第10話 特訓決定

 その日、祐司は仕事を終わらせるのに手間取り、十分遅れて待ち合わせ場所に到着したが、その途端、貴子が容赦なく責め立ててきた。


「祐司、遅い! レディを待たせるなんて、なってないわね。意外に無神経でズボラだから、女とすぐ別れる事になるのよ?」

 その日は厄介な仕事にかかりきりになって疲労感満載だった為、反論する気も起きなかった祐司は、溜め息を吐き出して懇願する。


「姉貴、頼む……。そこら辺は結構気にしてるんだから、少しは手加減してくれ」

「それはともかくとして……。例のスマホを拾ってくれた子にお詫びを兼ねたお礼をしようとして、見事に失敗したのよね?」

 しかし姉がさらっと話題を変えてきた事で、更にダメージを受けた祐司は、本気でその場に蹲りそうになった。


「だから、そうサクッと切り込んで来るのは勘弁って言ってるだろ? 頼むから、黙って力を貸してくれ」

「分かったわよ。それで? 問題の店って言うのはどこなの?」

「すぐそこだから案内する」

 そうして連れ立って歩いて一分程で、祐司が前回綾乃達を誘った店の前に着いた。


「ここなんだけど……」

「取り敢えず入るわよ」

 そして祐司と共に店内に入った貴子は、店員に誘導される間、さり気なく他の客が注文して食べている物を眺めやった。そしてテーブルに着いてから、頬杖を付いて少し離れたテーブルに視線を向ける。


「ふぅん……」

「早速、何か気になる事でも?」

 何やら考え込んでいる貴子を見て、メニューを開いた祐司が尋ねたが、貴子は肘をテーブルから下ろして淡々と告げた。

「ちょっとね。でも、他人の食べている物をジロジロ見るのも失礼だし、食べながら判断するわ。注文は任せるから」

「ああ」

 そして祐司が前回頼んだ物と同じセットメニューを二人前頼んでから、ふと思い付いたように貴子に尋ねた。


「そう言えば……、姉貴はどうして広島風お好み焼きの食べ歩きなんかしたんだ? 仕事か何かで?」

 すると貴子は不愉快そうに、僅かに顔を歪めて話し出した。

「違うわ。プライベートでね。昔、付き合っていた広島出身の男に、関西風のお好み焼きを作って出したら『こんなお好み焼きと言えない代物が食えるか!』と文句を付けられたのよ」

 それを聞いた祐司は、本気で肝を冷やした。


「そいつ本当に、姉貴に面と向かってそんな事を言ったのか? 命知らずだな」

「そんな事を言われて黙って引っ込んだら、料理研究家の肩書きが泣くじゃない。だから完璧な広島風お好み焼きを作れるように、試食と研究を重ねたわけ」

 吐き捨てる口調で説明された祐司は、恐る恐るその結果を尋ねてみた。


「ご苦労様。それで? その結果はどうなったんだ?」

「三ヶ月後に作って奴に食べさせたら、『美味い! これこそ本物のお好み焼だ!』と満足して貰えたわ」

「へぇ、それは良かったな。頑張った甲斐があったみたいで」

 そう祐司がホッとしたのも束の間、貴子がいきなり般若の形相になった。


「全然、良くないわよ。奴はそれを綺麗に完食してから、『いやぁ、これだったら本場で店を出してもやっていけるぞ。やっぱり貴子は、俺が居なくても大丈夫だな。悪いけど、他に守ってやらないといけない女ができたから、今日ですっぱり別れてくれ』とふざけた事をほざきやがったから、フライパンで殴り倒してやったわ」

「……ご愁傷様です」

 思わず呟いた祐司の言葉に、貴子が鋭く突っ込みを入れる。


「今の台詞は、あっさりふられた私に対して? それとも殴り倒されたあの下衆野郎に対して?」

「両方……、いって!」

 つい正直に答えてしまった祐司の額を、貴子がテーブルにあった割り箸で勢い良く突き、祐司は額を押さえて呻いた。それを冷たく眺めながら、貴子が無表情で立ち上がる。


「帰らせて貰うわ」

「ちょっと待って! 悪かった、謝る。何が拙いのかを教えてくれ。頼むから!」

 咄嗟に自分の腕を掴み、必死の表情で懇願してきた異父弟を見て、貴子は溜め息を吐いて元通り座った。


「全く、しょうがないわね。分かったわよ、付き合ってあげるから」

「お待たせしました~」

 その時、絶妙のタイミングで店員が注文の品を運んで来た。そしてテーブルに手際良く並べられたお好み焼き、ミニサラダ、スープを眺めた貴子は、中央の鉄板に乗っているお好み焼きを指さし、祐司に短く確認を入れる。


