♪2 at 日のテレ 第2会議室

 翌日、開始時刻の20分前に第二会議室のドアを開けると、コの字型に配置された長机に見慣れた顔が入り口の方を向いて座っていた。そして、その中央にはパイプ椅子が一脚。

 その見慣れた顔――局長の榊に挨拶をする。

 そして自分は一体どこに座ったら良いのだろう、と辺りを見回すと「お前はそこだ」と言ってコの字の中のパイプ椅子を示された。


 まさかとは思っていたが、やはりここだったか、と観念して腰を下ろす。

 もう随分昔となった入社試験を思い出させるような配置に、もしや何かしらの面接なのでは、と章灯は思った。面接ならまだ良い、まさか査問ではあるまいな、などと考え、何か思い当たるようなことがあっただろうかと必死に考えてみるも、何も浮かばない。


 章灯しょうとの頭の中はクエスチョンマークだらけである。


 しばし、局長と2人きりという、いささか重苦しい時間が流れた。そして、開始10分前になり、パラパラと人が集まり始める。もちろんその全てが初めて見る顔だ。


 章灯は昨日渡された冊子に書かれた名前と、入ってきた人達を交互に見た。しかし、名前だけの情報では誰が誰だかわかるわけもなく、とにかく、誰かが入ってくるたびに立ち上がり、丁寧に挨拶をする。誰が誰なのかはわからないものの、この中には『社長』という肩書の人物が混ざっているのだ。


 顔を上げるとどうしても目の前にずらりと並んだ方々と目が合ってしまい、章灯は視線の行き場がなく、困惑した。


 彼の向かいの長机には、左端から、ややウェーブのかかった黒い長髪の男性、それよりは短いけれども、カテゴリ的には長髪になるだろう金髪の男性、それから、こちらはややさっぱりとした茶髪の男性が並んでおり、恐らく、黒髪と金髪は同年代、茶髪はそれよりもやや年配だろうと思われた。さすが華やかな業界の面々だけあって、皆、俳優並み――とまではいかないものの、いわゆる『イケメン』にカテゴライズされる人達である。


 そして、その茶髪の男性の隣には20代と思しき女性が座っている。今回の参加者の中に女性は1人しかいないため、この人が『白石しろいし麻美子さん』だろう、ということはわかる。というか、それくらいしかわからないし、あと1人足りない。


 そうなると、やはり一番最後に来るのが社長の渡辺京一郎氏だろう。

 そう判断してしまうほど、目の前の男性3名は章灯のイメージする『社長像』とは大きくかけ離れていたのである。



 開始5分前、その白石麻美子と思しき女性が章灯に『企画書』と書かれた冊子を手渡してきた。

 ふと長机を見ると、そちらの方にはすでに配布されていたようで、各自、目の前の冊子を手に取り、中に目を通している。チラチラと章灯に視線を送ってくる者もいた。

 1ページ目には今回の会議の参加者名が書かれており、これは章灯が持っている冊子と同じ内容のようだった。特に変更点は無いらしい。ということはやはり目の前の面々はカナリヤレコードの方々なのだ。まぁ、それに関しては疑いようがなかったが。


 時計の針が15時を示したところで、ゴホン、という咳払いと共に榊が立ち上がった。


「えー、我が局の日野は後ほど飯田君と共に遅れて参りますので、まずはこのメンバーで進めさせていただきます。進行はわたくし、日の出テレビアナウンス部局長の榊と申します」


 その言葉で章灯は手元の冊子から目の前の面々に視線を移す。

 ということは、目の前の黒髪、金髪、茶髪のいずれかがカナリヤレコードの社長だということになる。それを告げられた章灯は――、

 

 マジで? あの中に社長いたのかよ!

 

 そう思って、軽く浮かせてしまった腰をゆっくりと椅子に沈めた。

 やはり、こういうところの社長というのは気持ちも恰好も若いものだと感心する。

 

「今回は、我が局の企画致しました朝の情報番組『シャキッと!』に於きまして、カナリヤレコードさんより、番組内で使用する楽曲の提供並びに、という新しい試みに御協力いただけるとの――」


 ふんふんとペンを片手に頷きながら榊の話に耳を傾けていた章灯だったが、『ウチのアナウンサーを起用した音楽ユニット結成』のくだりで、ペンをぴたりと止めた。


 ――音楽ユニット?

 我が局の、『』?


 もう一度企画書に書かれた参加者をチェックする。

 榊の言う『ウチのアナウンサー』に該当する人物を探すが、どう見ても、それは自分しかいない。


 ――俺?

 俺なの?


