♪30 今年の×××、今年のうちに

 ゴウンゴウンと唸り声をあげて、洗濯機が稼働している。あきらのシーツと自分のシーツを洗い、いまはカーテンの脱水中である。終了まであと1分。

 水回りはいつもこまめに掃除をしているので、換気扇だけで良いだろう。羽を外し、洗剤に浸した。その隙に家中の窓を拭く。電気の傘も忘れずに、だ。


「忘れるところだった……」


 人目につきやすく汚れやすい割に忘れられがちなインターフォンを、章灯しょうとはだいぶ黒くなった雑巾で丁寧に拭く。これで拭き掃除は終了である。

 リビングに戻ると、晶の着替えを持った湖上こがみが笑顔でそれを手渡してくる。


「ほらよ、脱ぎ立てホヤホヤ」

「そういう言い方止めてくださいよ」


 章灯は呆れ顔でそれを受け取る。


「良いんですか、可愛い娘の脱ぎ立てを俺に託して」

「章灯はヘタレってわかってるからな。……いや、待てよ。お前むっつりだったか……? 嗅ぐなよ?」


 眉間にしわを寄せ、気むずかしい顔でじっと章灯を見つめる。


「むっつりって……。知りませんよ、俺。ていうか、嗅ぎませんし」


 そう言いながら洗面所に向かい、洗濯かごの中に放り込んで両手を上げた。

 

 一昨日まで男だと思ってたやつの脱ぎ立ての衣服を見たって、何とも思わないっつーの。第一、全部男物じゃねぇか。


 ぶつぶつと言いながら、洗濯機の中のカーテンを取り出す。濡れたままだが、かけているうちに乾くので乾燥機には入れない。空いた洗濯機に洗濯かごの中の衣類を入れる。これが終われば洗濯も終了だ。

 カーテンをかけ終えると風呂場に行き、予め撒いておいたカビ取り剤をシャワーで流す。お湯でしっかりと流した後は水をかけた。


「換気扇もそろそろ良いだろ」


 そう呟いてキッチンへ向かうと、長田おさだがゴム手袋をはめて換気扇の羽を洗っている。


「オッさん! 良いですよ、俺、やりますから!」

「コガはアキの看病だし、章灯は大掃除だし、俺だけ何もしねぇってのもな」


 そう言って長田はニヤリと笑う。


「俺、こう見えても結構掃除は得意なんだぞ? 高いとこなんかは俺の担当だしな」

「そりゃ、それだけ身長あればそうでしょうね。190くらいあります?」

「さすがに190はねぇなぁ。188……だったかな。嫁さんが150しかないから余計にな」

「身長差38cmですか……。コガさんもでかいですよね」

「コガは185っつってるけど。まぁ俺らブーツ履くことが多いからなぁ……」


 この2人に囲まれたら、身体の厚みも相まって、180ある章灯でもだいぶ小さく見える。晶なんかは物凄く小さく見えてしまう。男になりきれないと言っていたが、それはこの2人のせいも少なからずあるのではないか。まぁ、女と思えばでかい部類なのだろうが。