「本当に、これを注文したの?」

「ああ。そうだけど」

 祐司も端的に答えると、貴子は困惑顔で感想を述べた。

「……これじゃあ、食べないかもね」

「どうして?」

 食べもしないうちからどうして断言出来るのかと、祐司は怪訝な顔になって尋ねたが、貴子は無言のまま割り箸を割り、問題の物に箸を伸ばした。


「まず……、キャベツと麺と肉の比率がなってないわ。山盛りにすれば良いって物じゃ無いのよ?」

「そうなのか?」

 お好み焼きを箸で切りながら遠慮のない感想を述べた貴子に対し、祐司がまだ要領を得ない顔付きで応じた。更に中の具材を確認した貴子が、鋭く詳細について指摘する。


「しかも、もやしが細もやしじゃないなんて、信じられない……」

「細もやし?」

「ブラックマッペの事よ」

「ごめん、分からない」

 そして切り分けながら食べ始めた貴子の、容赦が無さ過ぎる判定が続く。


「それから、中華麺が茹で過ぎ」

「そんなに柔らかいか?」

「生地の厚さにムラがある」

「ほとんど気にならないけど……」

「青ノリがかけすぎで、味のバランスを壊してるわ」

「いや、青ノリの味って、別に気になる程じゃ」

「極めつけは」

 そこで「はぁ……」と、如何にも救いようが無いと言う感じで目の前で盛大に溜め息を吐かれた祐司は、控え目に続きを促した。


「何がそんなに拙いんだ?」

「ソースが、オタフクソースじゃ無いわ」

 真顔できっぱり断言した貴子に、祐司が半ば茫然としながら確認を入れる。

「……それ、重要なのか?」

「当たり前でしょうが! あんた、何を言ってるのよ!?」

「……すみません」

 本気で叱りつけられて祐司が反射的に謝ると、貴子は難しい顔になって考え込んだ。


「だけどそうなると、これは結構厄介かもしれないわ」

「何が?」

「その子、食べないうちから泣き出して『食べられない』って帰っちゃったんでしょう?」

「……ああ」

 その時の事を思い出し、無意識に憮然とした表情になった祐司だったが、その弟に貴子は真剣な表情で問い掛けた。


「ソースの香りでもう駄目だと思ったのかもしれないけど、僅かに見えた具材を素早く判断して断ったかもね。これがどういう事だか分かる?」

「どういうって?」

「地元の愛着が有るものには、トコトン拘る熱い子って事よ。あんたから電話で話を聞いた限りじゃ、内気で控え目な子らしいけど、そんな一面も有るって事を、考慮しないとね。ただ内気なだけなら、どんな物が出ても相手の顔を潰さないように、黙って食べて帰るんじゃない?」

「確かに、そうかもしれない。じゃあ姉貴。そんな子が満足できる、広島風お好み焼きを出す店を、紹介してくれないかな?」

 姉の言う事に尤もだと頷き、更なる助力を求めた祐司だったが、その申し出を貴子は一蹴した。


「祐司! あんた、人の話を聞いてるの!? そんな子相手に、小手先の謝罪でお茶を濁そうとしても駄目でしょうが!」

「はぁ? じゃあどうすれば良いんだ?」

「簡単よ。あんたの誠意を見せる為に、自分で非の打ち所が無い広島風お好み焼きを作って、その子にご馳走すれば良いのよ」

 そう言い切って食べるのを再開した貴子に、祐司が困惑しきった声を上げた。


「え? いや、ちょっと待ってくれ、それは……」

「姉弟の 誼で、特別に個人授業料はタダにしてあげるわ。気合いを入れて頑張りなさい」

「だからちょっと待てって」

「善は急げよ。直近のあんたの休みを教えなさい。私のスケジュールと照らし合わせるから。実際にご馳走する時は、その場所に私の家を提供するしね」

「姉貴……」

「何よ、何か文句でもあるの? 私がここまでしてあげるって言ってるのに。その子に度重なる非礼を詫びて、すっきりしたいんじゃなかったの?」

 軽く睨まれながらそんな事を言われた祐司は、反論を諦めて軽く頭を下げた。


「……お願いします」

「よし、最後まで面倒見てあげるから、安心しなさい。ビシビシ鍛えてあげるから!」

 もはや自分の意見など聞いて貰えないと悟った祐司は、諦めて手帳を取り出して、自分のスケジュールを貴子に伝えた。



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