♪40 CHAOS in Living

「アキ!」

「大丈夫か?」

「――――!!?」


 リビングへのドアに手をかけたところで、晶が開けるより先に扉が開き、血相を変えた中年2人が飛び込んで来た。湖上こがみに至ってはあきらの姿を見るなり抱き付いてくる始末である。


「ちょ、ちょっと……、コガさん? あの、オッさん、コガさんどうしたんですか?」


 長田おさだは強く晶を抱き締めている湖上の背中をさすり、うんうんと頷きながら「アキ、ちょっとだけこうさせてやれ」と言った。


「はぁ……?」

「2人とも、俺の存在は完全無視なんですね。アキのことは随分熱烈に歓迎するのに……」


 いつものように脱ぎ散らかされた2人の靴を揃えていた章灯しょうとが立ち上がると、「何だ、章灯いたのかよ」と晶の肩に顔をうずめていた湖上が顔を上げた。


「……そりゃいますよ。つうか、2人とも、アキに何か言うことないんすか」


 そう言いつつ、晶の身体ごとぐいぐいと2人をリビングへ押し出す。

 長田は湖上から離れ、湖上は晶にくっついたまま後ろ歩きでリビングに入った。

 3人がリビングに入ったことを確認して、章灯もそれに続き、晶の身体から湖上を剥がす。


「ほーら、コガさんもオッさんもまずはアキをよーく見てくださいって。どうですか! この『女』になったアキは!」


 得意気にそう言うと、化粧をしていることを思い出して恥ずかしくなったのだろう、晶は顔を赤らめて下を向いてしまった。


「あ、コラ、ちゃんと顔上げろって!」

「アキ……、俺は……もう、感無量だよ……」


 湖上はその場に胡坐をかき、俯いて首を振っている。


「俺も。はぁ……、何だか泣きそう。ダメだな、年々涙腺が緩くなっちまって」


 長田はそんな湖上の肩を抱き、右手で顔を覆った。


「えぇ――……? コガさん、オッさん、そんなに……?」


 予想以上の反応に章灯と晶は戸惑いながら顔を見合わせた。


「アキ、大丈夫か? 痛いところはないか……?」

「痛いところですか? そう聞かれると……足……ですかね……。なのでちょっと座っても良いですか?」


 そう言って、晶はソファに移動すると、すとんと腰を下ろす。


「足……?」

「章灯……?」

「ああ、ちょっと俺もこういうの久し振りで飛ばし過ぎて……アキのペースを無視しちゃったっていうか……ってええ?」

「てめぇ! アキのペースを無視ってどういうことだ!」


 顔を真っ赤にした湖上が章灯につかみかかった。


「無理やりか! 貴様ァ!」


 長田もそれに続く。


「え? え? 確かにちょっと最初は無理やりではありました……けど……?」

「こンの野郎! アキは初めてっつったろ? 優しくしてやれってあれほど……!」


 いつものじゃれ合いとは明らかに違う様子に晶が慌てて仲裁に入る。


「ちょ、ちょっと、2人共どうしたんですか?」

「止めるな、アキ。こいつ、ヘタレかと思ったらとんだ食わせ物じゃねぇか! なんてお前に酷いこと……!」

「コガ……さん……っ! 章灯さんは、酷いことなんて……してませんよっ! 離……れて下さい……って!」


 必死に湖上を引っ張るが、女の力でどうにか出来るものでもない。


「オッ……さん! オッさんも……っ、離れて……下さい! 章灯……さん……、酷いことなんて……、してません、から……っ!」


 そう言いながら長田の身体も引っ張るも、やはりびくともしない。


 慣れない靴で歩き回った疲労に加え、大男を力いっぱい引っ張ったところで体力に限界が来たらしく、晶はその場にへたり込んでしまった。

 視界の隅から晶の姿が消えたことに気付いた章灯が「アキ!?」と何とか声を上げると、湖上と長田も異変に気付いたようである。章灯から離れ、後ろで蹲っている晶を囲んだ。


「アキ、おい、大丈夫か?」

「立てるか? とりあえずソファに」


