♯7 blackout

かおる……? いま……何つった……?」


 湖上こがみさんのライブツアーが終わり、久し振りに向かい合って夕飯を食べていた時のことである。


「ここを出ようかな、って言ったの」


 目を丸くして驚いた表情のまま固まっている彼を一瞥して、私は静かに箸を置いた。


「ここを出て、どうするんだ……?」

「1人で住むの」

「別に、ほぼ1人みてぇなもんじゃねぇか。毎日顔を会わせてるわけでもねぇんだし」

「だったら、私がいなくても支障ないでしょう?」


 そう言って、食べ終えた食器を持って立ち上がった。彼はもごもごと「支障なんて……」と言っていたが、無視して続ける。


「それに、私がいない方が、彼女も連れ込めるんじゃない?」

「彼女なんて、いねぇよ」

「まだ母さんのこと、引きずってるの?」

「別に、そんなんじゃねぇけど」


 湖上さんはそう言うと顔を背けてビールを呷った。


あきらは湖上さんに似たのね」

「――は?」

「晶も湖上さんも『別に』と『YES』がイコールなのよ」


 ふふふと笑ってキッチンへ行き、シンクに食器を置いた。


「湖上さん、明日の夜は家にいる?」

「ツアー明けだし、特に仕事は入ってねぇなぁ。さすがに休ませろってんだ。――んで? 何だ?」

「じゃ、恋人を紹介するわね。明日ここに連れてくるから」


 さらりとそう言う、湖上さんは明らかに、またか、というような顔をした。大方、『コレで一体何人目だ? まぁ、俺も人のこと言えねぇけど』などと思っているのだろう。


「おう。じゃ、俺、『お前みてぇなやつに娘はやらん』ってぶん殴る準備しとくな」


 そう言って、残りのビールを一気に飲んだ。



 ***


「初めましてぇ~、お義父さんっ。小林千尋でぇ~すっ」


 にこにこと笑いながら郁が連れてきたのは、どこからどう見ても『女』だった。


「郁……? お前……、そっちの趣味があったのか……?」


 ああ、だから、『男』とは長続きしなかったのか、と妙に湖上は納得した。

 頭では納得しながらも、身体の方はそうはいかなかったようで、湖上は口をぽっかりと開けたまま固まっている。

 その姿を見て、郁はくすくすと笑っている。目の前の可愛らしい女の子もまた、郁と一緒に笑っている。


「湖上さん、千尋は『男』よ」


 その言葉で示し合わせたように千尋がかぶっていたウィッグを外す。


「はい、俺、『男』で~すっ」

「は……?」


 湖上はまだ状況がつかめず、口を開けた状態のまま郁と千尋を交互に眺めた。


「ごめんなさいね。湖上さんなら良いリアクションしてくれると思って。一応、千尋は男の恰好で来る気だったのよ? だから、悪いのは全部私」


 郁がにっこりと笑ってそう言うと、「そんなん言われたら殴れねぇじゃねぇかよ」と湖上は脱力した。


「お義父さぁ~ん、郁ちゃんのこと、絶対絶対ぜ~ったい幸せにしますねっ」


 千尋は湖上に抱き付き、胸に頬をこすりつけた。


「ちょ、離れろ! てめぇ! 男とわかったら途端に気持ち悪いな、コイツ」


 うんざりした顔で千尋をはがす。


「いや~ん、お義父さん、たくまし~い!」

「その『お義父さん』は止めろ! 第一、結婚なんてまだ許さんぞ! このひょろガキ!」

「え~っ? 私ぃ、お金なら持ってるしぃ~?」

「――は?」

「千尋はね、不動産会社の跡取り息子なんですって。私もそれを知ったのはさっきなんだけど」


 郁はすたすたとキッチンへ向かう。おそらく、お茶を淹れるのだろう。


「まだ修行中だからぁ、継いではいないけどぉ~。私名義の不動産何個か持ってるからぁ、それだけでも、まずまず暮らしていけるっていうかぁ~」

「金も大事だけど、そういう問題じゃねぇよ!」

「じゃぁ~、どういう問題なんですかぁ?

 千尋は首を傾げて上目づかいで湖上を見つめる。


「……郁は俺の大事な娘だ。血は……繋がってねぇけど。だから、安心して任せられるって判断出来るまでは許さん」


 湖上は千尋から顔を背け、拗ねたような口調で言った。


「じゃ、駆け落ちしかないわね」


 そう言いながら、トレイの上に麦茶を3つ乗せて郁が歩いてきた。


「か、駆け……っ!? おい!」


 思わず声がうわずる。


「ウソよ。千尋、私にプロポーズもしてないのに。順番が逆なんじゃないかしら?」


 郁は目を細めて千尋をにらむ。しかし、千尋はそんな風ににらまれることに慣れているのだろう。一向に気にしていないようだった。


「えへへ~。外堀から埋めようかと思ったんだけど~。でも、郁ちゃんのことは絶対幸せにしますよ、安心してね、お義父さんっ」


 そう言って、湖上にウィンクをした。ばちん、なんて音まで聞こえてきそうな長い睫毛で。


「郁、本当にコイツが良いのか……?」


 湖上は床に胡坐をかいて冷えた麦茶をぐいっと飲んだ。頭に血が上っているのか、顔が熱い。どうにか内側から冷まさないと。


「もちろんよ。この人とは全部済ませたから」


 郁も麦茶を手に取って、ごくりと一口飲んだ。


「は? 全部……って……?」

「あら、ちゃんと言わないとわからない? 湖上さんなら伝わると思ったのに」


 グラスを持ったまま首を傾げてにこりと笑った。


「わかるけど……。だって、お前いままでそれで振ってきたんじゃ……」

「それだけ、千尋は特別ってことよ」

 

 目の前が真っ暗になるというのは、こういうことを言うのか。


 湖上は言葉を失い、手に持っていたグラスがつるりと落ちたことにも気付かなかった。


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