2/13 Valentine's Day 前日・後編
数分後、実佳の前に再び姿を現した
「ごめん」
「何か買ってきたの?」
「温かい飲み物」
紙袋からトールサイズの紙コップを取り出し実佳に渡す。
「口に合うかわからないけど」
その言葉で実佳はプラスチックの蓋を少し開け、その隙間から立ち上る湯気の香りを嗅いだ。
「良いにおーい。柚子?」
「うん、柚子茶。温かいのってコーヒーばっかりだったから。それから――」
実佳が笑ったことにとりあえず安堵し、晶は再び紙袋に手を入れた。
「ドーナツ。甘いものは好き?」
取り出したのはココア生地にストロベリーチョコレートがかかったドーナツだった。バレンタインを意識してかハートの形をしており、色とりどりのカラースプレーがたっぷりと振りかけられている。
「大好き!」
実佳は間髪を入れずに即答し、晶はにこりと笑った。
再び並んでガードパイプに腰掛け、仲良くドーナツをかじる。実佳の膝の上には分厚い漢字辞典が乗せられており、砕けたチョコレートの破片がページの隙間に挟まってしまわないよう、ティッシュペーパーが敷かれている。幸運なことにお目当ての字は最上段に載っており、ちらりとその顔を覗かせていた。
「晶君の『晶』っていう字は星の光を表すんだって。明るくきらきら輝く星。それから水晶。晶君の名前を付けた人は、晶君に明るくてきらきら輝いてほしいって思ったのね」
「明るく……きらきら輝く……」
だとしたら天国の母はさぞかしがっかりしているだろう。自分はいままで生きてきて、『明るい』という評価を頂いたことなど恐らく一度もない。きらきら輝くというだけなら、曲がりなりにも武道館を埋めたミュージシャンであるわけだから、一応合格なのかもしれないが。
晶は食べかけのドーナツに視線を落とし、背中を丸めた。
「なぁるほど! ぴったりね!」
一際明るい声が聞こえ、晶は驚いて隣を見た。
「……え?」
晶と視線を合わせた実佳はにんまりと笑い指先についたストロベリーチョコレートをぺろりと舐めた。ドーナツはすでに食べ終えてしまったようだ。
「晶君にぴったりの字ね」
「い、いや自分は……」
明るくなんてない。
きらきらしているのはステージの上だけだ。
「え~? だって晶君、何かきらきらしてるじゃない! 漫画の中の王子様みたい!」
「あ、あぁ、そういう……」
それで納得してしまうのも大概だが、確かに不本意ながらそういった評価であれば良くいただくのである。
「それにわたし、晶君は明るいと思う」
「え?」
「あのね、明るいっていうのはね、例えば声が大きくていっつもアハハーって笑ってるってことだけじゃないと思うの」
「う、うん」
「それじゃただの馬鹿と紙一重よ。嫌いじゃないけどね。晶君はわたしと話す時、ちゃんと目を合わせてくれるし、笑ってもくれる。お星様って、静かに光っているでしょ? 晶君の明るさってそういうことだと思う」
きっぱりとそう言って、実佳は湯気の上がる柚子茶をゆっくりと啜った。
「ありがとう……」
晶が照れたように笑いながら素直に礼をすると、実佳は殊更満足そうに胸を張った。
「ふふん。さっきのため息ついてる晶君もなかなか良かったけど、やっぱりそうやって笑ってる方が恰好良いよ。もう元気出た?」
「え? あ、あぁ、うん。元気出た」
「わたしと話すだけで元気出ちゃうなら、きっとその程度の悩みなのよ」
「……そうかも」
「でもね、わたしも本当はちょっと困ったことになってるのよね。だって明日はバレンタインでしょ?」
振り出しに戻った。
そう晶は思った。いまはすっかりなりを潜めているため息の原因はそいつなのだ。
「わたしの好きな人、急に人気が出ちゃって。こないだの大会で活躍しちゃったのがまずかったのよね」
今度は実佳が大きなため息をついた。
