキがいるしな」


 へっへっへ、とわざと下卑た笑いをしてみたが、章灯は照れたように笑うのみだ。


「もともと女遊びがしたい質でもなかったですし」

「何だよ、お前、ガキの頃からヘタレかよ」

「中学の頃は何か英語がカッケーって思って洋楽聞いてましたけど、向こうのロックアーティストって、私生活もぶっ飛び過ぎじゃないですか。『SEX&DRAG!』ってな感じで」

「まぁ、向こうはな」

「結婚もそれ何回目? みたいな。さすがにそこは憧れられなかったんですよね」

「成る程なぁ」


 確かに、そういうもんなのかもしれない。


 それが章灯だ、と言われればそれまでだが、確かに中学生のガキなら「ヤクに溺れてぇ!」だとか「女優やモデルを片っ端からヤリ捨ててぇ!」よりかは「気になるあの子を落としたい」や「とにかくモテたい」が楽器を手に取る動機だったりするのだ。


「でも、これはこれで結構ロックだって思ったりもするわけです」

「――はぁ?」

「だって、ロックに定義なんてないじゃないすか。型にはまった時点でもうロックじゃないっすよ」


 そこで章灯は自分のコーヒーを啜った。両手を暖めるようにカップを包むようにして持っている。まだ外はほんの少し薄暗い。


「だって俺、アナウンサーなんすよ? 伊達眼鏡でびしっとスーツ着て、ニュース読んでんすよ? なのに、ステージの上でシャウトしてるわけっすよ」


 カップから少しだけ口を放し、ぼそぼそとそう続けた。見るとその口もほんの少し尖らせている。


 ――何拗ねてんだ、こいつ。ていうか、女か? 乙女かよ! お前、千尋のこと言えねぇぞ?


「アキもアキっすよ。あんっなほっせぇ身体であんっなふってぇ音出しやがって。あいつ本当は女なんすよ? ライブ中とか、俺、結構忘れてますからね」


 何か悔しいのか、章灯は小声で「ちっくしょう」と呟いた。


「コガさんなんていかにもチャラ男で女にだらしなかったりする癖に、あれで案外几帳面なトコあったりして。コガさんの車ん中にあるCDケース、見たことありますよね? 気付きました? あれ、きっちりAから並んでんすよ!」

「まじかよ。気付かなかったわ、俺。ていうか、並べるコガもだが気付くお前も怖ぇわ」

「……そんで極めつけは、オッさん、アンタですっ!」

「――はぁ?」


 そのCDは本当に湖上こがみが並べたのだろうか、彼の友人の軽いいたずらという可能性もあるのではないか、などと考えていた長田は、突然目の前に突き出された章灯の指に虚を衝かれた。章灯の方はというと、何だか怒っているような不満気な表情である。


「俺? 俺はいたってフツーだろ」

「そんなフツーがあってたまるかってんですよ」


 不満気にそう吐き捨て、章灯は冷めたコーヒーを一気に呷った。


 ――何だ? そのコーヒー酒でも入ってんのかよ。


「見た目そんなんでごっつい癖に可愛い奥さんに息子さんまでいるし。ステージではあんなバッキバキのドラム叩く癖に、家族思いの良きパパだし。いまだって、勇人君のためにって張り切ってカブトムシ捕まえに来てんすよ?」


 見た目がごついやつは可愛い妻子がいたらダメなのか、バキバキのドラムを叩くやつは家族を泣かせなきゃダメなのか。そう返してやりたいが、何となくそれをためらってしまうのは、彼がものすごくそれを真剣に語っているからである。


「ガキの夢だなんだって、こうなりたいってイメージして、実現させた時点でそれはもう『ロック』じゃないんすよ。ロックなんてやつは両手でこう、ぎゅってやって固めようとしたって、指の隙間からするする漏れてくんですって。だから、俺らを見た人が『何だこいつ?』って思えば思うほど、ロックってことなんすよ」

「型にはめらんねぇってことか」

「そうです。俺はそう思います。そうであってほしいんです。じゃないと、やっててつまんないですよ。いまの自分がロックかロックじゃないかなんて考えながら歌うのも、生きるのも」


 そこまで言い切ると章灯は満足したのか、ようやくニィっと笑って見せた。


 確かにそうかもしれない。


 つい、そうかもしれないと思ってしまうのは、きっとこいつの本職がアナウンサーでしゃべりが上手いからだ。丸め込まれてるんだ、俺は。きっとそうだ。

 でも、いまの自分がロックかロックじゃないかいちいち考えながら生きるのは、確かにちっともロックじゃない。そのことだけは妙にしっくりきた。


 安定の象徴ともいえる持ち家も手に入れた。

 可愛い妻と息子もいる。

 久し振りに合っても久し振りと感じないような友人もいるし、戦友ともいうべき仲間もいる。

 それらは変わらないように見えても、絶えず変化している。人間は年を取るし、家だって老朽化していく。

 咲は、年々母親らしさが増してきたが、それもまた彼女の一つの魅力だし、まだ幼い勇人は一日一日が変化の連続だ。昨日出来なかったことが今日にはあっさりクリア出来たりもする。人間は案外、いつまでも同じ場所にとどまってなどいられない。


 そうだ、松木は「健ちゃんがねぇ」と言っていたのだ。ということは、松木にとって、いまの俺は予想外だったということだ。期待を――という表現が適しているのかはわからないが――裏切ることが出来たと捉えれば、それもまたロックってやつなんじゃないのか。

 

 そこまで考え、長田は、ただの詭弁かな、と苦笑した。急に笑い出した長田に章灯は首を傾げる。


「どうしたんすか? 俺、何かおかしいこと言ったっすかね」

「いや、んなこたぁねぇ。単におもしろかっただけよ、俺が」

「オッさんが?」

「そ。サイコーじゃねぇか。息子のために一晩張り込んでカブトムシ捕まえてよぉ、家帰って咲の飯食って、そんで明日はライブのリハと来たもんだ。マイホームパパとドラマーってな、これまた高低差がありまくりだよなぁ。あーおもしれぇ」


 冷たくなったコーヒーを飲み干し、ちらりと外を見る。空は少し明るくなっていた。

 ふぅ、と息を吐いてから、ふと、沢田の背中に書いた『サイン』を思い出した。あれはあれで価値があるのかもしれない。何せあれは正真正銘世界にたった一つしかないのだから。


 ――それも一興。せいぜい大事にしやがれ。


 長田は再びクックッと喉を鳴らした。



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