夢殿にて

戦の始まり

「大丈夫だ。雑魚の相手は組合の人間に頼んできたからな。私たちは、所謂ラスボスをることに集中すればいい」


 凛々しい表情で千尋へ声をかける桜緋。纏っている雰囲気は、まるでいくさの前の女武者のそれだ。

 しかし、その相棒枠であるはずの千尋は浮かない顔をしている。へっぴり腰、というと、しっくりくる感じだ。

 そんな二人が二人組バディとして並んでいるのだ。比較してしまうと対照的過ぎて、なかなか情けない絵面である。


「いや、そういう問題じゃなくて……これ、本当に夢の中? それにしては、やけに感覚がリアルっていうか……」


 灰色と白の間のような無彩色の荒野が延々と続いている中に、二人は立っていた。

 あのあと千尋は病院から帰り、普通に夕飯を食べ、風呂に入り、床に就いた。そして、今に至っている。

 眠っているはずだというのに、覚醒時と変わらない感覚なのだ。戸惑っている千尋を落ち着かせようと、桜緋はその肩を軽く叩いた。


「これはただの夢じゃないからな。いつもの夢とは質が違う」

「質?」

「そうだ。ここは夢の中でも、夢殿と呼ばれる場所だ。此岸と彼岸、光と闇、陽と陰……それらの狭間にあたる」

「じゃあ……あの三途の川が、ここのどこかにあるってこと?」

「ああ。探せばあるだろうな。ま、そこまで深いところに行くと帰れなくなる危険があるから、安易に探すことはお勧めしない」

「そうなんだ……」


 夢がそんなところに繋がっているとは。

 桜緋は荒野の彼方を眺めながら、懐かしそうに瞳を細めた。


「これはちょっとした思い出話だが、お前の前世は、よくこの夢殿に迷い込んでいたぞ」

「え!?」


 ちょっと待って。それは迷子にしては、スケールが大きすぎる。

 夢殿ということは、魂が体から抜け出して迷子になっていたと?


「顔が真っ青だが、お前が今考えている通りだ。彼奴は、よく魂が抜け出てなぁ……私も連れ戻すのに苦労したものだ。なかなかの深淵に迷い込むことも多かったし、彼奴も邪気と惹かれ合ったから、独りにするのも危ないしで……今思えば、楽しい思い出だ」