「
負けた……と呟き、実佳はがくりと肩を落とした。
「既製品では勝てない?」
「たぶん。だって気持ちがこもってるでしょ? でもわたし、お菓子なんて作ったこと無いし、絶対上手く作れない。気持ちがこもってれば良いのってみんなは言うけど、だからって焦げたチョコレートを食べさせて良いわけないじゃない」
ぼそぼそとそう話しながら膝の上の辞書をしまい、その代わりにと綺麗に包装された箱を取り出した。中身は説明されるまでもない、チョコレートである。
「あのね、顔はね、まぁ正直特別恰好良いってわけじゃないの。……わたしは恰好良いって思うけど。でも、すっごく優しいし、足も速くて――」
「うん」
優しくて、足が速い。その言葉で
いや、章灯さんは顔だって決して悪くはない。
そんな余計なことまで考えてしまい、晶は顔を赤らめた。
「何で晶君が赤くなってんの?」
「い、いや、別に……」
「それでね、青がよく似合うから、青い箱に入ったチョコにしたんだ」
「うん」
「それにね、青は彼が好きなサッカーのクラブチームの色なんだって。わたし、サッカーのことはよくわかんないんだけど」
「へぇ」
「あと、あまり甘すぎるのは得意じゃないって聞いたから、ちょっと苦いやつにしたの」
「そうなんだ」
「高松屋デパートのバレンタイン特設会場でね。たくさんあるから迷っちゃった。人もすごかったし」
「そうだろうね。ていうか――」
うんうんと頷きながら実佳の話に耳を傾けていた晶は、そこで初めて口を挟んだ。
「気持ち」
「うん?」
「気持ちこもってるよ、充分」
「え? そうかなぁ」
「彼のことを良く見てるし、好みもリサーチしてる。手作りは手作りで良いと思うけど、たくさんあるチョコの中から彼のことを思ってたった1つを選んだんだろ?」
「うん」
「良いじゃないか」
「そ……うかな」
「そうだよ」
「そう……だよね!」
実佳の表情が明るくなり、晶もにこりと笑う。
「君も笑ってる方が良い」
そう言ってから実佳の頭に手を乗せる。
「そろそろ行かなきゃ。付き合ってくれてありがとう」
ガードパイプから降り、軽く手を振ると、真っ赤な顔をした実佳が控えめに手を振り返してきた。
「こっ、こちらこそ! ありがとう、晶君。わたし明日頑張るね!」
「頑張って」
もう一度笑って軽く頭を下げる。その場を去ろうとしたその時――、
「晶君!」
駆け寄ってきた実佳が晶の腕を取った。そしてぐい、と引っ張って腰を落とさせ、顔を近付ける。
「写真、撮って良い?」
「……良いよ」
「ありがとう」
ポケットから取り出したのは子ども用ではないスマートフォンである。家族共用のものなのか、はたまたそういうのに興味がないのか、ホーム画面はごくシンプルな日時表示のみだった。慣れた手つきでカメラのアイコンをタップし、起動させる。どうにか2人の顔が収まるようにと腕を精一杯伸ばすが、実佳の腕の長さではどうしても晶の顔が切れてしまう。
「貸して」
見かねた晶がスマホを取り、さらにぐっと顔を近付ける。さらさらとした髪の毛越しではあったが、頬をぺたりとつけて。
「撮るよ」
カシャ、というシャッター音が聞こえ、やや緊張した表情の実佳と、いつもと変わらない晶の顔が一瞬だけ画面に映し出された。そしてすぐに撮影モードに切り替わる。そうなったのを確認してから晶は実佳にスマホを渡した。
「また会えるかな」
「どうだろう。ここにはたまに来るけど」
「また会えたら、今度は晶君のお話聞かせて」
「話?」
「そう。晶君の好きな人の話!」
「そ……れは……!」
頬が紅潮するのを感じ、慌てて顔を背ける。そうしてから、コホン、と咳ばらいをし、「秘密」と締めた。
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