救出と再会

突撃

 戦艦三笠の甲板に顕現した楓雅は、支部でのやり取りを思い出していた。


 ***


「お前が単独で行くだと!?」

「ああ」

「馬鹿を言うな!」


 楓雅よりもずっと小柄な桜緋が怒鳴りつけた。

 悠司が美月と共に和葉の居場所を突き止めたところ、それまでほとんど喋らなかった楓雅が誰よりも早く口を開き、こう宣言したのだ。


「和葉を救うのは俺だ。俺が一人で行く。悪いが、手出しは無用だ」


 そして、それを聞いた桜緋が激昂したのである。


「お前、今までの話を聞いていたか!?」

「当たり前だ」

「ならなぜ、そんな阿呆なことが口にできる! 今回は通常の邪気とは異なる。単独て突っ込むなど無茶だ!」

「なぁ、桜緋」


 激情任せに怒鳴る桜緋とは対照的に楓雅は冷静だった。普段ならすぐ言い負かされる楓雅が、今日は珍しいことにまったく折れる様子がない。桜緋の言葉に弁解も反論もしないで、ただ自分の意志だけを貫き通す姿勢を見せている。

 桜緋も、そんな楓雅に呑まれて思わず口を閉じた。


「俺は和葉に負い目がある」


 楓雅が静かに切り出した。


「五年前、俺はとある邪気を追っていた。数百年前に俺の大切な人間を喰らった邪気を俺はずっと追い続け、ようやく見つけ出したところだった。だが、俺は仇を討つどころか、和葉の最愛の妹を見殺しにして和葉だけを助け、肝心の邪気を逃がした。それしか、あの場を切り抜ける方法がなかった。だが……」


 楓雅は手を握り締めた。口にしていて、自分の不甲斐なさが情けない。


「これで俺は精霊としてあるまじき失態を繰り返したことになる。人間を救えず邪気を逃がすなど大失態だ。正直、生きてる中で何度消えたいと思ったかわからん。どんなに和葉や皆の前で飄々としていても、俺の中には罪の意識ってものがあった。何度も悔いた。無力さを嘆いた。そして俺は復讐に燃える和葉の傍について、共に奴を討つことくらいしか償う方法が思いつかなかった」


 罪悪感のあまり頭の芯が痺れるような感覚がして、楓雅は息を吸い、吐き出した。


「俺は自分の手で決着をつけなければならないと思っている。桜緋やひめ、皆がいてくれたら、無論心強いだろう。だが、それは甘えだ。これまで散々しくじってきた俺が一人で打ち祓わなければ意味がない。……和葉を救うのは俺、ただ一人だ」


 桜緋は身長の高い楓雅を厳しい眼差しで見上げた。


「お前……下手をしたら、死ぬぞ」

「わかっている」

「和葉を道連れにする危険性をわかっているのか」

「ああ」

「救うどころか、和葉までもあちらに逝かせる気か、貴様!」


 じれたように桜緋は楓雅の腕を掴んで揺さぶる。


「しっかりしろ! お前の罪悪感なんぞ、これっぽちの意味もない。過去も何も関係ないだろう! ここで無謀な真似をして今までと同じ悲劇を繰り返す方が余程罪深いということもわからんほど貴様は馬鹿なのか!?」


 楓雅はそっと苦笑した。

 さっきから桜緋は一方的に怒って楓雅を罵倒しているが、その本心は心配してくれているのだ。

 一人で行くことがどれだけ愚かな真似かわからないほど楓雅も馬鹿ではない。今回、和葉を攫った邪気は例を見ないほど異質なもの。だが、これはけじめだ。和葉と共にあの邪気を討つためには、今すぐ和葉を無事に救い出す必要がある。そして、これを成すべきは自分だ。


「……すまん」


 まだ何か言おうとする桜緋の手にそっと触れる者がいた。桜緋が信じられないと言いたげに、その者を振り返った。


「妃……」

「桜緋、おのこという生き物は時に無茶をせねば気が済まぬことがある。わっち女子おなごには到底理解できぬものじゃ。よって、ここは同じ男に意見を仰ごうかの。――荘司、悠司。ぬしらは楓雅を行かせるかや?」


