♪31 はじめてのおつかい
「ショウ! なぁ、こっちのはどうだ?」
「勇助、アッちゃんに黒はねぇだろ……やっぱこういう薄ピンクだよなぁ?」
それでもサングラスをかけ、いつもとは違う呼び方をしているのは一応、メディアに出ている者としての配慮らしい。そこまでの配慮が必要なのか、章灯としては疑問だったが。
「もう本当に……俺は何でも……」
章灯はぐったりとした表情で2人を見つめた。
騒がしい3人(実際は2人)を見かねた女性店員が、営業スマイルを貼りつけて声をかけてくる。
「お客様、どういったものをお探しでしょうか」
「――お? ああ、あのねぇ、こいつが彼女に下着を贈りたいって言うんだけど、なーんか恥ずかしいみたいでね」
「ちょ、コ……勇助さんっ!」
「そうそう、別に男が下着選んでも良いですよねぇ? 松田さーん」
逆側から
「もちろんです。彼女さんのサイズと、それから好きなお色ですとか、ご予算ですとか……」
店員はこの奇妙な3人組に対しても決してスマイルは崩さない。さすがプロ、と言ったところか。もしくは意外とこういう客は多いのかもしれない。
「えーとね、サイズは……アンダー? っつうのが、70で、トップ? が83だったかな。んでさぁ、予算はまぁこだわらないから、丸々1週間分欲しいんだよなぁ」
「それでしたら、Cの70ですね。1週間分……と言いますと……7枚になります。ショーツはどうなさいましょうか。ブラジャーとセットのものもございますが……」
――C? Cカップってもっと大きいと思ってたんだけど……。あんなもんなのか……? 前の彼女は……まぁ――……、デカかったからなぁ……。
そんな章灯の思いをよそに、湖上と長田は松田という名の女性店員を囲んで
「わかりました。では、こういったものはいかがでしょう」
そう言って松田が勧めてきたのは胸の形が綺麗に見えるタイプ、薄着でも服に響かないシンプルなタイプ、それからデコルテに綺麗な谷間が出来るタイプをそれぞれデザイン違いで3種類ずつ持ってきた。
おそらくどちらかが、赤が好きだと言ったのだろう、松田が持ってきたものはほとんどが鮮やかな赤いブラジャーだった。
確かに晶は赤が好きだし、持っているギターもすべて赤ではある。けれども、だからといって赤い下着が似合うかといえば、それはまた別の話だ。全くイメージが出来ない、というか、ほんの数日までは『男性』だったわけだし、見たのだってさらし姿である。
「うーん、
「……だな。好きな色が似合うとは限らねぇってことだな……」
どうやら、それに関しては2人も同感だったらしい。
「そうですか……。普段はどういったお色をお召しになっていらっしゃるんですか?」
「おい、ショウ、ぼけーっとしてんじゃねぇぞ。アッちゃん、普段どんなの着てるってよ」
そう言って湖上が章灯の脇腹を肘で突く。
「……いてっ! いや、勇助さんだっていつも見てるでしょうよ!」
「ばぁーか、お前のが見てんだろ! どうなんだよ」
「普段……は……、だいたい黒っぽい……ですね。黒とか、グレーとか、深緑とか……とにかく暗めの色で……明るい色って、真っ白いシャツくらいで……」
……そんで、たぶん、男物を着ています。
という部分は心の中にとどめた。
「あら、そうなんですね。では、下着も暗いお色にしてしまうよりは、明るめの……こういったものはいかがでしょうか」
そう言うと、松田は近くに掛けられていた水色のセットを3人の前に出す。
「成る程……。こういうのは有りだな」
大男2人は身を屈めて真剣に水色の下着を凝視している。
「もしくは、こういった、スモーキーなピンクですと、いかにもっていうピンクよりは抵抗なく身に着けられる方が多いんですよ」
松田も乗ってきたのだろう、水色のセットを長田に持たせると、小走りで少し離れたところからややくすんだようなピンク色のセットを持ってきた。