 確かに、章灯は歌には自信がある。

 学生のころはいくつかのバンドを掛け持ちしていたし、一時は本気でプロを目指したこともある。

 しかし、大学時代に付き合っていた彼女から、現実味がないとその夢は一蹴され、その代わりにいただいた「章灯の声って、聞き取りやすくて落ち着くよね」の一言でアナウンサーに志望転換したのだった。単純な男である。


 結局その彼女とはすれ違いが原因で別れてしまったが、現在の章灯があるのは、この彼女のおかげとも言えるだろう。


 でも、俺、局長の前で歌ったっけ……?

 あ――……、こないだの飲み会、か。あぁ、うん。歌ったわ、俺。歌った、歌った。酔ってたし、結構ノリノリでいったわ、確か。


「おい、山海やまみ! 聞いてるのか?」


 榊の声に驚き、顔を上げると、皆が彼を見ている。目を吊り上げているのは榊だけで、彼以外は皆、穏やかな笑みを浮かべてはいたが。


「――す、すみません! 突然の話で、驚いて……その……」


 慌てて立ち上がり弁解すると、茶髪の男性がガハハ、と笑った。


「無理もないよなぁ! 良い、良い、座りなよ。本当ならちゃんと話を通しておくべきだったんだ。君には悪いことしたなぁ」


 そう言ってその男は右手を仰ぐように振る。座れ、のジェスチャーだろう。

 その指示に従い、もう一度頭を下げてから腰を下ろした。


「で、榊君、早速だけどさ、この子の声聞きたいんだけど」

「――へ?」

「へ? じゃない山海! 失礼だぞ!」

「え? いや、あの……声? え?」


 状況がつかめずあたふたしている章灯を無視して、榊がラジカセを運んで来る。


 一体何が始まるんだろう、とその様子を見守っていると、彼の手が再生ボタンに伸びた。

 カチという音がして、がやがやとした人々の話声が流れて来る。もう嫌な予感しかしない。



 ――おい、山海お前の番だぞ?

 ――はい! 僭越ながら山海章灯、歌わせていただきます!


 

 言った。

 山海章灯、と。

 これは、俺の声だ。



「ちょっ! 局長ぉっ!?」


 思わず立ち上がった章灯を茶髪の男が手を挙げて制する。

 テープからは激しいロック調の曲をノリノリで歌う章灯の声が流れて来た。


 章灯は恥ずかしさで真っ赤になった顔を両手で覆って俯いた。



 一体俺が何をしたというんだ。

 こんなのほぼ拷問じゃねぇか。

 局長、いつの間に録ってたんだよぉ。



 歌が終わると、榊はラジカセを止め「いかがでしょう」と茶髪の男に問う。

 章灯は自分の歌声が止まったことに気付き、顔を上げた。

 茶髪の男は榊の顔をちらりと見ると、強く頷いてから立ち上がり、章灯の方を向いて手招きした。


「え? あ、はい……」


 自分を呼んでいるのだろう、と章灯も立ち上がり、前に進み出る。

 茶髪の男は章灯の右手をつかみ、強引に握手すると、またもガハハと豪快に笑った。


「良いな! 良い声だ!」


 章灯は、力強くぶんぶんと右手を振られるがままである。

 茶髪の男はその勢いのまま、隣に座っているやや長めの金髪の男とウェーブがかかった黒髪の男に視線を向けた。


「な? 良いよな。この声は売れるな!」

「力強くて、ちょっと色っぽいっすね」金髪が言う。

「アナウンサーだけあって、発声も良いし」黒髪も賛同する。

「え? あの……」


 榊に助けを求めるような視線を送ってみるが、彼は彼で、そうでしょう、と得意気にうんうんと頷いている。



 俺だけ蚊帳の外かよ!

 いや、状況的には思いっきりセンターにはいるけれどもだ!



「悪いな、どんどん話進めてしまって。俺は社長の渡辺だ。んで、この金髪が湖上こがみ。黒髪は長田おさだ。お前のサポートメンバーだ」

「よろしく~。俺、ベースの湖上」

「俺はドラムの長田ね」


 ここでやっと目の前の茶髪の男がカナリヤレコードの社長であるということが知らされる。

 章灯はただただ圧倒されるのみで、カラカラになった喉からようやく「よろしくお願いします」の言葉を絞り出した。


 自己紹介をされても、まだいまいち現実味がない。


 右手は解放されたものの、意識はまだぼんやりとしている。呆然とその場に立っていると、コンコンとノックする音が聞こえ、返答を待たずにそのドアはガチャリと開けられた。


「――おお、話は終わったかね」


 振り向くと、入社時から何度となく見てきた社長の姿があった。

 その後ろにはひょろりとした黒髪が立っている。


 お待ちしておりました、と榊が小走りで出迎え、日野と黒髪は先導されて長机に座った。


 社長を目の前にすると、章灯はさすがに背筋が伸びたが、それでもやはりどうしたら良いかわからず、その場に突っ立っているしかなかった。

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