 桜緋の怒気にあてられて会話に口出しできなかった二人がお互いに顔を見合わせた。美里と美月に至っては、美月が荒れ狂う霊気に怯えてしまっているため、美里がそっと妹の体を抱き締めて安心させようとしている。

 水黎と石哉は一旦席を外して、桜緋の荒れた霊気によって和葉を攫った邪気に勘付かれないよう周辺に臨時の結界を張りに行っていた。


「……祓い屋としては、一人で行かせるのは得策ではないと思う」


 荘司が静かにそう言うも、悠司がその言葉を覆した。


「だが、その決意を曲げるのは少し悪い気がするな」


 桜緋は意外に思って目を丸くした。荘司ではなく、悠司が言うとは。


「ほう? お前がそのように言うとは意外だな」

「ここまでの覚悟を聞かされてしまっては、反対したところで己の意志を貫くことは察することができる。……止めても無駄というやつだ」

「……なるほどな」


 桜緋がとうとう諦めて溜息を吐くと、怒気と共に荒れていた霊気が一気に引いていった。

 美月が大きく息を吐き出して深呼吸をし、美里も愁眉を開いてそっと息を吐いた。


「やっと落ち着いたか、桜緋よ」


 外に出ていた石哉が顕現して桜緋を軽く睨む。


「まったく、自分の力くらい把握しているだろう。制御なしで放たれると、こちらが対処に困るのだぞ」

「すまない。ついカッとなってしまった。こんなことは久々だ。申し訳ないことをした」

「水黎ともう少し霊気を散らしてくる。後で彼女にも詫びてくれよ」

「ああ。無論だ」


 ここまで感情的になったのは、いつ以来だろうか。

 桜緋の霊力は生半可なものではない。悠久の時を生きてきているために、その力は甚大だ。制御なく解放すれば、人間は恐怖を抱いて委縮し、精霊は畏怖を以てこうべを垂れる。

 ここ数百年は常に抑えてきたというのに、やってしまった。

 桜緋は、やっと安心した様子の美月の方に歩み寄って、美里に抱き着いたままの彼女の前で膝をついた。


「怯えさせてしまって、すまなかった。恐かっただろう」

「っ……ううん。平気、です」

「敬語など使わんでいい。長命といったところで、こんな少女と変わらん見目だ。友と話すときと同じ感覚で接してほしい」

「……わかった」


 恐る恐る頷いた美月の頭を優しく撫でて微笑む。


「いい子だ」


 そうやってから立ち上がって、桜緋は楓雅を振り返った。


「楓雅」


 もう桜緋に反対の意思は見られない。引き締まった表情で、楓雅に告げる。


「気を付けて。二人で無事に帰ってこい」


 楓雅は同じように表情を引き締めて応じた。


「ああ。肝に銘じよう」


 ***


 潮風に楓雅のざんばらな髪が躍る。

 海上に浮かぶあの島に和葉が捕らえられているのだ。


「和葉……」


 精霊は水上を移動するとき、人間のように船は使わない。霊力を操ることで宙に浮くこともできるので、それを応用して水面を駆ける。

 楓雅は甲板から跳躍して、海面に舞い降りた。指先が微かに波で濡れるが、空中を疾走したら霊力を使いすぎる。だが、水上を駆けていくなら飛ぶよりも霊力を温存できる。これからを考えると、霊力は使いすぎない方がいい。

 猿島の方を見ると、不意に全身に鳥肌が立った。


「異空間……!?」


 楓雅が向かおうとした矢先に島全体が突然、異空間に呑まれた。全身に悪寒が走るほどの霊気の淀みが、島からかなりの距離があるここからでも感じられる。敵さんも、それなりに好戦的ではないか。


「急いだ方が良さそうだな」


 楓雅は小さく呟き、猿島に向かって水面を蹴って駆け出した。

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