 湖上と長田は2人がかりで晶を慎重に持ち上げ、壊れ物を扱うがごとくゆっくりとソファに横たわらせた。


「……ちょっとめまいがしただけです。お2人が章灯さんにあんなことしたからですよ。どうしたんですか、一体……」


 やや血の気が引いた顔ではあったが、きつく睨まれてこれは自分達のせいだと言われると、大男2人は正座をしてうなだれた。

 章灯はわけがわからず、2人から少し離れた位置に胡坐をかく。


「だってよぉ……。章灯がアキのペースを無視とか、無理矢理とかって言うからよぉ……」


 母親に叱られている子どものように、湖上は口を尖らせて拗ねたような声を発した。


「もう……。最初はどうあれ、結果としては良かったですよ。ちょっとまだ恥ずかしいですけど……」


 背中を丸めてしょんぼりしている湖上に、晶は呆れた顔をしながらも優しく話す。


「アキ……そんなに章灯をかばうなんて。――ん? アキ……?」


 口元を押さえていた長田が晶の顔をじっと見つめて固まった。


「どうしました?」


 眉をしかめ、真剣な目で自分を凝視する長田に晶は怪訝そうな顔を向ける。


「お前……顔……。――おい、コガ! アキが『女』の顔になってるぞ!」


 そう言って、背中を丸めて下を向いていた湖上の肩をつかんで揺する。


「何だよ、アキが『女』の顔になったのはもう充分わかったよ……」

「違うって! そっちの意味じゃねぇよ! 良いから見ろって!」

「何だよぉ……」


 やはり拗ねたような声でそう言って、しぶしぶ顔を上げ、晶を見つめる。


「……うん?」

「――な?」


 不思議そうな顔をしている湖上とは対照的に長田は満面の笑みだ。


「え~? アキ、めっちゃ可愛い~。女の子みた~い!」


 長田はさっきまでとはまるで別人のように相好を崩している。


「確かに……。めっちゃ可愛い……じゃねーか! おい! どーなってんだ、コレ! 章灯! てめぇ!」


 湖上はそう言って、勢いよく章灯の方を向いた。その剣幕に肩がぶるりと震える。


「だから……、言ったじゃないですか。アキが『女』になったって」

「はぁ? じゃお前、アキが『女』にって、そういう意味かよ!」

「紛らわしいんだよ! 貴様!」


 2人はそう言いながら、膝歩きでずりずりと向かってくる。


「ちょ、何すかぁ!」




「……大体なぁ、章灯の言い方が紛らわしかったのが悪いんだ」


 すっかり冷めきったピザをレンジで温め直し、だいぶ回復した晶の向かいに座った湖上はふてくされたように言った。


「そうだそうだ! アナウンサーの癖に! 事実をありのままに伝えろ~!」


 長田がそれに乗っかり、茶化すように拳を振り上げる。


「だって……そう思ったんですもん……。アキ、『女』の顔になったなぁって。事実をありのままに伝えたじゃないですか」


 今度は章灯が拗ねたように言う。


「お前、処女アキが『女』の顔になったっつったらもうアレしかねぇだろうよ!」


 晶がいるため、湖上は何とかオブラートに包んでそう表現したが、それはほとんど破れてしまっている。


「んで、章灯が『久し振り』のデートで『飛ばし過ぎて』、『アキのペースを無視して』ガツガツ歩かせたから、慣れないヒールで『足が痛い』っていうオチだったとはな」


 長田が力なく笑いながらピザにかぶりつく。


「『無理矢理』フルメイクさせて、な」

「何か……すみません。たかだか私の化粧で大事にしてしまって」


 アキはしょんぼりと湖上の炊いた赤飯を口に運んでいる。


「いや、アキは良いんだ。可愛いから! しかし……、ここまで変わるとはなぁ……」


 湖上はまじまじと晶の顔を見つめた。


「でも、アキの発言もなかなかだったぞ」


 長田はニヤニヤしながら晶と章灯を交互に見つめた。


「『最初はどうあれ、結果としては良かったです』ってよ。勘違いした俺らも悪いけどさぁ、会話が成立してんだもんなぁ……」

