第18話 私が呼ばれた理由
「まあ……、最後は負けたけど、今日は皆お疲れ様でした。乾杯!」
川田さんの一声で、打ち上げが始まる。
先ほどまで、こわばった表情で盤を見つめていた人たちとは思えないほど、皆、和やかだ。
「ねえ……。この打ち上げの場所って、もしかして、千秋のためなのかな?」
「そんなことないと思うわよ?」
「だって、焼き鳥屋さんだよ」
「……、……」
隣に座った美香がささやく。
私がいくら焼き鳥が好きだからと言って、チームの打ち上げ場所をわざわざ焼き鳥屋に変更するとは思えない。
ただ、私も美香と同じことを考えていたのだが……。
川田さんなら、そのくらいの気を回すことはしそうな気がする。
「あ、違いますよ。ここで毎回打ち上げをしていますから……」
美香と反対の隣に座った慎也には、聞こえてしまったようだ。
美香は笑いながら、
「そうよね。千秋のためなわけはないわね」
と、私の肩を叩く。
「ところで、川田さんは何処へ行ったの?」
「川田さんは、いつも他のチームの打ち上げに顔を出すんです」
「そう……」
「でも、今日はすぐに戻ると言ってました。千秋さんに話があるから……、って」
「千秋に?」
「ええ……」
美香は不満そうな声を出しているが、一応、今日、川田さんに呼ばれたのは私だ。
「ねえ……、慎也君」
「はい?」
「私、今日一日観ていて思ったんだけど、川田さんってかなり将棋が強いのではない?」
「ええ……。正直、今でも僕よりは強いです」
「そうよね。慎也君の将棋も解説してくれたんだけど、私、ルールも知らないのに熱中しちゃったわ。それって、かなりの力量がないと出来ないことかな……、って」
「……、……」
「それなのに、どうしてご自分で指さないの? 指す資格がない……、とご本人は仰っていたけど……」
「それは……」
慎也は口ごもった。
事情を知ってはいるが、慎也から言って良いのか分からないようであった。
「それは、私が教えてあげるわ」
「た、高梨さん……」
高梨さんは、グラスを片手に席を移動してきた。
少し離れたところに座っていたのに、ちゃんと聞いていたようだ。
「だって、千秋ちゃんもだけど、美香ちゃんも知りたいでしょう?」
「あれ、高梨さん、気が付いていたんですか?」
「私は、男の気持ちも、女の気持ちも分かるのよ。美香さんが監督をどう思ってるかなんて、お見通しよ」
「僕は、千秋さんに聞くまで分からなかったのになあ……」
「あはは、慎ちゃんはもっと修業が必要ね」
「そうかもですね」
慎也は苦笑しながら頭をかいている。
美香は、気が付いていたと言われて嬉しそうな顔をしているし……。
長い付き合いだけど、美香のこういうところは良く分からない。
私なら、図星を刺されたら、恥ずかしくて赤くなってしまいそうなのに……。
「監督はね……」
少し声のトーンを落として、高梨さんが話し始めた。
高梨さんは、チームの歴史から話した。
元々このチームは、将棋の研究会が母体なのだそうだ。
しかし、研究会自体がなくなり、社団戦に参加するチームだけが残り、今に至っているらしい。
研究会時代から、ずっと幹事をやっておられた人がいた。
その方が、社団戦のチームも統括していたそうだ。
つまり、川田さんの前の監督さんがいたのだ。
川田さんは、前の監督さんとは、学生時代からの付き合いらしい。
前の監督さんが先輩で、川田さんが後輩……。
将棋については、その方の影響が大きいそうで、以来、川田さんはずっとチームに在籍している。
10年ほど前……。
前の監督さんが突然チームを辞めた。
将棋の力量的にはすでに川田さんの方が上で、どうもその辺について何らかの確執があったようだ。
ただ、高梨さんも詳しい事情は知らないのだと言う。
前の監督さんがチームを辞め、引き継いだのが川田さんだ。
しかし、監督になって以来、彼はパッタリと将棋を指さなくなった。
誰が理由を聞いても、
「指したい気持ちが強い奴が指すべきなんだ……」
と、川田さんは言うだけで、詳しく指さない理由を話そうとしない。
「監督は、才能がある将棋じゃないのよね。でも、情報収集が抜群に上手いの……。だから、前の監督さんは嫉妬したんじゃないかしら。あまり努力もしないのに強くなったように見えるから……」
そう言って、高梨さんはハイボールを飲んだ。
