第2話 タイミングを逃す祐司
デート当日は春らしい穏やかな陽気となり、球場の最寄駅から外へ出た綾乃は、空を見上げて嬉しそうに目を細めた。
「今日は良いお天気で、本当に良かったですね」
そう言って駅に掲示されている案内板を横目に、目的地に向かって意気揚々と歩き出した綾乃に、祐司は相槌を打ちながら、一応尋ねてみる。
「ああ、そうだな。バスもあるんだが、歩きで良かったか?」
「この駅からなら、歩いても十五分位ですよね? お天気も良いですし、散歩がてら歩いて行きましょう!」
「確かに気持ちが良いな」
野球観戦らしく厚手のパーカーにジーンズとスニーカー姿で現れた綾乃にとって、歩くのは全く苦ではないらしく、そんな彼女の姿を、祐司は微笑ましく見やった。そしてさり気なく車道側に回って綾乃と並んで歩き出すと、彼女がにこやかに笑いながら軽く祐司を見上げて告げる。
「それに……、ここは祐司さんの出身地に近いので、せっかくだからその空気と雰囲気を、じっくり味わいたいんです。そうしたら祐司さんの事がもっと良く分かるかな、とか」
そんな事を不意打ちで言われた祐司は一瞬歩みを止め、しかしそれと悟らせずに歩き続けた。そして僅かに動揺しながら、微妙に外した言葉を返す。
「……確かに同じ県内だが、実家はここから少し電車で移動するぞ?」
「分かってます。気分ですよ、気分。そこまで真面目に考えないで下さい」
くすくすと綾乃が笑って、二人は再び四方山話をしながら歩き出したが、更に五分程して綾乃が唐突に言い出した。
「でも……、普段のスーツ姿も素敵ですけど、祐司さんにはそういう格好も似合いますよね」
今日の祐司の出で立ちは、綾乃と同様デニムのジーンズとスニーカー、上にはフランネルのシャツと野球帽まで被っており、確かに仕事中は勿論の事、いつものデートでのコーディネートとも趣を異にしていた。しかしそれをしみじみとした口調で褒められた祐司は、微笑んで素直に礼を述べる。
「ありがとう。綾乃も可愛いよ?」
「嬉しいです。そういう格好だと祐司さんは若く見えますから、私と並んでもおかしく無いですよね!」
「…………」
若干照れながら綾乃は思うまま口に出したが、祐司は僅かに目元をひくつかせただけで、微笑みを湛えつつ無言を保った。
綾乃にしてみると、普段祐司と並ぶと自分の子供っぽさが際立っている気がして仕方が無かった為、今日はそれ程引け目を感じなくて良い位の意味合いだったのだが、祐司にしてみれば七歳年上という事で密かに年寄り扱いされていたのかと勘ぐって地味にへこんだ。しかしそんな祐司の心境を推し量れなかった綾乃は、楽しそうに歩き続ける。
「そう言えば……、祐司さんは『特に野球をした経験が無くて、詳しくない』とか言ってましたけど、お友達に野球好きの人はいなかったんですか?」
「それは、まあ……。それなりにいたな、うん。それが?」
「そのお友達とかも今日球場に観戦しに来ていて、私達とばったり出くわしたりしたら凄いですよね!」
「……そうだな。凄い偶然だよな」
あまり考えたくない可能性を指摘され、とうとう今日まで真実を打ち明けられなかった祐司は、内心で(そんな偶然、本当に真っ平御免だぞ!)と悲鳴を上げた。勿論、極力そんな事態を回避すべく、なるべく顔を隠せるようにつばが広めの野球帽まで調達して来たのだが、それは綾乃には言わないでおく。
そんなやり取りをしているうちに、二人は無事スタジアムに到着し、正面入口付近で祐司が綾乃に声をかけた。
「さて、チケットを買って来るか。綾乃、ちょっとここで待っててくれ」
「はい、大人しくしてます」
「よし、いい子だ」
笑顔で軽く頭を撫でて行った祐司の背中を見送り、綾乃はちょっとだけ拗ねてしまった。
(うぅ、また子供扱いして……。頭を撫でられるのは、嫌じゃ無いけど。でも嫌じゃないとか言ってる時点で、子供なのかもしれない……。何だか二重の意味で、悔しいんだけど)
そんな事を悶々と考え込みながら、綾乃は一人で佇んでいた。
(祐司さんからすれば、私なんて子供で危なっかしいのかもしれないけど、世の中にそうそう危険な事なんて……)
「あれ? 彼女、まさか一人で野球観戦? 寂しいな~」
「え? 私の事、ですか?」
唐突にかけられた声に、一瞬自分に対する呼び掛けとは思わなかった綾乃は、戸惑いながら声がした方に顔を向けた。するとあまり質(タチ)が良くなさそうな二人組が、嫌らしく笑いながら綾乃との距離を詰めてくる。
