私の彼は、何だか怪しい

てめえ

第1話 彼は私にベタ惚れの……、はず

 遅い……。

 もう、何回心の中で呟いただろう。

 待ち合わせは、間違いなく11時だったのに。

 慎也はまだ現れない。


 渋谷のモヤイ像の前で、私はもう一時間近くも待っている。

 モヤイ像は、ハチ公ほどメジャーな待ち合わせ場所ではないが、それでも渋谷を利用する若者で知らない人はいない。

 私は以前、ハチ公前で待ち合わせをし、ねずみに襲われかけたことがある。

 だから、慎也がハチ公にしようと言ったのを、半ば強引にモヤイ像に変えさせた。


 まさか、この大遅刻の原因がモヤイ像だとは思えないが、彼がハチ公前で待っているのではないかという万一の懸念を、私は払拭しきれていない。


 いや、そんな訳はない。

 先ほどからラインで呼び出しても、まったく反応がないし。

 30分前に出したメッセージは、いまだに既読になっていない。


 既読になっていないと言うことは、慎也がスマホの周囲にいないか、寝ているか……。

 まさか、気付いてスルーしているってことはないだろう。

 今日の土曜日にデートを設定したのは、慎也の方なのだから。

 だとすると、スマホを忘れて取りに戻っているか、急な体調不良で寝込んでいるのか。

 何れにしても、致し方のない事態なのかも知れない。





 慎也と昼のデートをするのは、今日で二度目だ。

 もっと言うと、今日は私の生涯、二度目のデートだ。


 35になるこの歳で、私は慎也としかデートの経験がない。

 威張るわけではないが、現状ではまだ処女だ。

 性交渉の経験もないが、慎也以外の異性と付き合ったこともなかった。


 異性との関係を持たなかったことに、何の理由もない。

 よく、

「学生時代は女子校のエスカレーターだったので……」

なんて女性もいるが、私は、ずっと公立の共学だったし、大学も四大で男子学生も普通にいた。


 では、何故、これまで男性と人間関係を深めることが出来なかったのかと言うと、これまた明確な理由はない。

 本人的には、容姿と性格に問題があるようには思うが、学生時代の友人に言わせるとそれも違うのだそうだ。


「千秋は、顔立ちも良いし、スタイルも良いわ。ちょっと、背が高いのが玉に瑕だけど、それ以外は概ね完璧……。性格も、良く話をすれば凄く繊細で他人に思いやりがあるし……」

部分的にツッコむ要素はあるが、かなり高評価のようだ。

 容姿の「概ね完璧」や、性格の「良く話をすれば」などは、友人だから気を遣ってくれているとしか言いようがないが……。


 この辺りの表現は、

「致命的な部分がないわけではない……」

「話をしなければ、素っ気なく冷たい女に見える……」

と言い換えられる。

 

 容姿の方は、メガネを掛けていることが致命的な部分だろうか。

 私のメガネは、強度の近眼なこともあり、レンズが厚い。

 それを目立たせないために黒く太い縁のフレームなのだが、これが著しく評判が悪い。

「絶対、コンタクトにした方が良い」

 過去、何人の心ある友人にそう言われたことか……。

 しかし、十年一日の如く、私はメガネで押し通している。


 性格の方も、自覚がないではない。

 確かに、喜怒哀楽を表に出す方ではないからだ。

 ただ、これはリアクションが遅く、感情表現が間に合わないだけで、本人は内心で大いに揺れているのだ。

 調子外れなリアクションを後からされても、私も、周りも困るだろうから表に出さないだけだ。





 私より後からモヤイ像前に来た若者達が、次々に目的を遂げ、立ち去っていく。

 その多くが男女一人ずつの組み合わせ……。

 関係が深いかどうかは知るよしもないが、どの人も楽しそうな雰囲気を漂わせている。


 先週のデートの時は、私と慎也もそうだったのだ。

 ……とは言っても、人生初のデートで緊張していた私が、楽しそうな雰囲気を醸し出していたと思うのは、若干、思い出補正が入っているような気もする。

 動物園に行くのに、私の格好が、出社時と同じような素っ気ないグレーのパンツスーツ姿であったことも、私と慎也の間だけの秘密である。


 それにしても、渋谷を道行く女性達は、どうしてこんなにオシャレなのだろう?

 梅雨時は、いつ雨が降るか分らないから、私などは、つい雨対策のために実用的な格好を選びがちなのに。

 ひらひらしたスカートは、泥でも跳ねたら汚れが目立ちそうだし、色の薄いブラウスは、雨に濡れたら下着まで透けそうだし……。

 そんなリスクなど、とっくに折り込み済みなのだろうか?


