♪45 久保田=ヒレカツ+グー太

「もう一度、サビからお願いします」


 コントロールルームにいるあきらから指示が届く。マイクを通しているためか抑揚のなさが強調され、事務的を通り越して機械音声のようにも聞こえた。


 世田谷にある『STUDIOスタジオ VANESSAヴァネッサ』のブースの中で、一体これで何回目だろうと章灯しょうとはため息をついた。

 さすが自ら厳しいと言うだけあって、なかなか晶からのOKは出ない。


 最近人前で歌ったことのある『POWER VOCAL』の方は、その時を思い出すことでクリア出来た。あの時のギラギラした負けん気のような感情が良い仕事をしてくれたらしい。

 ここ数日の鬱状態が功を奏したのか、『Tender Tune』についても切ない感じが出ていて良かったらしく、これもそこまで難儀はしなかった。

 問題は軽快なポップチューンの『ORANGE morning』である。詞が出来たのが昨日だったこともあり、章灯は、まだ自分になじんでいないように思えてならないのだった。

 精一杯明るく歌って晶の反応を待つと、「一度休憩しましょう」という返事に、またダメだったかと肩を落とす。



「――どうぞ」


 晶は章灯にペットボトルを渡す。常温のミネラルウォーターで喉を潤し、一息ついた。


「喉、大丈夫ですか?」

「伊達にしゃべる仕事してねぇよ。喉は強い方なんだ」

 

 そう言ってまた一口飲む。


 そこそこ広いレコーディングスタジオ内には晶と章灯の2人しかいない。番組で某ロックバンドのレコーディングにお邪魔したことがあるのだが、その時はもっといろんな人がいた。晶にそれを指摘すると、デビューシングルについては完全シークレットとのお達しがあるために、ミキシングやマスタリングは後日に行う予定らしい。晶はさまざまなアーティストに楽曲を提供しているので、そのうちの1組のものだと言って作業するつもりのようだ。


「章灯さんは、身体に力が入りすぎなんです」

「力?」

「『明るく』って歌ってますよね」


 ズバリ当てられ、背中に嫌な汗をかく。


「だってそりゃ、明るい曲だしなぁ」

「……やっぱり」


 晶はため息をつくと、紙コップのカフェオレを一口飲んだ。


「明るく明るくって真面目に考えすぎなんです。『WAKE!』の時の営業スマイルみたいなもんです」

「営業スマイルって……。まぁそうなんだけど」


 たしかに『WAKE!』での笑顔は、全部が全部というわけではないものの基本的には『営業スマイル』である。


「『アナウンサー山海やまみ章灯』的思考を捨てて下さい。いまの章灯さんは『ORANGE RODSHOW』なんですから」

「アナウンサー的思考、かぁ」

「章灯さんは、その時求められているものを察してそれらしく振る舞うことが上手すぎるんです。テレビではそれで良いかもしれませんが、歌にははっきり表れてるんですよ。それが『上辺だけ』だって」