「お、良いじゃん! コレ!」
「あとはですね、ちょっとわたくしのと言いますか、女性側の意見になりますけど……」
そう前置きした上で、ベージュのセットを取り出す。
「あまり男性には喜ばれないんですが、ベージュのセットはあると便利です」
「便利とな?」
2人はすっかり松田を信頼しているようで、前のめりになっている。
「ベージュは、透けにくいんですよ。先ほど真っ白いシャツをお召しになるとお聞きしましたので……。ただ、男性からは、その……おばさんくさい、と言われてしまうのですが……」
「成る程なぁ。個人的には白いシャツから黒い下着が透けてるのなんてたまんねぇけど、アッちゃんにはそんなのさせらんねぇよなぁ」
長田が腕を組んでしみじみと言うと、湖上もたしかに、と同調する。
「おい、ショウ、お前の意見はどうなんだよ」
気付かれた! せっかく気配を消していたのに! このまま何となく2人で決めてくれないかなぁって期待してたんだけど。
どきりとして、思わず首をすくめる。
「いや……、俺は……何でも……」
「何でも良いわけねぇだろ! アッちゃんが脱いだ時にどれを着けてたらお前は盛り上がるんだよ!」
「ちょちょちょちょ! ちょっとぉっ!?」
「ショウ、おやっさんのOK出てんだぞ? こんなケース滅多にねぇぞ?」
「いや、だから、健さんまで!」
「では、ごゆっくり。何かあればお申し付けください」
長くなると踏んだのだろう、松田は笑顔で丁寧に頭を下げると、別の客の元へ向かった。
周りに人がいなくなったのを確認して小声で話す。
「コガさん、俺は別にアキに対してそういうことをするつもりは……」
「わーかってるって。でも、男女のことなんて何が起こるかわかんねぇだろ?」
「それに万が一アキがそういう事態になるって考えたら、相手はお前くらいしかいないしな」
「なっ、何でですか」
「あの出不精でコミュ障のアキがお前以外の男と会うとは思えん」
「それは……たしかに……そうでしょうけど!」
「何だ、お前、ウチの娘じゃ不服だってのか? アレか? こないだのカワイコちゃんと出来てんのか?」
「不服って……。それに、
「あっ、お前こないだまで『汀さん』だったのに! てめぇ! もうヤッたのか!」
「ヤッてませんって! 毎日まっすぐ帰ってるでしょうよ! ……ちょ、皆見てますって!」
声こそヴォリュームを落としてはいたが、端から見ればどう見てもカツアゲ現場だ。
いや、女性下着売り場でカツアゲって、どういう状況だよ……。
見られていると気付いた2人は姿勢を正し、周囲に愛想を振りまいた。
「とにかくだ。俺はお前にならアキを託しても良いと思ってる。公私共にな」
「……俺も。アキが作った曲を聞けばわかんだよ、お前はだいぶ愛されてるよ。ま、お前っつーか、お前の声を、だろうけど」
何やら真面目なトーンで言われ、章灯は気持ちの置き所がわからず、はぁ、と言うしかなかった。
「しっかたねぇなぁ。松田さんが持ってきたんだ。この中のならどれでも勃つだろ」
湖上は小声で呟くと、「まっつださぁーん」と松田に向かって手招きをする。
松田が持ってきたブラジャーの山から水色とスモーキーピンク、ベージュのセットを含めて適当に7つ選ぶと、さすがに赤の物は水色や薄いクリーム色(松田はエクリュとか言っていたが)などに変えてもらったが。
支払いをカードで済ませると、こじゃれた紙袋を章灯に持たせて肩を強めに叩く。
「――ほい、次行くぞ」
「次? 終わりじゃないんですか?」
下着が詰まった紙袋は軽いのに、何だかずしりと重たく感じた。
「アイツ、女モンの服ってぜんっぜんねぇんだよなぁ~」
そう言いながら、女性用のショップに飾られたマネキンのコーディネートをチェックする。
「服まで買うんすか?」
うんざりした声で章灯が言うと、長田が楽しそうに笑う。
「お前、こんなんで根を上げてたら女と買い物なんて行けねぇぞ」
