♪25 女の男
「――で、結局あの子は何なんですか?」
部屋着に着替えた
「俺、持って来ますよ」
慌てて章灯が腰を浮かせたが、「たまには自分でやるって」と言うと、すたすたとキッチンへ向かった。
コガさんがわざわざ席を立つとは、余程話しづらいことなんだろう。
そう思いながら、晶の作ったケーキを口へと運ぶ。
「うっま……」
店で食べるものと遜色ない味に目を丸くする。
「美味いだろ、それ」
国産ビールの缶を片手に湖上が背後から声をかける。
「美味いっす。店で食うやつみたいだ……。あれ、珍しいですね、
「同じもんばっかりだと栄養偏んだろ」
「ビールに栄養なんてないでしょうに」
そう苦笑すると、うるせぇとでも言わんばかりの表情でわざとらしく大きなげっぷで返す。
「ちょ、もう。汚いなぁ」
章灯が顔をしかめたのを見て、なぜか湖上は得意気である。
そんなやりとりの跡で湖上はソファに腰掛けると、章灯の斜め後ろの位置で膝の上に肘を置き、「さて、千尋の話だな」と言った。
章灯は缶ビールを持ち、身体ごと湖上の方を向く。
「まず、千尋はアキの彼女じゃねぇ」
そう言って、ビールを口に含む。その言葉に章灯も安堵する。ただ、またげっぷ攻撃を食らうかもと、それについては多少警戒したが。
千尋には悪いが、どうしても晶のタイプとは思えなかった。とはいえ、章灯はまだ晶の好みの異性のタイプなど知らないのだが。特に知りたい情報でもなかったし、そんな話題で盛り上がる人間とも思えなかった。
「アイツは、まぁー単なるアキのファンだ」
「ファン……ですか」
「そう。しかも、知り合いからファンになったから、質が悪いんだよなぁ」
湖上は大きくため息をついた。
「どういうことですか?」
「もともと知り合いっつーことはだ、アキの情報をいろいろ知ってるってことだろ?」
「ああ……、成る程……」
よく考えてみれば、ただのファンだったら、確かにここまで来れるはずがないのだ。
だからこんな風にちょいちょい押しかけてくるんだよなぁ~、と湖上は心底うんざりした顔で言った。
「でも、可愛い子じゃないですか。コガさん女の子大好きでしょ?」
ビールを飲み、ニヤリと笑ってそう言うと、「かぁ~わぁ~いぃ~いぃ~? アレがかぁ~?」と言い、ぎろりとにらむ。
「可愛いんじゃないっすか? 俺は苦手なタイプですけど」
「お前だって苦手なんじゃねぇか……。アイツはな、もう本能レベルで無理なんだよ、俺は」
「本能レベルって……。それはさすがに可哀相じゃないですか」
テーブルの上のケーキを一口食べる。タルト部分がまたサクサクとしていて美味い。こういうものが売っているのだろうか、それともこの部分も作ったのだろうか。
「いや、むしろ、お前だってそうじゃないとおかしいんだぞ?」
「へ? 何でですか?」
「千尋は男だからな」
「――へぇっ? お、男ぉっ?」
同様のあまり、腰が浮いた。フォークが手から落ちる。先端に付着していたチーズクリームがテーブルに跳ねた。
「だっ、だだだだって、さっき『私のブラジャー』って……!」
フォークを皿の上に置き、テーブルについてしまったクリームをティッシュで拭き取る。
「まぁ、何ていうか……、女装趣味があるんだよな。いま流行ってるだろ? 『男の
「じゃ、ウチにそれがあったってことは……アキ……アイツと……? だだだだって、何をどうしたらウチで下着を脱ぐことに……?」
「それはないと思いてぇなぁー、俺」
「俺だって……」
彼女がいたことはないと聞いた。それは本人から聞いた。だから童貞だと思った。
けれど湖上に言わせれば、『セックスなんて彼女以外とでも出来る』のである。出来る出来ないの話であれば、確かにその通りなのだ。そしてそれは、男同士であっても同じことなのだ。出来る出来ないの話であれば――出来るのである。
けれども。
俺の知ってるアキは、いっつもポーカーフェイスで飄々としてて、料理はプロ級のくせに片付けが下手で、部屋もいっつも散らかってて、でもギターを弾いてる時は別人のようにカッコ良くって……。
そんなアイツが、女にしか見えないとはいえ、男とそういう関係を持っているとは考えたくない。
「おい、章灯? どうした?」
頭を抱えたまま固まってしまった章灯に湖上が声をかける。
「いや、ちょっと。頭の中がごちゃごちゃで……」
「最近お前そんなんばっかりだな……」
湖上はビールの缶に口をつけると、へへっと笑ってぐい、と飲んだ。