「それって、川田さんに責任があることじゃないと思います」
美香が、悲壮な顔で高梨さんに抗議した。
「だって、川田さんなりに頑張ったから強くなったのでしょう? それが原因なんて……」
「そうね、理不尽ね。でも、追い抜かされるって辛いことなのよ。その人が頑張っていれば頑張っているほどね……」
「……、……」
「監督は誤解されやすいけど、本当はしっかり努力しているわ。誰よりも最新の定跡とかに詳しいし……。でも、それを誰にも言わないのね」
「……、……」
「まあ、結局、将棋を指すか指さないかは、本人が決めるしかないことだから。私もそれ以上のことは言えないのよね」
美香は、尚も不満そうだったが、高梨さんにそう言い切られてしまっては、何も言えなかった。
私は、どちらかと言えば美香の気持ちの方が分かる。
高梨さんくらいの大先輩なら、川田さんにもっと強く言えるような気もするし……。
「私ね、将棋を再びやりだしたのは、監督の影響が大きいの」
「えっ?」
「すっかりさび付いていたのを、彼が元に戻してくれたのね」
「……、……」
「そう言う意味で、私はとても感謝しているの」
「……、……」
「彼は、私の将棋が弱くなっても、おかまになっても、いつの時も変わらずに接してくれたのね。それに、私の将棋が元に戻ると本気で信じてくれたのも、彼だけだったわ」
「……、……」
「だから、ずっと見守るつもりなの」
「……、……」
美香は、何も言わなくなってしまった。
高梨さんも、それ以上、何も話さない。
焼き鳥屋の店内は、日曜の夜だと言うのに騒々しく盛り上がっていた。
しかし、私の周りだけは、妙にしんみりとし、打ち上げと言う雰囲気ではなかった。
「どうした、せっかくの打ち上げなのに?」
「か、川田さん……」
「何だよ……。美香ちゃんまでしけた顔しちゃって」
「だって……」
「先日も言っただろう? 美香ちゃんは笑ってた方が良いって。覚えてないのかい?」
「……、……」
美香は、たしなめられたと言うのに、少し嬉しそうな顔をしている。
やはり、美香は川田さんがいないので不満だったのだ。
「あの……、川田さん」
「何?」
「私、先週末にメールをしたんですけど……」
「ん、そうだったの?」
「ご迷惑だったから読んでもらえなかったのかと……」
「いや、そういうことじゃない。美香ちゃんには悪かったけど、俺はいつもそうなんだ」
「……、……」
「仕事関係のメールがひっきりなしに入るから、登録してないアドレスからのメールはスルーしてるんだよ」
「じゃあ、私のアドレスを登録していただけますか?」
「ん? ああ……、構わないけど」
美香は、突如、大胆なことを言い出した。
さすがの川田さんも、面食らったような顔をしている。
「もし、今度詐欺に遭ったら怖いので……。すいません」
「まあ、極力対応するつもりだけど、すぐに反応がなかったら何度かメールしてみてね」
「はい……。諦めずにしますね」
「……、……」
かなりとってつけたような理由だが、川田さんにアドレスを登録させて、美香はしてやったりの表情だ。
こういう機転の利かせ方は、私には出来ない。
高梨さんは、美香の強引なやり方を見てニヤニヤしている。
「あ、そうそう……。千秋ちゃんに話があったんだ」
美香のアドレスを登録し終わると、川田さんはそう言って真顔になった。
「今日の朝、俺が言ったことは覚えているかい?」
「……、……」
「将棋は依存症みたいなタチの悪い趣味だ……、って言ったよな?」
「はい……」
「今日一日観て、どうだった? 俺が言った意味が分かっただろう」
「……、……」
私は返答に困った。
確かに、依存症みたいなところはあるのだろう。
正直、天田君のような人がいるとは思ってもみなかったが、現実に命を賭けていた人も見てしまったし……。
ただ、それがすなわちタチの悪い趣味かと言われれば、そうとも思えない気がする。
少なくとも、参加している方々の真剣さを否定するわけにはいかないようにも思うのだ。
しかし、慎也が天田君のように命を賭けてしまったらどうしよう……、とは思わないではない。
慎也に限って……、とも思うが、天田君に負けた時の、あの慎也の悔しそうな顔を見てしまうと、まったく否定も出来ない気がするのだ。
