2/14 Valentine's Day 前編

「これを……アキが……?」


 テーブルの上に置かれた『それ』を、章灯しょうとは凝視している。御丁寧にも両手はきちんと膝の上だ。テーブルを挟んで向かい側には、額に冷却シートを貼ったあきらがソファに寝転んでいる。彼の方を向いてはいたが、照れ臭いのか恥ずかしいのか視線を合わせようとはしない。顔が赤いのはもう言うまでもないだろう。


 彼の問い掛けに対し、晶はかすれた声で「はい」とだけ返す。


 肯定する返事が聞けたところで、彼の両手はやっとそれを許されたかのように膝から離れ、テーブルの上へと伸びる。震える手で持ち上げたのは、本日2月14日に女性から男性へ贈られるもの――つまり、チョコレートである。


 最初にガトーショコラをもらってからというもの、バレンタインといえば手作りだったのだ。だが――、


 落ち着いた紺色の包装紙に水色のリボン。包装紙には金色のごく細い字で『Happy Valentine ¨SWEET SHELTER¨』と書かれている。

 ということは、つまり、今年のバレンタインは既製品なのだった。


 実佳と別れ、憂鬱すぎる打ち合わせを終えた後、疲れた身体を奮い立たせて高松屋デパートに足を運んだのである。

 そこにたどり着いてから、晶はいま自分が男の恰好をしていることに気付き、背中に嫌な汗をかいた。しかし、幸いなことに彼氏とおぼしき男性も何人か紛れており(彼らは皆一様に疲れた表情していたが)、その上、男性アニメキャラクターのコスプレをしている者もいた。これならば何とかなりそうだと胸を撫で下ろすも、長時間滞在したい場所ではない。ライブ時の観客席に降りてしまったかのようにもみくちゃにされながら、どうにか品物を吟味したというわけである。行きよりもずっと重い足取りでデパートを出る頃には19時を回っており、さすがに今日は料理を作る気力も残っていなかった。

 

 既製品だと負ける。


 実佳はそのようなことを言っていた。では、毎年手作りを渡している自分が既製品を渡したら、章灯さんはどんな反応をするだろう。別に手作りをリクエストされているわけではない。ただ単純に、自分にとってはそっちの方が都合が良かったのだ。


 だって材料ならスーパーで買える。よほど専門的な材料が必要なのであればそれなりの店に行かなくてはならないのだろうが、幸いなことに行きつけのスーパーは、案外製菓材料の品揃えが豊富なのである。


 そう、こんなに大変な思いをするのなら、手作りの方がよっぽど楽だ。楽だ――なんて言っちゃ駄目なんだろうけど。


 うんざりするほどの人の波を掻い潜って、あんなに膨大なチョコレートの山からたった1つを選ぶ。頭の中はきっと、ここをうまく泳ぎきることと、『彼』のことでいっぱいなはずだ。じゃないと何時間かかっても見つけられないだろう。

 既製品が手作りに劣るなんて嘘だ。絶対に。


「……章灯さん」

「うん?」

「あの、今年は手作りじゃないわけですが」


 よほど嬉しいのか、はたまた単に珍しいのか、顔の高さまで持ち上げて様々な角度からチョコレートを眺めていた章灯は、彼女の言葉に不思議そうな顔をして頷いた。


「おう、そうだな」

「そういうチョコは明日もまた渡すわけなんですけれども」


 そういうチョコ――つまりそれは『カウンターの王子様』が貰った膨大な量のチョコレートのことで、さすがに晶1人では消費しきれないため、半ば押し付ける形で割り当てているものである。手作りのものは衛生上の問題があるために泣く泣く廃棄するのだが、『turn off the love』のスタッフ(千尋含む)とORANGE RODメンバー(サポートメンバー含む)総出で協力しても、全てのチョコを食べ切るのに数ヶ月を要するのである。この時期は嗜好品であるはずのチョコレートが『ノルマ』となってしまうため、晶の方でもかなりうんざりしながらちまちまと食べている。その後しばらくは「チョコは良いです」などと言うのだが、1ヶ月もすればまた新作のチョコレートを買ってくるあたり、やはり彼女は『根っからのチョコ好き』なのだろう。


「そういやそうだな」

「その……やっぱり嬉しくないですか。手作りの方が良かったでしょうか」


 視線を逸らしたままおずおずと問い掛ける晶をきょとんとした顔で見つめていた章灯は、一瞬の間を置いて吹き出した。


「なっ……、どうして笑うんですか!」


 赤い顔をしてむくりと起き上がった晶を「まぁまぁ寝てろって」と再び横たわらせ、章灯は言った。


「いやー、まさかアキがそんなこと気にするとはなぁって思ってさ」

「そんなこと……ですか?」

「手作りがどうとかってよ」

「いえ、その……。手作りの方が気持ちがこもってるっていう……話をちらりと……」

「――やっぱり。まぁ確かに世間一般の風潮として、買ったものよりは手作りの方が気持ちがこもってる感じはあるな」

「そうですか」

「でも、っつーことは、だ。アキは今回俺に対してなーんの気持ちもこもってないチョコを寄越したことになるんだが――」

「そっ、そんなことは……!」

「無いだろ? だってこれ、そこらのコンビニやらスーパーで買えるようなやつじゃねぇもんな。確か結構人気のあるチョコレートメーカーだろ、¨SWEET SHELTER¨って」

