♪26 fever heat -1-

 12月30日、本年の業務を終えた章灯しょうとあきらへの手土産を持って家に帰ると、珍しく、リビングの電気が消えていた。

 ここ最近は毎日のように湖上こがみ長田おさだがリビングで章灯の帰りを待ちかまえており、夕飯もそこそこに酒の相手(長田はコーラだったが)をさせられていたのだが、さすがに今日は予定があるのだろう。独身の湖上はまだしも、長田に至っては家庭があるのだ。


「明日は大掃除しないとなぁ」


 そう呟きながらリビングの電気を点ける。


「――うわぁっ! アキぃっ!?」


 真っ暗だったリビングに灯りがともると、キッチンの方向へ頭を向けて仰向けに倒れている晶の姿が現れた。


「アキ! おい! しっかりしろって!」


 一瞬、午前中に読み上げた若者の突然死のニュース内容を思い出してしまい、足が震えた。今日のニュースは若年性の脳梗塞だったが、この時期になると急性アルコール中毒という線も充分に考えられる。晶がこの時間からたった一人で酒を飲むとは到底考えられなかったが、それでもその『万が一』は文字通り0ではないのだ。その上晶は恐らく自分の限界ってやつを知らない。まだそこまでの場数を踏んではいないはずである。


 慌てて駆け寄ってみると、晶ははぁはぁと荒い呼吸をして、真っ赤な顔をしていた。額に触れるまでもなく、発熱しているようだった。とりあえずは呼吸をしていることに安堵する。


「アキ! アキ! おい!」


 何度も呼びかけると、うっすらと目が開く。熱のせいだろう、瞳が潤んでいる。


「章灯さん、お疲れさまでした……。夕飯は……調理台の上に……」


 いつもよりも数倍小さな弱弱しい声で、絞り出すようにしゃべる。


「良い、良い。そんなん後で食うから。とりあえず、夜間救急行くぞ。立てるか?」


 章灯は右手を晶の首の下に入れ、力を入れてゆっくりと身体を起こした。触れた部分が熱い。


「……嫌です」


 ……だろうな、と苦笑する。

 病院が好きな人間というのもそうそういないだろうが、何となく晶ならそう返すような気がしたのである。


「嫌でも何でも仕方ねぇだろ。インフルだったらどうすんだよ。俺にまで迷惑かける気か? ってか、だとしたらこの時点でアウトだけどな」

「インフルだとしても……まだわからないはずです」

「だとしてもだ! ウチには薬なんてねぇし、ぶーっとい注射されて来いや!」


 身体が起き上がったところで、晶の左腕を自分の首にかけ、立ち上がらせる。


「お前軽すぎんだろ。ちゃんと食ってんのかよ」

「……同じもの食べてます」

「じゃ、もう体質だな。とりあえず、このまま車行くぞ。保険証どこだ?」

「部屋に……」

「お前の部屋か。片付いて……たりする?」


 それでも、もしかして、とほんの少し期待を込めて問うと、晶の返事はやはり「すみません」だった。


「俺が探しに行ってもすぐ見つかるか?」

「……たぶん無理です」


 部屋の主がそう言うのだ。おそらくそうなのだろう。


「仕方ない。後から申請すりゃ戻ってくんだろ。行くぞ」


 そう言いながら、財布の中にいくら入っていただろうかと考える。

 年末は何かと入用だからと多めに下ろしたはずである。さっき寄ったコンビニで万札を一枚崩したところは確実に覚えている。


 晶を助手席に座らせると、一度家に戻ってリビングの床に置きっぱなしになっていたコンビニの袋を冷蔵庫に入れる。その足で調理台の上の夕飯を見ると、今日はから揚げだったらしい。


「アイツ、何であんな状態で揚げ物なんかしてんだよ。あっぶねぇなぁ」


 ラップを少し剥がしてから揚げを1つつまむ。こんな状態でも変わらずに美味い。そこはさすがとしか言いようがない。ただ、自身の体調と相談してもらいたいものではある。


 戸締りをして車に乗り込む。助手席の晶は荒い呼吸をしてぐったりしていた。


「まったく……」


 局内でも風邪は流行っていたため、予防のためにとマスク着用は義務化されている。そうでなくてもしゃべる商売だ、喉は大事にしなくてはならないため、普段から章灯はマスクを愛用しているのだが。



 年末の夜間救急は章灯の予想以上に混みあっていた。

 そこかしこで幼児の泣き声が聞こえる。しかし、泣いているのはまだ元気がある方で、母親の膝の上でぐったりとしている子もおり、見ているこっちまで心配になってくる。

 ベンチだけではなく、折り畳みの椅子までも空きはなく、立っているしかないのだが、晶は1人で立つこともままならない状態である。何とか問診票を書かせたあと、仕方なくその場にしゃがませてみたが、ぐらぐらとしてどうにも危なっかしい。


 この状態で何時間待つことになるのだろうかと不安になりつつ、自分の足にもたれさせてしばらく凌いでいると、子ども連れの母親が、その子を膝の上に乗せ、章灯の方を見ながら手招きをしている。


「アキ、ちょっと頑張れ。あそこのお母さんが席空けてくれたぞ」


 そう言って晶を抱えてベンチまで移動する。ありがとうございます、と礼を言って晶を座らせた。運良くベンチの端だったので、隣に立ち壁の役割をする。章灯がもたれて良いぞ、と言う前に晶は崩れるように倒れて来た。