「これから、慎ちゃんと付き合っていくと、きっと、将棋が憎いような時もあると思うんだ。あれだけマジにやっていると、天秤に掛けられてるような気にもなるだろうし……」
「……、……」
「千秋ちゃんだって、色々と精神的に追い込まれることだってあるだろうしね」
「……、……」
「そういう時って、どうしても将棋を辞めて欲しい……、とかって思うんだよね、大抵」
「……、……」
「だけどさ、これだけは言っておくよ」
「……、……」
「慎ちゃんと末永く付き合いたいのなら、将棋を取り上げるのだけは止めた方が良い」
「……、……」
「慎ちゃんは真面目だからさ……。千秋ちゃんに言われれば辞めてくれるとは思うんだ」
「……、……」
「だけど、将棋を取り上げた後に出来たポッカリ空いた穴には、埋まるべきモノがないんだ」
「……、……」
「もし、他の勝負事や趣味で埋めようと思ったら、金も精神もバランスを崩すよ。俺は何十人とそういう奴を見てきているから、断言出来る」
「……、……」
そんなことを言われても……。
私は何とも返答のしようがない。
私は、今日、初めて将棋と接した。
慎也が将棋と深く関わっているのも、今日知ったのだ。
それなのに、いきなり取り上げるなと言われても……。
私は、チラッと慎也を見た。
心配そうな慎也と目が合う。
慎也の目は、
「千秋さんの思った通りに答えれば良いんですよ……」
と、語っているように感じる。
でも、私の思った通りと言われても……。
私、まだ、言葉にならないの……、慎也君。
「監督……。それは千秋さんが可哀想よ」
「高梨さん?」
「千秋さん……、今日の朝、初めて知ったのでしょう? それをすぐに判断しろなんて、横暴よ」
「ん……。ああ……。すまん、千秋ちゃん」
「ただね……。監督の言っていることは間違ってないの。それを一番よく知っているのは私なのね。だから、監督の言ったことを覚えておいてね。いつか、必ず、千秋ちゃん自身がそれを分かる時が来るから……」
「……、……」
高梨さんの言葉は優しかった。
そして、川田さんの言葉も、何とも答えようがないけれど、私と慎也のことを想ってのことであることは感じ取れた。
「あの……」
「いいのよ……、千秋さん。無理に答えなくて……」
私は、無理に答えようとしているわけではない。
それどころか、どうしても言葉にならない想いを伝えたいとさえ思っていた。
「私……、将棋のことは分からないです。今日、一日中、何故こんなに皆さんが真面目にやっているのか分からなくて……」
「……、……」
「でも、慎也君と、川田さん、高梨さんを見て思ったんです。何か通じ合っている、と……。言葉も交わしていないのに、想いが伝わっているなあ、と」
「……、……」
「だから、凄く羨ましかったです。私もいつか、慎也君と同じようになりたいと思いました」
「……、……」
「ごめんなさい……。言葉が旨くまとまらなくて……」
「いや……、千秋ちゃんの気持ち、良く分かったよ。もう、それ以上言わなくて良い。俺が悪かった」
川田さんは、私に向けて深々と頭を下げた。
そんなつもりじゃなかったのに……。
「さあ、飲みましょう。もう、しんみりモードはお終いよ」
高梨さんは、川田さんをポンポンと叩いて、頭を下げるのを止めさせた。
川田さんも、それに素直に従っている。
「せっかく飲み放題なのに、皆、あまり飲んでないんじゃない? ダメよ、景気よく飲まなきゃ……。打ち上げなんだからね」
「……って言うか、今日、四連勝の人は打ち上げでも景気が良いね。何しろ、元奨励会三段を破っちゃうんだから、立派なものだよ」
「何を言っているの? 私は四連勝でも、四連敗でも、お酒は美味しく飲むわよ」
「あはは……。まあ、違いないね。ほら、慎ちゃん……。千秋ちゃんと美香ちゃんのグラスが空いたままだぞ」
高梨さんと川田さんは、自分たちの飲み物も注文した。
慎也は、皆のオーダーをとり、店員にそれを伝えている。
「千秋……。すっかり女になったわよね」
美香は、そう私の耳元でささやく。
女に……、って。
私にはそれがどういう意味かは分からなかったが、その言葉の触りに、微妙に甘美なものを感じていた。
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