♪46 カウンターの王子さま

 1月20日に撮影したプロモーションビデオが出来上がったとサンプルが届けられたのは、世の男性がそわそわする2月14日のことである。


 かくいう章灯しょうとも、ご多分に漏れず、何となく朝からそわそわしていた。

 いや、何だかんだ毎年局の女子社員からは、一目で『義理』とわかるようなものを貰ってはいる。それでも、今年はその中にもしかしてと思うものが混ざっていやしないかとほんの少しだけ危惧しているのだった。


 章灯は主が運良く席を外している隣の席を見る。クリスマス(厳密には12月23日だったが)に告白めいたものをされたが、特にあれから何もない。



 いや、あってもそれはそれで困るんだが。

 あん時はまさかアキに惚れるなんて思ってなかったからなぁ――……。



 ため息をついてデスクの上に肘をついて顔を覆う。


「先輩、どうしたんですか」


 後ろの席の木崎きざき康介が心配そうに顔を覗き込んで来る。木崎は明花さやかの同期で、俳優顔負けのルックスでここ最近人気を伸ばしている男子アナだ。



 いっそ木崎君とくっついてくれれば良いのに。



 そんなことをふと考えてしまい、嫌なやつだと自己嫌悪に陥る。


「何でもないよ、ちょっと考え事」

「もしかして、バレンタインだからっすか? 先輩モテますもんね」


 にこっと笑い、両手でハートマークを作る。こういう仕草がまた可愛いのだと女子社員に好評だが、本人がそれを自覚してやっているのかは不明である。


「モテないよ、俺。つうか、木崎君の方がモテるでしょ」


 力なく笑うと、木崎は急に顔を近付け声を潜め、ここだけの話ですけど、と前置きし、「絶対、みぎわは先輩のこと好きっすよ。見ててわかるんすよ、俺」と耳打ちしてきた。

 そんなのとっくに知ってるよとも言えず、「まさかぁ……」と笑ってみせた。




 仕事を終え、果たして晶はチョコをくれたりするのだろうか、などと思いながら玄関を開ける。さすがにこの時間は湖上こがみ長田おさだも来ていない。



 ていうか、アキもいねぇな……。車はあるけど、靴がない。



 うがいと手洗いをして着替える。もしかして、と思いながら冷蔵庫を開けてみるが、チョコの香りはおろかそれらしいものもなかった。

 やはり、バレンタインは晶にとって『貰う日』であって『あげる日』ではないのかもしれない、と、がっかりして扉を閉めた。



「晶さん、すみません。毎年毎年……」


 紗世はカウンターに座る晶に何度も頭を下げた。


「良いんです、もう諦めました。これで少しでも店の売り上げに繋がるなら……」


 そう言いながらも晶はすでにげっそりと疲れた顔をしている。


 カウンターの裏には段ボールが設置されており、中には本命と思しきラッピングのチョコレートが大量に入っている。そして、恐ろしいことにその段ボールの側面には②と書かれてあった。つまり、二箱目、ということである。


「そう言っていただけると……」


 紗世はいつもの数倍の客がいる店内を見回し、ため息をついた。


「すみません、これ下さい……」


 顔を赤らめたOL風の女性が、その雰囲気にはそぐわないごつめのペンダントトップをレジへ置く。


「ありがとうございます。お包みいたしましょうか」


 紗世が笑顔で応対すると、その女性はお願いしますと言い、無表情で座っている晶をちらりと見てすぐに下を向いた。


「お待たせいたしました。ありがとうございました」


 そう言って紗世が品物を渡すと、鞄の中から綺麗にラッピングされたチョコレートを取り出し、真っ赤な顔で「あの、これ……」と晶に手渡す。晶はそこでやっと微笑み「ありがとう」と言って受け取るのである。


 10時の開店から現在まで何十回と繰り返されたこの一連のやり取りにうんざりとしながらも、受け取る一瞬の笑みだけは絶やさない。中には買った商品をそのまま晶にプレゼントしようとする者もおり、さすがにそれは辞退した。ただ、普通に断ると相手が可哀相だというかおるの助言により「気持ちは嬉しいけど、君に身に着けてほしい」という気障きざな一言を添えなければならなくなったのだが。それもまた憂鬱である。