「――おい、アキ。名前呼ばれたぞ。立てるか?」


 目を瞑ってぐったりとしている晶の肩を叩く。

 これは無理かな、そう思って左腕を首にかけようとすると、「大丈夫です。行けます、1人で」と声が聞こえた。


「……ちょっとだけ肩借ります」


 晶は章灯の右肩をつかむとそれを支えにして立ち上がった。少しふらついてはいるが、歩けるらしい。


「本当に大丈夫か?」

「これでも大人ですから」


 さっきまでその辺の子どもとおんなじ状態だったけどな。


 そう思いながら、よたよたと診察室へ向かう背中を見送った。



 どうやらインフルエンザの検査結果は陰性だったらしい。ただ、発熱してからさほど時間が経っていないので、ここから陽性に転じるかもしれないとのことで、翌日以降に改めて検査をするように、と言われたらしい。


 翌日は大晦日であるため、どっちにしろ病院が開いているわけがない。


 とりあえず1日分の薬をもらい、家に戻る。


「明日から休みだからさ、朝イチでドラッグストア行って来るわ」


 玄関で靴を脱がせながらそう言うと、晶は弱弱しい声で「すみません」と言った。


「すみませんばっかりだな、今日は一段と」


 そう言って笑ってみるが、晶は無反応である。


 肩を組んで、晶の部屋へ入る。電気を点けると、まぁ想定内の散らかりぶりだ。


「まぁ、ベッド周りは綺麗なんだよな。それだけは感心するよ。――よいしょっと」


 腰をかがめて掛け布団と毛布をまくり、晶をベッドに下ろす。


「さて、その恰好じゃ寝らんねぇだろ。着替えんの手伝ってやるよ」

「……良いです」

「良いですじゃねぇよ。病人なんだから、甘えりゃ良いだろ。男同士なんだし、恥ずかしがんなって」

「……本当に、大丈夫ですから」

「そうはいかねぇって。ほら、脱げって」

「……自分で出来ます! それくらい!」

「――うぉっ!?」


 服に手をかけた章灯を突き飛ばし、晶は布団をばさりと頭から被った。不意を突かれたとはいえ、どこにそんな力が残っていたのか。火事場の何とか、というやつなのかもしれない。


「アキ……? ……おーい」


 こんもりとした布団を突いてみるが、反応はない。

 どうしたものかとその場でしゃがんでいると、布団の中からにょきりと手が出てきた。


「――うん?」

「……その辺に部屋着がありませんか」

「部屋着? その辺?」


 くるりと辺りを見回すと、積みあがった音楽雑誌の上にスウェットの上下が掛けられている。掛けられている、というか、完全に脱ぎ捨てられているという状態だったが。


「えーっと、これか? ほい、とりあえず、上な」


 布団から飛び出ている手に握らせると、それを中に取り込み、もそもそと動く。おそらく中で着替えているのだろう。


 器用だな、こいつ。


 そう思いながら見守っていると、また手が出てくる。そして「下を」とだけ言って催促でもするかのように手を振った。


「ほい、下」


 呆れながら渡すと、またそれを中に取り込みもそもそと動く。動きが一度止まったと思ったら今度は足元からさっきまで着ていた物が排出された。それと共に、晶が顔を出す。


「ほら……、自分で出来ました」

「いや、出来たみたいだけどさぁ」


 真っ赤な顔で得意気にしている晶を見て、章灯は苦笑するしかない。


「お前、何か見られてまずいような身体なのか? もしかして全身刺青とか?」


 茶化すようにそう言うと、晶は少し笑った。


「……もし、そうだとしたらどうしますか」

「どうもしねぇよ。どんなんだってアキはアキだしな。まぁ――……、ちょっとビビるけど。……って、マジ?」

「どうでしょうね」

 

 また少し笑う。少しでも笑う元気が出て来たことにホッとした。


「まぁ、コガさん達に聞きゃあわかんだろ。つうか、何でこんな時に限っていないんだ、あの2人は!」


 帰りにコンビニで買ったジェル状の冷却シートを貼りながら、珍しく不在の2人に文句を言う。


「温泉ですよ」


 シートが冷たいのだろう、晶は目をぎゅっと瞑っている。


「温泉? 2人でか? オッさん、家族は?」

「オッさんの家族と、コガさんとで行ってるんです。鬼怒川みたいです」


 固く瞑っていた瞼をゆっくりと開くと、眠そうにとろんとしている目がやけに色っぽく見えてしまい、背中に嫌な汗をかいた。そんな風に思われているとも知らず、晶は呆けたような顔のまま、額のシートをさすっている。


「それはさすがにコガさん、邪魔なんじゃ……?」

「咲さんも勇人はやと君もコガさんと仲が良いんですよ。毎年の恒例行事です」

「何だそれ。でも良いなぁ、温泉かぁ」


 晶の脱いだ衣服を回収して立ち上がる。


「なぁ、今度4人で行こうぜ。鬼怒川も良いけど、箱根も良いよなぁ~」

「温泉ですか」

「そ、温泉。裸の付き合いってのも良いもんだぜぇ~。あー、でも、アキは全身刺青なんだっけか。そっか、だから連れってってもらえなかったんだな、だはは。――んじゃ、コレ、洗濯するからな。飲み物そこに置いとくから、どんどん飲んで、汗かけよ。そんで、俺は飯食ったら寝るけど、何かあったら遠慮しないで電話しろ」


 そう言って電気のスイッチに手を伸ばす。


「何か……すみません」


 晶は申し訳なさそうに、本日何度目かわからない「すみません」を言う。


「いや、タイミング的にはばっちりだ」

「……ばっちり? 何のタイミングですか?」

「俺が明日から休みっつータイミングだよ。がっつり看病してやるって。任せろ」


 ただ、飯は期待すんなよ、そう付け加えて電気を消した。


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