「それでも仕事には支障出ねぇんだもんな。さすがだな、お前」
「それは……。コガさんだってそうじゃないんですか?」
「まぁ……そうだけどさぁ。アキなんかはあれで切り替え下手だからなぁ」
湖上の視線がチーズケーキに注がれているのを見て、「まだありますけど、持って来ましょうか?」と聞く。口の端を上げてニヤリと笑ったのが答えだろう。章灯はビールの空き缶を持って立ち上がった。
キッチンに向かって歩くと、
「千尋、帰りましたか?」
まだ少し顔が白く声にも覇気がない。
「ああ、オッさんが送ってる。大丈夫か? 何か顔色悪いぞ」
「千尋に振り回されると、いつもこうです。心配いりません……」
そう言ってふらふらとキッチンへ向かおうとする。
「アキ、座ってろ。何か必要なものがあるなら俺が持ってくるから。何だ? 何が欲しいんだ?」
晶の両肩を支えて湖上に目くばせをすると、軽く頷いて、こちらに向かってきた。
「ほぉーれ、アキ、そういうのは章灯に任せて、まぁ座れ」
晶を湖上に任せて冷蔵庫へ向かう。
「章灯、ドリンク剤入ってたろ。持って来い。あと、俺には、おかわり」
湖上はあっという間に空になったビールの缶を振って、ちゃっかり自分の分のオーダーまでした。はいはい、と空返事で応える。
トレイにドリンクと缶ビール、湖上の分ビールとケーキを2つ皿に載せてリビングに戻ると、晶は疲れたような顔をしてソファに身をあずけていた。
「ほら、アキ。ドリンク持ってきたぞ。あと、ケーキ、さっぱりしたやつだから食えるかなと思って持って来た」
「すみません」
そう言ってドリンク剤を受け取り、蓋を開けると、一気に飲み干す。折れそうに細い首は白く、それが何とも艶めかしくて、何となく目をそらした。
「しっかし、災難だったなぁ、アキ。せっかくのクリスマスに千尋が来襲するなんてよ」
湖上は章灯がせっかく用意したフォークを使わずに手づかみでケーキを食べている。
「ブラジャー渡しに行ったのが間違いでした。郵送すれば良かったです」
晶はフォークを取ると、皿の上のケーキにぐさりと刺した。まるでそれを何かに見立てているかのように、垂直に、勢いよく、何やら忌々しげな表情で。
「な、なぁ……。アキ、その……何でウチにブラジャーが……? その……男……なん……だよ……な? 千尋……君は」
おそるおそる章灯が問いかける。仮にそういう関係だったとしても、晶の口からそれを聞けるとは限らないのに。
「男……。コガさんが話したんですか?」
顔をしかめて湖上をにらみつけると、彼は口の周りをクリームまみれにしてニヤリと笑っている。それを見て晶は深くため息をついた。
「アイツ、新しい服を買うとファッションショーをするらしいんです。いつもはウチの店の奥でやってるみたいなんですけど、どういうわけかここがバレて」
「――で、ここでファッションショーしたってのか?」
「そうです。女物を着るわけですから、下着も女物、というのがアイツのこだわりのようで。……下はどうだか知りませんけど。知りたくもないし」
しれっとそう話すと、ケーキの続きを食べ始めた。
「そういうことだったのか。安心したよ、俺。アキにそういう趣味があんのかと思って……」
「止めてください。ノーマルだって言ったじゃないですか。さすがにまともな異性が良いです」
うんざりした顔で再び大きくため息をついた。
「でもさ、じゃあ何でまた昨日あんなに動揺したんだ?」
章灯はビールの缶を開け、口をつけたところで問いかける。
最後の一口を刺した手が止まった。晶は俯き加減でつぶやく。
「……そりゃあるはずのないものがあれば動揺もしますよ。章灯さんには千尋の存在を隠しておきたかったですし」
「何でだよ」
「絶対おかしな勘違いをすると思いまして。なのに、千尋のやつ、あんなところに……!」
晶は左手で目を覆った。
「何だよ。千尋のやつ、わざと仕込んだのか」
「問い詰めたら白状しました。意図はいまいち理解出来ませんでしたが」
フォークに刺さった最後の一口を口に入れ、ゆっくりと咀嚼する。何か飲み物が必要だろう、と章灯は席を立った。
冷蔵庫を開け、そう言えば夕飯を食べていないことに気付く。千尋の衝撃が大きすぎて、すっかり忘れていたのだ。
先にデザートの方からいただいてしまったが、この際関係ないか、とラップされているおかずとオレンジジュースを取り出す。
ジュースはグラスに注ぎ、おかずはレンジへ入れる。
今日は鶏の照り焼きか。それといろんな豆が入ったサラダに、汁物はカブとベーコンのスープ。