 

 章灯から「PVが届いたんだけど、お前どこにいるんだ」という電話がかかってきたのは4時のことである。


 明らかに疲れた声で「店にいます」と言った晶を心配した章灯が『turn off the love』に行くと、以前来た時とは違って大盛況の店内に驚く。


「あら、山海やまみさん」


 落ち着いたBGMをかき消すような嬌声の中で、にこりと笑う紗世にホッとする。


「どうも……。今日はまた随分繁盛してますね」


 そう言うと、紗世は少し困ったような顔をしてカウンターを指差す。そこにいたのは、ちょっとうんざりした顔で座っている晶である。そして、その前には、数人の女性が列をなしていた。


「おー、アキ。珍しいな、接客ですか?」


 のん気な声で尋ねると「接客ではないんです。見ていればわかりますよ。――あ、すみません」と言って、紗世は客が待つレジへと向かった。

 言われた通りにしばらく見ていると、成る程、そういうことかと納得する。



 この様子だと、しばらくチョコは見たくないかもしれないな。



 カウンターの客が去ったタイミングで晶の元へ行くと、しゃべる気力もないのか、軽く会釈をするのみだった。


「紗世さん、アキ結構限界っぽいですけど……」

「そうなんです。本当に申し訳なくて。似ているからと店長に代わっていただいたりもするんですけど、やっぱりほとんどの方に気付かれてしまうんですよね」


 紗世は大きくため息をついた。


「大丈夫です。今日は5時半で閉店なので」


 弱弱しい声で晶が呟く。


「5時半?」


 時計を見ると5時を回っている。あと少しではあるが。


「毎年、バレンタインの時は晶さんの体力を考えて、閉店時間を早めているんです」

「お前……、毎年やってんのかよ、コレ……」



 これまでメディアにはほとんど露出していなかったって話だから、ここではただの店員なんじゃないのか? いや、デザイナーっつー肩書きだったはずだし、そんな頻繁に顔出してないはずだろお前! いや、どちらにしてもおかしいって! このでかでかと②って書かれた段ボールとか!



 端から見ても限界とわかる状態ではあったが、何とか閉店時間まで役目を果たし、紗世がシャッターを閉めると同時に晶はカウンターに突っ伏した。


「終わった……」

「お疲れさま」


 後ろのドアが開いて赤いカップを持った郁が晶に労いの言葉をかける。


「あら、山海さん。いらしてたんですね」

「どうも」


 軽く会釈をして郁の顔を見つめる。たしかに言われてみれば、少し目元がきつめの顔立ちだ。



「山海さん、車ですか?」

「――え? あ、ああそうですけど……」

「良かった。申し訳ないんですが、晶を送っていただけますか? 私達はこれの開封作業がありますので」


 郁はそう言って、カウンターの下にあるチョコを指差す。


「それはもちろん。……って、開封作業って何ですか……?」

「その名の通り、ラッピングを剥がして、手紙等に連絡先があれば『お返しリスト』に入れたりですとか、あとはもう単純に危険物がないかのチェックですとか」

「きっ、危険物って……!」

「大丈夫ですよ。これまでに爆発物とかはありませんでしたから。ただ、中にはファンを装って嫌がらせをしてくる方もおりますので」

「そしたら郁さん達が危ないんじゃ」

「千尋がいますから」


 そう言って、ドアを指差す。おそらく中にいるのだろう。こういうイベントならいちばん騒ぎそうだが、さすがにこの状態の晶には気を遣っているのだろうか。それとも、今日は『男』なのか。


「大変ですね、毎年やってるんですよね」

「いちばん大変なのは晶ですよ」


 郁は突っ伏したまま動かない晶の肩を軽く叩いた。



「アキ、しんどいなら今日は弁当でも買うか」


 助手席でぐったりとしている晶に声をかけると、さすがに疲れたのだろう、無言で頷いた。

 章灯は全国チェーンの弁当屋『HOT・MORE』の駐車場に車を停め、ドアを開けてから晶に声をかける。


「俺買ってくるからさ、ハンバーグ弁当で良いか?」


 好物である『ハンバーグ』という単語で少し元気が出たのか、少し笑って「はい」と返す。

 ロースカツ弁当とハンバーグ弁当を持って車に戻ると、晶はすぅすぅと寝息を立てていた。なるべく静かにドアを閉め、ゆっくりと発進させる。家まではもう少しだが、このわずかな時間でも休ませてやろう。