「会話が……成立……とは?」


 晶はきょとんとした顔をしている。疲れで頭が回っていないのか、はたまた本当にわからないのか。21という年齢を考えれば、後者はまずあり得ないと思うのだが。


「まぁ、それはさておきだ。章灯、ごめんな。ちょっとトーチャン頭に血が上っちまってなぁ……」


 そう言って湖上は章灯に頭を下げた。


「俺も! ごめんなぁ、お前が俺らの可愛いアキに酷いことをしたかと思って……」


 それに続いて長田も深々と頭を下げる。


「ちょ、ちょっと、頭を上げてくださいよ。俺もアナウンサーの癖に言葉足らずですいませんでした!」


 章灯が慌てて頭を下げると、「私も、何か、すみませんでした……」と晶も頭を下げたが、男3人は同時に顔を上げて「アキは良いから!」と叫んだ。




「いやー、でもさぁ、ちょっと残念な気持ちはあるんだよなぁ。いよいよアキも大人になったかと思ったのに……」


 晶が部屋に戻ると、話題はまたふりだしに戻る。湖上はすっかり出来上がった顔でため息交じりに言った。


「章灯、コガはな結構前から飲んでるからな。めんどくせぇぞ、絶対」


 長田はこっそりと章灯に耳打ちする。


「つうかさ、お前はあんなアキを見て何とも思わねぇのかよ」


 日本酒の入ったグラスに口をつけ、目を細めてじっと見つめられ、どきりとする。


「思……わなくはなかった……ですよ……、俺だって……」


 伏し目がちにそう答えると、1人素面の長田が身を乗り出してきた。


「じゃ、キスくらいはしたんだろ?」

「……してませんよ」


 してはいないが、したくはなった。艶めいていた晶の唇を思い出し、耳が熱くなるのを感じる。

 それを見て湖上はニヤニヤしながら日本酒を注ぐ。


「……何か怪しいな」

「顔赤いぞ、章灯」


 2人は章灯の心を見透かすように、目を細めてじっと見つめてくる。その視線に耐えきれず、章灯は大きくため息をついて白状した。


「すっ……げぇしたかったですけど、こらえたんですよ! 俺だって、あんなアキ見たらやばいですよ!」


 そう言うと2人から顔を背けた。


「へへへ……。やーっと白状したなぁ、章灯」

「でも、そこでこらえるのが章灯だよなぁ」


 湖上はニヤニヤしながら新しいグラスに日本酒を注ぎ、章灯の前に置く。章灯は口を尖らせてそのグラスを持ち一気に飲もうとして、翌日の仕事を思い出し、舐めるようにちびりと飲んだ。


「……しちゃったら、止まんなくなりそうだったんですよ」

「止めなきゃ良いじゃねぇか」


 胡坐をかいた膝の上で頬杖をつき、首を傾げながら長田が言う。


「初めてってのを抜きにしても、俺がしたいってだけで手なんか出せませんよ、アキには」


 ふてくされたようにそう言って、またちびりと飲む。


「『相棒』だからかぁ?」


 長田は顔を斜めにしたまま、ニヤリと笑った。


「相……棒……だからってのも、ありますけど……」


 章灯はグラスを置き、目を伏せた。


「ほほぉ。それ以外の理由っつーのが聞きてぇんだけどなぁ?」


 湖上はニィーっと笑って顔を近づけてきた。


「なっ、何だって良いじゃないすか! 俺、明日早いんで寝ます!」


 そう叫んで立ち上がり、勢いよく頭を下げると、逃げるように自分の部屋へ駆け込んだ。

 リビングに残された中年2人は肩を震わせて笑いをかみ殺している。


「ほんと、罪な女だよなぁ……」

「ああいうのも『魔性の女』って言うのかねぇ……」




 ベッドにごろりと転がる。

 顔がほてって熱いのは、舐めた程度の日本酒のせいなのか、それとも……。


「惚れちまったら、簡単に手なんか出せねぇっつうの」


 ぽつりと呟き、アラームを確認してから目を閉じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る