 すっかり綺麗になった換気扇をセットし、コーヒーを淹れて一息つく。


「年末だな……」


 つまらなそうに次々とチャンネルを変えながら長田が呟く。


「良いんですか? 家に帰らなくて」

「何だ? 俺は邪魔なのか?」


 長田はわざと寂しそうな表情を作った。


「いっ! いえ! そういう意味じゃなくて……。奥さんと息子さん寂しいんじゃないかなって……」

「あー、良いんだ。さっきメールでこのまま実家で年越しするって来たから」


 実家、というフレーズで勝手に『アタシ、実家に帰らせていただきます!』といういかにもなドラマのワンシーンが浮かぶ。


「――えっ、ちょっ、良いんですかっ?」


 腰を浮かせて動揺している章灯の姿を見て長田はぷっと吹き出した。


「お前、何想像してんだか知らねぇけど、実家って、俺の実家だからな。埼玉の」

「へ? オッさんの……?」

「なーんでか、ウチの親とすげぇ仲良くてさ。何かあるとすーぐウチの実家に行くんだよなぁ。たまにアイツの実家なんじゃないかって錯覚するよ」


 脱力して、すとん、とソファに座る。何かあるごとに実家に帰っては姑の愚痴を言っている姉とは大違いだ。


「だからまぁ、気にすんな。それに、俺らみたいなのは年末ったらカウントダウンライブやったりとかしていないのが常だからな」

「今年はないんすか?」

「んー、今年はな。でも、来年はあるぞ」

「来年のこと、もう決まってんすか」


 鬼が笑いますよ、と茶化すように笑うと、長田は強めに章灯の背中を叩いた。


「――いてぇっ!」

「ばーか、お前らのだよ。絶対やるからな」

「お、れらの……?」


 軽く咳き込みながら長田を見ると、真剣な目で肩をつかんでくる。


「たぶん近日中に、テストがある」

「は?」

「良いか? 絶対に合格しろ」

「え? いや、何のテストですか?」

「企画モノの一発屋で終わるか、長く続けられるかのテストってところだろうな」

「どういうことですか?」

「……ウチの社長のやり方なんだよ。そういえばそうだったんだよなぁ。こういう企画が久しぶりすぎてすっかり忘れてたわ」


 そう言うと長田は、下を向いて深いため息をついた。


「お前も前に期間を気にしてたろ。やっぱりこういう企画モノのユニットって短期間で消えるっつーか終わることが多いんだよな。でも、ウチの社長はとにかく長く育てたがるんだよ」


 真剣に話す長田の声に、能天気なテレビCMの音が重なる。真面目な話にはふさわしくない、と、章灯はテーブルの上のリモコンを取り、電源を消した。


「――つっても、ユニットの存続にはもちろん金がかかる。きれいごとだけじゃやってけねぇからな。だから、本当に残す価値のあるユニットかどうかをテストするんだ。もしこれに通らなかったら、発売日1ヶ月前のレコーディングでそれなりのを作って、良いとこ1年やって終わりだ」

「良いとこ1年……」

「でも、イケると思ったら、おそらくスケジュール組み直して……来月辺りにでもレコーディングして、プロモーションビデオ作ってだろ……」

「へ? プロモーション……?」

「まぁ、ほんと金のかけ方も違ってくるし、扱いに雲泥の差があるんだよなぁ。っつーことで、お前にかかってるから!」

「お、俺? 俺なんすか?」

「当たり前だろ。俺ら3人はこっちのプロなんだからな」


 涼しい顔をしてコーヒーを飲むと、ニヤリと笑った。


「でも、テストって、一体何やるんすか?」


 カップを持ちあげ、一口コーヒーを啜って、問いかける。


「んー、俺が知ってる限りだと、ゲリラライブで何人以上集めろとか、イベントに前座で飛び入り参加させてその後にCD手売りで何枚売れとか、そういうのだったかな……。でも、ORANGE RODお前らはデビューまでシークレットだしなぁ……」

「結構、ハードル高いっすね……」


 章灯は力なく笑った。


「まぁ、でもアキが作った曲だし、お前の詞も良いし、演奏だって俺らがついてるんだから、大丈夫だって! あとはお前がどれだけ殻破ってやれるかだけだよ」


 そう言うと長田はガハハと笑った。


「殻、ですか……」


 湖上にも言われた言葉である。『殻を破れ』と。


「あとは……、まぁ、もうちょいお前らの関係が戻れば、だな」

「――へ?」


 その言葉に驚いて長田の顔を見ると、やれやれ、といった表情だ。


「お前も動揺してんだろうけど、ウチのお姫様はあれで結構繊細だからな。このままの状態だと、もう最ッ悪だぞ?」


 そこまで言ってガクッと下を向く。そのタイミングで湖上が晶の部屋から出て来た。


「あ、お疲れさまです。コガさんもコーヒー飲みますか」


 章灯が腰を上げると、良い、と言ってそれを制した。


「よいしょっと」


 そう言いながらテーブルの前に胡坐をかく。


「アキな、アレ、風邪じゃねぇな」

「何?」


 下を向いていた長田が顔を上げる。


「いつものだ」

「ああ、何だいつものか」


 長田は膝をポンと叩いた。どうやら思い当たる節があるらしい。


「あのー……、俺わかんないっすけど……」

「――ん? ああそうだな。何かなぁ、たまーにあるんだけど、ストレスのたまりすぎで発熱するんだよな。でも、風邪じゃねぇから咳も鼻水もねぇわけよ。アイツ、ガチの風邪は喉から来るタイプなんだけど」