 

 家に着くと案の定リビングに灯りが点いており、駐車スペースには長田の車が停まっている。長田が1人で来ることはまずないので、湖上も来ているのだろう。

 車を駐車スペースに停め、助手席側のドアを開けて晶の肩を軽く叩く。


「アキ、着いたぞ、起きろ」


 肩を軽く叩いて起こす。


「コガさんとオッさんも来てるぞ」


 晶はまだ半分寝ぼけているような顔をしていたが、ドアから吹き込んでくる冷たい風にぶるりと身震いをした。

 まだふらふらしている晶の手を引いて家に入り、「コガさーん、オッさーん」と声を上げると、バタバタと音を立てて2人が玄関に駆け込んで来る。


「おー、お帰り。今年もお役目ご苦労さんだったな、アキ」


 湖上は上がり框で身を屈め晶の頭を優しく撫でる。


「アキ、だいぶ疲れてるんで運んでやってください」


 章灯はつかんでいたアキの右手を湖上に託す。


「何だよ章灯。お前が運べば良いじゃねぇか」


 長田が意地悪そうな顔で笑う。


「2人に花を持たせてあげてるんですよ。それに、俺にはお2人の靴を揃えるっていう重大な任務がありますからね」


 嫌味っぽく返してみたが、この2人には痛くも痒くもないらしく、「成る程」と言って、湖上は晶の手を引いた。



 晶は弁当を平らげると早々に部屋へと引っ込んでしまった。余程疲れていたのだろう。


「いや、マジで毎年大変だよなぁ、アキは」

「でもアイツ毎日店にいるわけでもないのに、何であんなことになるんですかね」


 章灯が缶ビールを飲みながら不思議そうにつぶやくと湖上がニヤリと笑う。


「――口コミの恐ろしさを知らねぇな?」

「アキはなるべく客の少ない時間を狙って行ってるはずなんだけどな、見てるやつは見てんだよ」


 ほんと、あのモテっぷりを少し分けてくんねぇかな。そう言って長田は笑った。


 確かに少しなら分けてほしい。でも、全部はきつい。


「そんなわけだから、毎年アキからのバレンタインは2月15日って決まってんだよ。安心しろ」


 そう言いながら湖上に背中を強く叩かれ、咳き込む。


「――ゲホッ……! 安心って……!?」

「え? がっかりしてたろ、アキが部屋に引っ込んだ時」


 不思議そうな顔を並べて、2人がじっと見つめてくる。


「べ……つにっ! チョコなんて局の子達から貰いましたし!」


 顔を背けてそう返すと、2人は一度顔を見合わせ、同時に下を向いた。


「オッさん、聞いたか? いま……」

「聞いた聞いた。って言ったよな、こいつ……」

「てことは1個じゃねぇんだもんな……」

「やっぱり全国区のアナウンサー様は違うよなぁ……。オッさん、誰から貰った?」

「咲と、宅配でウチの母ちゃんから」

「アンタまだ奥さんいるから良いよなぁ、俺なんてカナレコの受付の姉ちゃんからカウンターに置いてある徳用チョコだぜ……?」

「ちょ、ちょっと、お2人さん……?」


 切なすぎるやり取りに思わず口を挟む。


「……なーんてな!」


 湖上のその一言で2人が同時に顔を上げた。


「んなわけねぇだろ。俺らだって最近はメディアに露出してるんだぜ? ちゃーんとファンの子から貰ってるっつーの!」


 そう言って長田はニィっと笑う。


「何だぁ……。あんまり切ないこと言うから、本気で焦りましたよ」


 脱力して俯くと、湖上はガハハと笑い「来年はアキに負けんなよ」とまた強く背中を叩いた。


 

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