温めている間にジュースをテーブルへ運ぶ。晶の目の前に置くと、きょとんとしていたが自分の分だと気付いたのだろう、頭をぺこりと下げた。
再びキッチンに戻り、炊飯器からご飯をよそう。そのタイミングでレンジがピーと鳴った。
調理台の上でトレイに夕飯を並べていると、ふと水回りに違和感がある。今日も綺麗に片付いている。
もしかして。
トレイを持ってリビングに入り、すっかり顔色の戻った晶に話しかける。
「なぁ、千尋君さ、アキが料理した後の片付けとかしたりした……?」
「水回りですよね、たぶん、やっていったと思います。気付いたら綺麗になってましたから。ていうか、ご飯まだだったんですか、章灯さん」
「ちょっといろいろ衝撃で食うの忘れてた」
いただきます、と手を合わせて鶏肉にかぶりつく。
「お、アキ復活したか」
当たり前のように「ただいま」と言って、疲れた顔で
「すみません、今日はありがとうございました」
「良いって良いって。千尋は仕方ねぇよ。あいつは天災みたいなもんだから。あれな、天の災いの方の『天災』な」
そう言いながら、テーブルの前で胡坐をかき、もの言いたげな目で章灯を見つめる。
「……いま、お持ちしますって。食わないで下さいよ、俺の飯」
そう言って長田のソフトドリンクのために立ち上がった。
「しかしなぁ、アキ、お前も少し気を付けないとダメだぞ」
常にストックされているダイエットコーラをグラスになみなみと注いでリビングに戻ると、長田が晶に向かって小言を言っていた。
「はい……」
晶はしょんぼりとうなだれていた。まるでお母さんに叱られている子どもである。
「何だよオッさん、アキ何かしたのか?」
そんな晶の姿を見て、湖上が長田に問いかけた。
「何て言うか……。もうこいつは天然すぎるんだよなぁ。……おう、サンキュ」
長田の前にグラスを置いて、章灯も席に着く。
「天然って何ですか?」
「一挙一動がいちいち様になってるっていうかさ。やることなすこと全部裏目に出て、結果また千尋が惚れ直すっていうか……」
成る程。何かわかる気がする。
「ああ……。それはあるな。アキの場合、冷たくしても女の方が何でか良い方に解釈しちまうんだよなぁ」
「それじゃ、どうすれば良いんですか」
優しく接すれば、普段とのギャップで落ちる。
冷たい態度を取っても、クールで素敵と言われる。
そうなると確かにどうしたら良いのかわからない。
「まぁ、そう言われると、俺にもわからないんだけどさ……」
「そんな」
「俺は羨ましいけどなぁ。いっぺんアキみたいにモテてみてぇ」
湖上はへらへらと笑って残りわずかのビールを呷った。相変わらずペースが速い。また俺の出番か? と章灯が腰を浮かせると、「お前は飯食ってろ」と肩を押される。
「コガさんはモテないんすか?」
サラダを咀嚼しながら問いかける。
彼だってモテる部類のはずだ。少なくとも、同年代の中では。
「俺? 俺はなぁ……、結局三枚目なんだよなぁ……。モテてたらこの年まで独身じゃねぇよ」
「……てっきり選びきれないか、遊びたいからって理由であえて独身なんだと思ってましたけど」
キッチンに向かう背中にそう言うと、くるりと振り向き、「まぁ、遊びたいってのは否定しねぇ」と笑った。
やっぱり、と章灯も笑い、ソファの上で膝を抱える晶に向かって言う。
「まぁ、アキ、俺はそのままで良いと思うけどな」
「……そうですか」
「モテねぇ相棒より、モテる方が良いよ。負けるか! ってこっちも燃える」
「章灯さんのお役に立てるなら、良しとします」
「おう、その意気その意気! ヴォーカルがギターに負けるわけにゃいかねぇよなぁ」
冷えたビールを片手に湖上が陽気に笑う。
「章灯、だーいぶ頑張らないとなぁ」
それに乗っかり、長田もへらへらと笑った。
「アキ、ライブの時は、お前鼻眼鏡とアフロでやれ」
「お断りします」
「じゃ、女装とか」
「死んでも嫌です」
「馬鹿だな章灯、逆に盛り上がるぞ、それは」
長田がクックッと笑いをかみ殺しながら言う。
「アキの女子高生かナース姿なら、俺、イケる!」
湖上は真剣な顔で親指を立てた。俺も俺も、と長田が元気よく挙手をした。
「ちょ、千尋君には本能レベルで無理って言ったくせに!」
「……2人とも、良い加減にしてください」
晶は眉間に深いしわを刻んで3人を睨みつけた。
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