 冷めたような目でそう言われ、どきりとする。



 こいつは何で音楽に関してはこんなに鋭いんだ。普段はあんなんなくせに。



「章灯さんにも『スイッチ』があれば良いんですけどね。コガさんの『久保田』みたいな」


 晶は頬杖をついてブースに視線を移した。


「何だよ、その、コガさんの『久保田』って……。あの人まさか飲みながら録ったんじゃねぇだろうな」

「まさか。いくらコガさんでもさすがに飲みはしませんよ。でも、よっぽどの時は目の前に置いたりはします。とにかく、そういうのがあると楽なんですよ。何かないですか?」


 ため息交じりにそう言うと、頬杖をついたまま章灯の方へ顔を向けた。


「そんなこと言われてもなぁ」


 章灯が眉をしかめ腕を組むと、晶は後ろのソファを指差し「座ってください」と言った。


「たとえば、何か好きなものですとか。食べ物でも、食べ物に限らずとも」

「好きな食べ物は……ヒレカツ……とか……かな……」

「では、今晩はヒレカツにしましょう」

「まじ? やった! あとそうだなぁ、好きなものは……実家で飼ってる犬とか」

「犬ですか。どんな犬ですか?」


 章灯はふふふと笑って尻ポケットから携帯を取り出すと、笑顔で晶に待受け画面を見せた。


「すっげぇ可愛いだろ? グー太っていうんだ」


 差し出された携帯の画面にはドアップのパグが写っている。笑っているのか大きな口を開けて、舌を出していた。


「可愛いですね。『グー太』というのは、章灯さんが?」

「俺じゃねぇよ、親父が付けたんだ。グーみたいな顔してんだろ」


 そう言って握りこぶしを作って見せる。


「成る程。次回のレコーディングの際にはグー太君の取って置きの写真を拡大したパネルを準備しましょう」


 晶は手帳を取り出し、ペンを走らせた。スマートフォンを持っている割に、こういうところはアナログなのである。


「あと、章灯さんが得意なこととか、そういうのはどうですか」

「得意は、掃除、とか」


 そう言ってちらりと晶を見ると、一瞬困った顔をしてから「それ以外で」と言った。


「えーっと、ああ、俺走るのは得意だな。ずっと陸上やってたんだ。短距離の方だけど」

「陸上やってたんですか」


 晶は顔を上げて意外そうな顔をした。


「何だよ、そんなに意外か? アキはどうなんだよ。お前なんかスポーツやってなかったのか?」

「……やってたように見えますか?」

「いや……あんまり見えない……かな。学生の頃は部活とかやってなかったのか?」

「吹奏楽をやってました」

「やっぱり音楽系か。楽器は? 吹奏楽にはギターなんてないだろ?」

「コントラバスをやってました」

「コン……ト……何?」

「……ウッドベースですよ。ヴァイオリンのいちばん大きいやつです」

「お前は……吹奏楽でも弦楽器なのかよ」


 呆れたようにそう言うと、晶はふふっと鼻で笑った。


「フルートやクラリネットってガラでもありませんから」

「その頃から『アキ』だったんだな。でもトランペットとかサックスなんかは似合いそうだけど」


 膝の上で頬杖をつき、待受けのグー太を見ながら言う。やっぱり最高に可愛い、と思わず頬が緩む。


「……どっちもやってたんですけどね」


 ふぅ、とため息をつきながら、晶がぽつりとこぼした。何やら遠い目をして。


「――へ?」

「いえ、こっちのことです。それより」


 そう言って立ち上がると、「どうですか、少しはリラックス出来ましたか?」と言った。


「――え?」


 そう言えば、少し肩の力が抜けた気がする。晶なりに気を遣ってくれたらしい。


「それじゃ、再開します」


 晶はブースを指差した。

 へいへいと言いながら立ち上がってブースへと移動する。


「章灯さん、一度、歌詞間違えても良いので目を瞑って歌ってみてください」

「良いけど、ほんとに間違えまくると思うぞ」

「構いません。ここにはカメラも何もありませんから、周りのことを一切考えないでください」

「……わかった」

「じゃ、サビから。いきますよ」



「――はい、OKです。お疲れさまでした」


 労っているのかわからない抑揚のない声が聞こえ、章灯はその場にしゃがみ込んだ。


「終わったぁ~」


 時計を見るとすでに6時である。11時にここへ来て、途中何度か休憩は挟んだものの、7時間もココに拘束されていたのかと驚愕した。

 のそのそとブースから出ると、晶は何やら機材をいじっている。機械音痴ではないものの、さすがにこれらは何が何やらわからず、すげぇなぁ、と手元を凝視する。視線に気付いた晶がちらりと章灯を見た。