 楽しくない。これっぽっちも、楽しくないぞ。

 千尋は、ふと思った。そういえば、前世前世と今までたくさん聞かされてきたが、前世の自分は何と言う名だったのだろう。


「あのさ、前世の僕って、何て名前だった?」


 桜緋が軽く目を見開いて、こちらを見た。

 そして、少し考えるような素振りを見せたが、すぐ教えてくれた。


「義行、だった」

「義行……」


 知ったところで何にもならないけれど、なんだか得をしたような気分だ。

 桜緋は義行のことを思い出しているのか、ぼんやりと遠くの方を見ている。声を出すのも憚られる空気が辺りを包んだ。

 桜緋に遠慮して、千尋は黙っていた。

 そのときだった。


「――――千尋っ!」


 桜緋が突然、千尋を突き飛ばした。地面に顔面から倒れ込みそうになるも、どうにか回避した。桜緋が背中に覆い被さって、千尋を庇う。

 ちょうど千尋が立っていたところを、鋭い棘のようなものが通り抜けていった。

 邪気だ。


「来たか……っ」

「桜緋」

「私の傍から離れるなよ、千尋。ここで負う怪我は魂を傷つける。肉体がきちんと此岸で眠っていたとしても、魂が死んでしまえば、それで終わりだからな」

「分かった」


 邪気の本体は見えない。

 荒野のずっと遠くから、触手を伸ばしてきているらしい。


「攻撃を避けながら本体に近づくしかなさそうだな。……行くぞ」

「ああ!」


 桜緋が千尋の手を強く握る。決して離さないよう、固く握った。

 千尋も、その手をしっかりと握り返して立ち上がり、二人は同時に駆け出した。


 ***


 桜緋に応援として呼び出された和葉と荘司も夢殿に来ていた。夢殿といっても、千尋と桜緋がいるところからは離れている。合流は難しいだろう。二人は、それで構わないが。

 二人も千尋同様、肉体は此岸で眠っている。


「決戦の地を夢殿にするとは、桜緋もなかなか大胆だ」

「魂という急所を邪気に傷つけられるリスクを負うのよ? 大胆どころじゃないわ。無謀よ」

「だが、此岸で闇雲に元凶を探すよりも、夢殿に誘き出してしまった方が手っ取り早く事態を片付けられる」

「それについては否定しないわ」


 ざわざわ…………

 嫌な気配が遠巻きに二人を狙っていた。無論、二人は話していても、きちんと気づいている。


「おっと」


 地面から不意打ちを仕掛けてきた邪気を、荘司はひょいっと軽く飛んで避けた。

 追撃してくる蛇のような形状をした邪気。荘司は表情一つ変えずに、それを真っ直ぐ見ていた。避ける動きはない。

 邪気は荘司の首筋に噛みつこうとしたものの、牙を立てた瞬間、邪気は清浄な結界に阻まれて霧散した。


「ありがとう、水黎」


 水黎が荘司の身体の線に沿うようにして、結界を張っているのだ。穢れたものは触れただけで浄化されて消える。

 荘司の声に応える形で水黎は顕現して、辺りを見渡した。


「荘司、囲まれてるわ」

「そのようだ」

「……撃つ?」

「うん。一斉に来られても面倒だし、数を減らしておこう」

「分かったわ」


 従順に頷いて、弓を引くような構えをとった。そっと瞼を閉じる。

 水黎の手の中に霊力が集まり、弓と矢へ変化した。水の霊力から生まれた破魔矢だ。

 ぎりぎりと弓を引き絞り、カッと目を開けるのと同時に矢を放った。

 一本の矢が宙を裂きながら複数に変化し、遠くから様子をうかがっていた邪気たちを一気に貫いた。矢は邪気に刺さった途端、水へと変わり、穢れを浄化。邪気を消し去る。


「遠距離と防御は水黎に任せるのが一番だ」

「荘司、後ろ」

「ん?」


 水黎が指摘したが間に合わない。だが、荘司がそちらに目線をやったときには、もう邪気は真っ二つになっていた。

 荘司の死角から飛び出してきた邪気を斬り捨てたのは、石哉でも梅妃でもなかった。木刀を握った和葉だ。

 荘司を狙っていた個体を斬り、間髪入れずに別の個体を斬った和葉は、苛立たしげに荘司を振り返った。


「ちょっとは自分でやりなさいよ! いつもやってるでしょ!?」

「あー……和葉ちゃんに言われると響くなぁ。支部長に何か言われても、全然改善する気なんて湧かないのに」

「ふざけないで!」


 和葉の殺り残しは楓雅が斬り伏せている。さすがのコンビネーションだ。


「荘司。和葉の頼みだ。聞いてやってくれ」

「ちょっ、楓雅! 私は別に頼んでなんか……!」

「和葉、二時の方向」

「分かってるわよ!」


 口論をしながらも、きちんと邪気は斬っている。

 荘司だって、そんな二人を見て、それでも動かない選択をするほどはいない。やれやれと肩を竦めながら、右手で刀印を結んだ。


「斬!」


 一気に五体を滅し、まだ隠形している二人に声をかけた。


「石哉。妃も頼む」

「ああ」

「仕方ないのう」


 短剣を構えた石哉。そして、鉄扇を手にした梅妃が顕現し、邪気に立ち向かった。

 精霊組合の中でも実力者として名を馳せる面々が、無数の邪気を打ち祓っていく。


 ***


「このっ! ……邪魔臭い! っ、去ね!」


 桜緋が行く手を阻む邪気を花弁で退かし、手刀で叩き斬り、無造作に掴んで捻じ伏せる。

 和装姿という淑やかな見た目に反して荒々しいやり方だが、桜緋らしくもあるやり方だ。おかげで二人は邪気が迫って来ても、足を止めることなく前へ進むことができている。


「千尋、無事か!? 気分は平気か!?」


 桜緋が邪気を裂きながら千尋に半ば叫ぶように問う。

 千尋は桜緋の手を握って懸命に走っていた。寄ってくる邪気は桜緋の花弁が弾いてくれているが、なんせ大量に来るものだから瘴気をかなり吸ってしまっている。頭痛がどんどん悪化しているものの、千尋は押し隠して叫び返した。


「大丈夫!」

「よし! もう少しで邪気の本体に辿り着くから、気張ってくれ!」

「分かった!」


 二人は走る。

 何もない荒野を走る。

 邪気に揉まれながらも、目的のために走り抜ける。

 足を掬われそうになっても、引き離されそうになっても、二人は手を繋いで走り続ける。

 この先なのだ。この先に、元凶がいる――――!


 …………ドクン。


「……え?」


 ぐらり……と、目の前が回った。

 目に映る風景の色彩がおかしい。様々な色が映る。

 激しい耳鳴りと頭が割れるのではないかと錯覚するほどの激痛。


「千尋……ッ!」


 千尋の手は力が抜け、するりと桜緋の手から離れた。

 桜緋が千尋の異変に気づいて振り返るも、もう遅い。二人の繋がりは切れてしまった。桜緋の動揺で、千尋を護っていた花弁の結界もなくなっている。

 隙を窺っていた邪気は、意識を失って倒れる千尋を逃さない。


「ッ……っ、カハ」


 背中から千尋を貫いた邪気。千尋の口から呻き声が漏れ、傷口から鮮血が噴出した。

 桜緋がすぐに応戦するも、全てが遅かった。


「千尋ッ!」


 桜緋は喉が切れるほどの大音声で叫び、狂ったように群がる邪気を蹴散らしていく。

 邪気の数を減らしてから周囲に結界を張り、どす黒い血液を胸と背中に開いた穴から流している千尋に駆け寄った。


「千尋! 千尋、しっかりしろ!」


 着物の袂を切り裂いて止血するも追いつかない。千尋の魂は傷つき過ぎた。このままでは……


「おい、おい……! 嘘だろう、またなのか……ッ」


 同じ轍を踏むというのか、また。

 桜緋はありったけの霊力を、千尋の傷ついた霊体に注ぎ込みながら命を繋ごうと足掻く。


「千尋、千尋! 頼むから、逝くな――!」

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