 とりあえず、今は雨も降ってはいないから、余計なお世話なのかもしれないけれど。





「千秋は、美人だし性格も良いのに、雰囲気がブスなのよね」

これは、大学時代の友人美香が、先日行われた馴れない合コンの際に、男性陣がいる前で放った言葉だ。

 意味不明な中傷とも、褒め言葉ともとれない表現に、多少ムッとした記憶がある。


 しかし、「雰囲気がブス」の部分がやたらと印象に残ったのは、これについてはかなりの自覚があるからだ。

 美香の言うとおり、私からは長年異性関係を培ってこなかった負のオーラが出ているだろうし、その負のオーラを当然のごとく身にまとう人格も存在する。

 つまり、美香からは、異性関係をあきらめきっているのを、婉曲に指摘されたのだ。


 誰に迷惑を掛けているつもりもないが、指摘を否定する根拠もない。

 だから、美香の発言にも、曖昧な笑いを浮かべてやり過ごすつもりであった。


 そんな、負のオーラをまとった妖怪のような私を、「雰囲気がブス」と言う発言をものともせずに、合コンに参加の4人の女性から見出したのが、慎也だった。


 件の合コンで、私と美香は最年長の35歳。

 慎也は、逆に最年少の23歳。

 干支の一回り違う彼が、端の席の私の前に座ったときには、何の嫌がらせかと思ったけれど、意外にも積極的に話しかけてきたのは慎也の方だった。


 最初は、積極的に話しかけられて鬱陶しかった。


 何故に否定的な見方をしていたかと言えば、アパレル関連の企業に勤めていると言うとおり、彼の格好がイケていたから……。

 黒い三つボタンのスーツに、コバルトブルーのシャツ、そして、ネクタイはレモンイエローと言う華やかさ。

 髪の毛は染めているのか穏やかなライトブラウンで、サラサラしたナチュラルウェーブが爽やかな印象をいやが上にも高める。


 しかし、彼氏いない歴35年の私が、好印象な若い男性をそのまま受け入れるわけがなかった。

 負のオーラと同様に、ネガティブシンキング全開の私にとって、慎也のような存在は最初からアウトオブ眼中なのだ。

 だから、何を聞かれても答えはぞんざいだったし、年上風も吹かせまくった。


 好きな食べ物を聞かれれば、

「やきとりの砂肝……」

と、答え、特技は何かと尋ねられれば、

「簿記一級……」

と、答える。

 揚句の果てに、趣味を聞かれたら、

「寝ること……」

と言い出すのだから、色気も素っ気もありはしない。

 もちろん、どれも本気で言っているしウソではない。

 ウソではないが、他にも選択肢がありそうなものだ。


 しかし、敵はそんな放言ではビクともしなかった。

 それどころか、自身のプライベートな部分まで話し出すではないか。

「本当は、合コンって初めてで、ビビッていたんです……」

とか、

「女性と話すのは苦手なので、千秋さんの前で助かりました……」

などと、親近感を漂わせだす。


 後の述懐によると、サバサバした私の口調が妙に喋りやすく、本気でそう思っていたようだ。

 ただ、意固地な私は、相変わらず負のオーラで身を固め、ひたすら時が過ぎるのを待っているだけであった。


 ……って言うか、そもそも、私は合コンに何をしに行ったのだろう?





「プルッ、プルッ……、プルッ、プルッ……」

待つこと二時間にして、ようやく私のスマホが鳴った。

 言うまでもなく、慎也からの着信だ。


「ご、ごめんなさい……」

「どうしたの? 何かあった?」

「いえ、詳しいことは逢ってから話しますが、今、起きたばかりなんです」

「……、……」

慎也の声は、いつもと違い、しわがれた老人のようだった。

 確かに、寝起きのようだ。


「千秋さん、申し訳ないですけど、何処かでお昼を食べていてくれませんか?」

「……、……」

「今から即行で家を出て、一時間で行きますから……」

「それは良いけど、慎也君、身体は大丈夫なの?」

「はい、不覚をとっただけなので……」

「じゃあ、渋谷に着いたら電話して」

「本当にすいません……。このお詫びは、逢って必ず……」

「……、……」

とにかく、連絡だけはついた。


 大遅刻は確かに腹は立ったけど、それよりは、慎也に何もなくて良かった。

 いつもは、うるさいほど連絡をとりにくる彼のことだから、きっと、理由があるのだ。

 短い付き合いだけど、ただ単に寝坊するような人でないことは、私にも分る。





 合コンの直後から、慎也は私に頻繁にメールを寄越すようになった。

 私はアドレスを教えていなかったのに……。

 どうやら、合コンの幹事だった美香に聞いたらしい。


 合コンの翌日、朝はおはようのメールから、夜はおやすみのメールまで、一日に7、8回はメールが来た。

 私の方は、

「律儀な人なのかな?」

程度の認識しかなかったが、普段から意外と筆まめな私も、その都度メールを返していた。

 メールは、その日だけで終わらず、次の日も、またその次の日も続いた。


 最初は、過ぎし日の合コンなどの話題が多く、割と自然にメールが続いていた。

 しかし、三日もすると、慎也は段々メールのネタがなくなってきたようで、仕事関係の愚痴まで書いてくるようになった。


 この頃になり、私はようやく気がついたのだった。

「もしかして、慎也君って、私のことを異性として見てる?」

と……。

 経験がないと言うのは恐ろしいもので、合コンで出逢ったにも拘わらず、私は異性として見られている自覚がなかったのだ。

 