「……少なくとも、アキは俺のことつれ回したりしないと思いますけどね」
いじけた口調でそう言うと、「わっかんねぇぞ? 行ったことねぇけど」と長田はまた笑った。
結局、すべての買い物が終わる頃には章灯の持つショップ袋は5つに増え、時刻は6時を過ぎていた。湖上の車の後部座席でぐったりとしていると、そういえば、と冷蔵庫の中のスイーツを思い出す。
一応『食え』って書いた付箋は貼っといたけど、アイツ、気付いたかなぁ。
そう思って、すっかり存在を忘れていた携帯を尻ポケットから取り出すと、メールを受信していたらしく、お知らせランプが点滅していた。
件名:ありがとうございます
本文:ちょうど糖分を欲していたので、遠慮なくふたつともいただきます。
受信時間は3時28分になっている。だいぶほったらかしてしまったが、どうせもう帰るから良いか、と携帯を畳んだ。
「お、章灯。せっかく携帯出してるなら、アキにいまから帰るって連絡しろ」
運転席からルームミラーごしに視線を合わせた長田が言う。その隣では湖上がぐぅぐぅといびきをかいて眠っている。
どうして自分の車なのに運転させてるんだ、この人は……。
そう思いつつ、「わかりました」と返して電話をかける。
数回のコールの後、いつもと変わらない低めのテンションの晶の声が聞こえてくる。
「もしもし」
「――お。起きてたか。いまから帰るけど、何か買ってきてほしいものあるか?」
「そうですね……」
ごそごそという音がして、しばらく沈黙が流れる。おそらく、これは冷蔵庫の中を確認しているのだろう。
「章灯、章灯」
控えめな声で長田が話しかけてくる。どうしたのだろう、とミラーごしに視線を合わせると、「ケーキは何が良いか聞け」と言う。
ケーキ? まぁ、年末だしなぁ。食っても良いだろう。
そう思い、ごそごそという音のみが聞こえる電話の向こうに問いかけてみる。
「アキ、ケーキは何が良いかって、オッさんが」
「ケーキ? あ――……、じゃ、チョコレートの……。出来れば、中にバナナが入っていないものを、と伝えてください」
「おう、チョコな。――ん? バナナぁ?」
章灯が不思議そうにそう叫ぶと、長田が左手でOKサインを作って笑いながら「はいはい」と言った。
「あとは、さすがにおせちは無理でしたが、ちょこちょこつまめるようなもの作りましたので、各自のお酒だけお願いします」
「作りましたって、お前、寝てないとダメだろ!」
「もう治りました。熱も下がりましたし、喉に来ていないところをみると、たぶん風邪ではないです。ご迷惑をおかけしました」
自分でも今回の発熱が風邪ではないことに気付いたようである。
「まぁ、それでもあんまり無理すんな。俺らが戻るまでちょっと座ってろ」
「もう座ってますから、ご心配なく」
「……どうせ小脇にギター抱えてんだろ?」
「毎日弾かないと腕が落ちます」
「そうなんだろうけど……。まぁ、良いや。とにかくそこから動くな。弾いてても良いけど、あんまり激しいのは止めろ。じゃ、切るぞ」
晶の返答を待たずに電話を切り、携帯を畳むと、運転席で長田がクックッと笑いをかみ殺している。
「……何すか?」
「いや、お前、コガよりお父さんっぽいなぁって思ってさ」
ハンドルを切り、洋菓子店の駐車場に車を停めた。
「ちょっと待ってろ。チョコでバナナが挟まってないやつだな」
そう言い、ドアに手をかける。
「あっ、オッさん! ケーキ代くらいは俺に出させてください!」
慌てて財布を取り出し、万札を渡す。
「おま……これは多いだろ……。まぁでもありがたく使わせてもらうわ。ちゃんと釣りは募金してくるから心配すんな」
「え? ちょ……」
「ウソウソ」
そう言って笑いながら、車内に章灯と湖上を残してケーキ屋に入って行った。
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