「ストレスですかぁ……」

「――で、一応また寝かせたけど、すっかり熱も下がったっつーことで、おそらく、そのストレスとやらも軽減されたと俺は見ている」

「ふむ」

「そこから導き出される、今回のアキの『ストレス』は、だ」


 ここで湖上は下を向き、一度大きくため息をついた後でガバッと顔を上げ、章灯を指差した。


「お前だぁ――――――っ!!」

「ええ――――――っ!?」


 いきなりの大声と目の前に突き出された湖上の指に驚く。


「てめぇか! ゴラァ!」


 すかさず長田が章灯の首をつかんでがくがくと揺する。

 湖上は、決まった、と言いながらガンマンよろしく人差し指に息を吹きかけた。


「オッさん、落ち着けって。どうどう」


 湖上は章灯の首から長田の手をはがすと、背中をトントンと叩く。


「ゲホッ……。勘弁してくださいよ……」


 章灯は首を押さえながら苦しそうに咳き込んだ。


「いやー、悪い悪い。これでも手加減したんだけどな。それより、アキのストレスがこいつってどういうことだ?」


 それより、で済ませるんじゃねぇよ! 


 そう言いたかったが、晶のストレスについては章灯も気になるところである。


「たぶん、性別を隠して過ごしてたことと、あと、24時間巻きっぱなしのさらしじゃねぇかなぁ。これまでも巻いてたけど、さすがに人前に出る時だけだったろ。んで、バレてすっきりしたんじゃね?」


 さらしを巻いていた晶の姿を思い出すと、それに続いて解放された後の乳房まで想起され、章灯はいまさら顔を赤らめた。


「てんめぇ……! さらしってワードでいろいろ思い出してんだろ! ちっくしょう! 責任取れよ! ゴラァ!」


 今度は湖上の手が首に伸びてきた。しかし、長田の時とは異なり、軽く絞めただけですぐに解放される。


「とにかく、バレた以上はもうこの家の中くらい良いだろ」

「良いだろ、って何がですか?」

「ブラジャーだよ、ブ・ラ・ジャー」


 そう言って、湖上は片目を瞑る。


「俺は構いませんけど……別に……着けてても」

「よし、買いに行こうぜ! ブラジャー! ぃやっほい!」


 湖上は膝を叩いて章灯の腕をつかんだ。


「は? 何で俺が」

「特別にお前好みのにしてやるから!」

「――いやいやいやいや!」

「コガ、お前アキのサイズ知ってんのか? さすがに高校の時とは違うんじゃねぇのか?」


 問題はそこなのか? 


 そう思ったが、チッチッチッと人差し指を振りながら湖上はニヤリと笑った。


「ブラジャー購入の許可を得てきたついでに、さっき計測してきた!」

「さっすが、抜け目ねぇな!」

「あったり前だろ! 俺を誰だと思ってんだよ!」


 湖上はびしっと親指を立てた。


「湖上さまーっ!」


 長田は満面の笑みで万歳のポーズである。


「ちょっと待てぇーっ!」

「……何だよ」

「ったく、お前は何でこう盛り上がってる時に水を差すかねぇ」


 興ざめとでもいわんばかりの表情で、2人は章灯を見つめた。


「俺は行きませんよ。行くなら2人で行って来てくださいよ」


 湖上の手を振りほどいてそう言うと、2人は声を上げて笑いだした。


「ばっかだなぁ、お前が行かなきゃ意味ねぇんだっつーの!」

「だよなぁ、俺だってわかったぞ? コガの意図は」

「……どういうことですか」


 章灯は口を尖らせ、拗ねたような口調で言う。


「お前ががっつりアキを女として見れるようにってことだ」

「そうそう。今年の何やらは今年のうちにって言うだろ? これですっきり切り替えろ!」

「はぁ~?」


 大男2人に引きずられ、章灯は仕方なく湖上の車に乗り込んだ。

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