「他に誰がいるんだよ?」
「寂しく無いように、俺達が一緒に観てやるから。じゃあ行こうか」
そんな勝手な事を言いながら、二人が綾乃の両手を掴んだ為、さすが綾乃は慌ててその手を振り払おうとした。
「ちょ、ちょっと待って下さい! 私、ちゃんと連れがいます! 今、チケットを買いに行っているだけで!」
「俺達の方が良い席を取れるって」
「さあさあ、遠慮しないで」
「離して下さい!」
引き摺られかけた綾乃が顔色を変え、(大声で助けを呼ぼうかしら?)と本気で考えた時、予期せぬ方向から助けが入った。
「おい、お前ら。俺達の神聖な球場で、嫌がる女をナンパとは良い度胸だな?」
「どこのシマのアホだ、あぁん?」
男と同様に綾乃が声のした方に顔を向けると、マリーンズのユニフォームに身を包んだ、三十歳前後の体格の良い男が三人、不躾な二人組を睨み付けていた。そして綾乃達に近付きながら、毒舌を放つ。
「こんな間抜け面を入れる程、人員に困ってる組は、この辺には無いだろ」
「こいつら東京モンで決まりだな」
「ふんぞり返っている癖に、洗練されてねぇんだよな~。丸分かりだぜ」
口々にそんな事を言われた二人は鼻白んだが、物騒なオーラを周知に纏わせつつ近付いてくる三人に迫力負けしたらしく、若干後ずさった。
「……何だよ、お前ら」
「横からしゃしゃり出て来やがって」
しかし綾乃とナンパ男の間に割り込んだ三人組が、低い声で恫喝する。
「痛い目見たくなかったら、十秒以内にここから失せろ」
「十……、九……、八……」
「お、覚えてろよっ!」
「けっ! 誰がお前らの様な、ムサい野郎の顔なんか覚えとくか!」
捨て台詞にも嘲笑で返した三人組は、二人の姿が人混みに紛れて見えなくなってから、険しい表情を緩めて綾乃を振り返った。
「さて、カワイ子ちゃん、大丈夫だった?」
「はい。ありがとうございました。助かりました」
深々と頭を下げた綾乃が真顔で礼を述べると、男達が鷹揚に笑って頷く。
「気にしなくて良いよ?」
「当然の事をしたまでだし」
「球場の揉め事やトラブルを未然に防ぐのも、俺達応援団の役目だからな」
そう言って胸を張り、揃って豪快に笑った男達を見上げた綾乃は、地元で応援団の仲間に囲まれていた頃を思い出し、ちょっとだけ切なくなった。
(気の良い人達だなぁ。マリーンズファンの人じゃ無かったら、無条件でお友達になっちゃうんだけど……)
祐司からすると「そんな事、冗談じゃないぞ!」と狼狽しそうな事を、綾乃が結構真剣に考えていると、ひとしきり笑った男達が些か心配そうに綾乃に尋ねてくる。
「ところで君、ここには一人で来たのかな? それとも連れとはぐれたとか?」
「ウロウロしていると、また変なのに絡まれるかもしれないよ?」
「チケット売り場まで、連れて行ってあげようか?」
ナンパ等ではなく、親切心から申し出てくれた事は分かっていた為、綾乃は丁重に断りの台詞を口にした。
「いえ、大丈夫です。ご心配無く。今連れが、チケットを買いに行っている所ですので」
「ああ、そうなんだ」
「綾乃!」
「あ、戻って来ました」
話の途中で自分に呼びかける祐司の声が響き、綾乃は笑顔で祐司の来る方に向き直り、軽く手を振った。一方の祐司はチケットを購入して戻って来たら、綾乃が三人組に囲まれているようにしか見えない状態になっており、慌てて駆け寄ったのだが、取り敢えず綾乃が笑っているので安堵した。しかし思わず周囲を無視して、勢い込んで尋ねる。
「綾乃、どうかしたのか? 何か変な事でもされたか?」
「祐司さん、誤解です! この人達には、変な二人組に絡まれていた所を助けて貰ったんですから」
「あ、ああ、そうだったのか。すみません。連れがお世話になったみたいで」
「祐司?」
「え? げっ……」
慌てて綾乃が説明して誤解だと分かったものの、失礼な事を口走りかけた事を謝ろうと祐司が男達に顔を向けた途端、そこに旧知の人物が顔を揃えていた為に盛大に呻いた。しかし当然の事ながら、相手はそんな祐司の反応が気に入らなかったらしく、目を眇めて絡んでくる。
「……おい、何だよ、その反応」
「まさか俺達の顔を忘れた、何て薄情な事は言わないよな?」
「水くさいぞ祐司。同じ釜の飯を食った仲間だろ?」
そこで固まっている祐司と男達を交互に見やった綾乃は、不思議そうに問いを発した。
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