「すみません、知りません……」

「まじか。俺もそんな詳しい訳じゃねぇけど、確か『シャキッと!』のバレンタイン特集で見たんだよな、ここのチョコ。東京でも高松屋か瀬越デパートにしか出店してねぇんだよ」


 詳しくないと前置きしつつも、持っている情報は既に晶のそれを遥かに凌いでいる。


「ということは、アキは高松屋ないしは瀬越のあの恐ろしい特設会場に突撃していって、俺のためにこれを買ってきてくれたわけだ」

「それは……そうです……」

「そりゃ手作りもすっげぇ嬉しいんだけどさ、俺としてはアキがあの地獄のような女の戦場に自ら突っ込んでいったっつーのがもうすげぇ感動なわけ」

「そんな大袈裟な」

「いやいや。コガさんだったら確実に泣いてるぜ。そんでそれを肴に『久保田』あけちまうんだろうな」

「そんな、まさか……」


 とは言い切れない。あの人ならやりかねないのだ。


「誰の影響なのかは知らねぇけどさ、こういうのって手作りがどうとか、買ったからどうとかって関係ねぇと思うけど。肝心なのは誰からもらうか、だし。俺はアキからもらえりゃ本望。そんでもって今回は『あの』アキが、人混みが大大大嫌いなアキが、俺のためにチョコを選んでくれたと! これ以上はねぇって」


 包装紙をいとおしげに撫で、章灯は歯を見せて笑った。そして「あぁそうそう」と何かを思い出したように膝をぽんと叩き、晶のチョコレートをゆっくりとテーブルの上に置いて立ち上がった。


「手作りといえばさ」


 晶は一体何が『手作りといえば』なのかわからず、首を傾げたまま章灯を目で追う。彼は「ちょっと待っててな」と言って自室へと向かった。


 ほどなくして戻ってきた彼の手には小さな手提げの紙袋があった。チョコレートメーカーのものではない。雑貨屋で売っているようなギフト用の紙袋である。


「いやー、まさかあんな時間に張り込んでるとは」

「張り込んでる?」

「今朝、局に入ろうとしたらさ、女の人に呼び止められて」

「……で、それ、というわけですか」


 急に暗くなった声のトーンでわかる。晶は焼きもちを焼いている。が、恐らく本人は無自覚だろう。


「まぁまぁ最後まで聞けって。その人はな、まぁ『引率』だ」

「引率?」

「そ。その後ろにな、小学生の女の子が3人隠れてた。まぁ、丸見えだったけど。朝も早いし、小学生だけでうろつくのは危ねぇって思ったんだろ」

「まぁ……確かに」

「で、真っ赤な顔して『サインください!』って色紙とペン出してくるから、『SHOWの方?』って聞いたんだよな。そしたら、意外や意外。アナの方だったんだわ」

「へぇ……」

「いやー、まさか小学生からアナの方の俺にチョコもらえるなんてって思って、サイン書いて握手して写真撮ってさ」

「さすが気前良いですね」

「そりゃあそうよ。嬉しいじゃねぇか。で、デスクで中見たら、3個中2個が手作りだったわけだ。――ほら」


 そう言って中から小箱を3つ取り出す。恐らく一緒に作ったのだろう、きれいなセロファン紙とラメのついたリボンでラッピングされたものが2つと、明らかに既製品とわかる落ち着いた青の包装紙に黄色のリボンがかかったものが1つ。


「気持ちは嬉しいけど、やっぱり手作りはなぁ。知ってる人からなら良いんだけど」


 至極残念そうに肩を落とす。気前良く写真にまで応じたのはそういった引け目もあったのだろう。その気持ちが痛いほどわかる晶は、手作りの包みを1つ手に取った。中身は辛うじて透けて見える。緩衝材と見られる細い紙の上に、小さなカップに入ったチョコが数個。何か色とりどりのトッピングが施されているようだが、そこまでは見えなかった。リボンには可愛らしいメッセージカードが添えられている。『応援してます! これからもがんばってください』『大好きです!』と。


「……元気出ますね、こういうのは」

「だろ?」


 頬を緩め、照れたように笑う。晶も渡されたチョコレートに添付されている手紙の類いは全て目を通している。大体が似たような文面なのだが、それでも自分を好いていてくれる者からのメッセージというのはやはりどれも嬉しいものだ。


 手作りチョコをテーブルに置き、青い方を手に取る。今日何度も見掛けたチョコレートメーカーの包装紙である。これだけはカードが2つ折りのタイプだった。


「見ても良いぞ」


 その言葉に促され、カードを開く。やはり内容は『がんばってください』や『大ファンです』といったものだった。しかし、それよりも晶の目を引いたのは――、


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