「もう少し待っててくださいね。すぐに終わりますから。帰る仕度しててください」



「お疲れさーん」


 家主が不在であるはずの家に灯りが点いていても最近はまったく気にならなくなってきた。

 晶から鍵を借りたらしい湖上こがみ長田おさだは我が物顔で宴の真っ最中である。


「オッさん、何だか久し振りですね」


 鞄を下ろしながらそう言うと、持っていた『歌う! 応援団!』の単行本を脇に置いて駆け寄り抱き付いてくる。


「何だよ章灯ぉ~、寂しかったのかぁ~?」

「ちょ、暑苦しい……」

「あ、オッさん! ずるいぞ!」


 そう言って湖上も負けじと章灯に抱き付いた。


「何これ? 何これ? アキ、助けて!」


 でかい男達からの熱い抱擁を受け、必死に助けを求めるも、晶はそそくさとキッチンへ向かい「ご飯作りますから。今日はヒレカツです」と言って逃げた。


「そんな。アキ、薄情過ぎる……」



 いつものように早々に晶がダウンしてから、レコーディング中からずっと気になっていたことを湖上に尋ねる。


「コガさん、今日アキが学生の頃に吹奏楽やってたって聞いたんすけど」

「――ん? おお。ウッドベースだろ?」

「そうです。でもその前は違うのやってたんですか?」

「アキが言ってたのか?」

「いや、ちょっと濁してたんですよ。何かあったんですか?」


 真剣な表情で湖上のグラスに『久保田』を注ぐ。長田はずっと『歌う! 応援団!』を読んでいる。どうやら気に入ったようだ。


「んー、まぁ……。いや、そんな大したことじゃねぇんだけどな」


 そう言って日本酒をちびりと飲むと、長田が本から目を離さずに「部がパンクしたやつだろ?」と答えた。


「――は? パンク?」


 目を丸くして驚いている章灯を見て、湖上はクックックッと肩を震わせた。


「アイツはイベントごとに入部希望者を釣り上げちまうんだよな。――で、アキ目当ての入部希望者が殺到したんだよ。最初はトランペットでな。でもそんな強豪校でもねぇのに20本も30本もあるわけねぇだろ」

「そういうもんなんですね」

「で、仕方なく、自分からサックスに転向したんだ。そしたら――」

「もしかして……」

「そのもしかして、が起きたんだよなぁ。それでもサックスは音域でいろんな種類があるから何とかなるかと思ったみたいなんだが。アキの使ってるテナーサックスがやっぱりいちばん人気でなぁ……」

「トランペットもサックスも見せ場が多いし、目立つからな。アキの恰好良さも三割増しよ」


 長田が合いの手を入れる。


「で、そのウッドベースになったんですか」

「まぁ、それも目立つっちゃ目立つんだけど、背が低かったりすると結構厳しい楽器だからな。それで断念する子が多かったみたいで。それにそん時にはもう3年だったしな」

「そういうもんなんですね」

「で、アキの恐ろしいところはな……」


 長田がやっと本を脇へ置き、ニヤリと笑って顔を近付ける。


「な、何すか……」

「――そこ、なんだよ……」

「じょ……っ!? ……いや、でも何でしょう、何となく入部希望者が女子な気はしてました。その分だと、ラブレターとかも普通に貰ってそうですね」


 はははと笑いながらも、心の中で「完全に負けたな」と思った。


「ラブレターは……日常茶飯事だったな。バレンタインとかもフツーに貰ってたし」


 湖上は当時を思い出しているのだろう、遠い目をして日本酒を飲んでいる。


「そうそう。俺、毎回そのおこぼれを貰ってたもん」


 長田は笑いながらコーラを飲む。


「でも不思議なもんでな、かおるの方はそういうことねぇんだよな。むしろ、他校の男子生徒から告られてたりしてさ。郁は早々に彼氏連れて来てたからなぁ」

「どっちかっつーとアキの方が優しい顔してんのに、不思議だよなぁ」


 長田がそう言うと、湖上も「そうそう」と乗っかる。


「郁の方がちょっときつい顔の美人なんだよな。不思議だよなぁ」



 アキの方が優しい顔って……、そうだったっけか。逆じゃないのか?



 一度しか会っていない郁の顔を思い出そうとしても、化粧をした晶の顔しか浮かばす、章灯はあきらめて手持ちのギネスを呷った。

 

 

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