♪106 嘘ではない

「申し訳ありません……」


 白石しろいし麻美子はカメラマンに深々と頭を下げた。


「まぁでも、そういうことなら仕方ないけど……」


 体格の良い人の良さそうなカメラマンは困ったような顔で笑った。


「それでも谷口さんなら、きっとウチのAKIのエロスを引き出せるはずです! 本日はどうかよろしくお願い致します!」


 畳み掛けるようにそう言って、再度頭を下げる。谷口という名のカメラマンは「谷口さんなら」というフレーズに満更でもないような顔をして頭を掻いた。

 くるりと踵を返し、あきらの方へ向き直った麻美子は、片目を瞑って「成功です」の合図を送る。晶は声を出す代わりにぺこりと頭を下げた。


『背中を痛めてしまい病院に行ったが、肌が弱く湿布が貼れないため、塗り薬を処方してもらった。薬が衣装につくと大変なのでやむ無くさらしを巻いている。範囲が広いため、包帯ではカバーしきれない』


 これが章灯しょうとの考えた苦肉の策だった。もちろん信憑性を持たせるために腰痛用の薬も塗っており、近づけば鼻につんとくる香りがする。まぁもっとも、肌が弱くて湿布が貼れない体質なのは嘘ではないのだ。

 うっすらと残っていた鎖骨のキスマークはメイクさんが顔を赤らめながらファンデで隠してくれた。晶とそう変わらないくらいの若い女の子だったが、何を考えているのかは大体想像がつく。


 こんなに残るものだったとは……。


 次からは章灯さんに鎖骨はダメだと言わないとな、と思い、だったらどこなら良いのか、そもそも『次』とは、とまで思考を進めてしまい、今度は晶の方が赤面した。


 落ち着け、いまの自分は『男』なんだから、と自分に言い聞かせる。



「何とかなったか?」


 晶から撮影終了のメールが届き、返信ではなく電話をかけてみる。


「お陰さまで」


 やや疲れたような声ではあったが、まだ余裕はありそうでホッとする。


「白石さんの迫真の演技の賜物です」


 そう言って晶は少し笑った。


 何だ、まだまだ元気じゃねぇか。


「もうすぐ俺も合流するからな」


 午後からはTREE RECORD渋谷店でのインストアイベントがある。章灯は局を出て電車に飛び乗った。平日は電車通勤のため、晶が迎えに来られない時は電車移動なのである。アナウンサーモードのままであれば意外と気付かれないもので、それは助かるのだが、それはそれでちょっと寂しいものがある。アナウンサーの方でも頑張らないとな、と思ったりもする。


 晶が待機しているホテルの一室に入ると、予想通り、ベッドに腰掛けて控えめにギターを鳴らしている姿が目に入った。


「お疲れさまです、章灯さん」


 メイクも衣装もばしっと決まっている晶がにこりと微笑むと、いまは『男』であるはずなのにどきりとした。


「章灯さんの衣装、そこに掛けてあります」


 視線の先にはハンガーに掛けられている派手な衣装があった。ヘアメイク等はTREE RECORDに着いてからしてもらうことになっているので、ここでは着替えだけだ。


「さーて、ちゃっちゃと着替えるか」


 そう呟いてジャケットを脱ぎ、ズボンに手を掛けたところで、ゴホン、と控えめな咳払いが聞こえてくる。


 そうだ、アキがいたんだった……。


「悪い悪い。俺、トイレで着替えてくるよ」


 衣装をつかみ、そそくさと立ち去ろうとしたが、晶は首を振った。


「ちょっと飲み物買って来ますから、出来ればその間に」


 そう言って、すたすたと部屋を出ていった。


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