 自覚が出てきたからと言って、私の態度は変わらなかった。

 変わらなかった……、いや、どう変えれば良いか分らなかったのだ。

 だから、相変わらず淡々と返信をし、決してこちらから話題を振ることも、必要以上の返信をすることもなかった。





 昼食を何にしようか考えたが、人混みの中で、独りでわびしく食事をするのが嫌で、スタバに入った。

 幸い、お腹はまだ空いていない。


 コーヒーを飲むだけなら、独りでもなんとか様になる。

 私がスタバに入った理由は、それだけだった。


 スタバでも軽食はとれるが、今、甘い物を食べる気持ちにはなれないし、いつ、慎也から連絡が入るかの方に気が行っていて、結局、ラテだけを注文した。

 慎也との電話を切って、まだ、15分……。

 そんなに早く連絡が来るわけもないのに、スマホの画面ばかりを見つめている。


 ラテが半分ほどなくなった頃、フッと、私が慎也のことばかり気にしていることに気がついた。

 三週間前までは、こんな気持ちになるとなんて思わなかったのに……。


 人なんてものは、都合良く変わるものだ。

 あれほど意固地だった私が、慎也と付き合うことでこれだけ変わるのだから。


 以前の私だったら、きっと二時間も待たず、帰ってしまったことだろう。

 それに、腹を立てたら、斬りつけるような台詞を吐いて、電話も切ってしまったことだろう。


 そう、慎也が私を想ってくれるのと同じくらい、私も慎也のことが好ましいのだ。


 今では、慎也のメールが来ないと、不安になるほどだ。

 年の差も、彼氏いない歴35年も、負のオーラも、ネガティブシンキングも……。

 すべて、今の私には無縁の事柄になっている。





 ある日、突然、慎也からのメールが途絶えたことがある。

 合コンで知り合ってから、一週間くらいが経った頃のことだ。

 あれほど来ていたメールが、一日に一度も来なかったのだ。


「ああ……、飽きられたな」

私の反応は冷ややかだった。


 元々、慎也が何故、私に好意を持ってくれているのか分らなかった。

 それに、私の対応は、異性として見てくれる人間にとる態度でもない。

 そもそも、私が慎也のことを異性として見ているかも怪しかった。


 だから、飽きられても仕方がないと、メールを続けながら思っていたのだ。

 こちらからメールをしたこともないので、途絶えたらそれきりで仕方がないとも思っていた。


 しかし、メールが途絶えたのは、一日だけだった。

 私からメールが来ないことに不安を感じ、慎也は、美香と相談した上でメールを再開したのだった。


 何故、メールが途絶えたか……。

 それは、合コンにも参加していた慎也の上司が、

「女性なんてものは、押すだけじゃダメなんだ。たまには引いてみろ」

とアドバイスしたからだったそうだ。

 純朴な慎也は、それを鵜呑みにし、メールを送るのを止めたのだった。


 慎也が美香に相談したのは、間違いなく正解だった。

 不安を感じた直感力も、なかなかのものだ。

 私は、あきらめる気満々だったのだから……。


「慎也君、ダメよ! 千秋にそれは通用しないわ」

さすがに付き合いが長い美香である。

 私の思考を看破して、すかさずメールを再開することをアドバイスしたと言う。


 そして、更に、

「メールだけじゃダメ。千秋の鈍さは天然記念物クラスなんだから……」

と言ったらしい。





 ラテを飲み干したら、急にお腹が空いてきた。

 そろそろ2時になるのだから、当たり前か。


 きっと、慎也も食事をしていないだろう。

 逢ったら、まず、何処で昼ご飯を食べようか……。

 慎也は麺類が好きだから、ラーメン屋でもいいかな?

 せっかく、渋谷にいるのだから、オシャレにパスタなんかも良いかもしれない。





 美香は、慎也にアドバイスをした際に、直接逢うことを提案した。

 しかし、私が素直に応じるわけもないので、策を授けたそうだ。


「私と、慎也君、それに千秋の三人で、砂肝の美味しい焼き鳥屋に行きましょう……、と誘うのよ。美香さんには、もう了解はとってあるから……、とも添えてね」

 これが、美香の授けた策だと言う。


 なるほど……、良く考えられている。

 美香が加わるとなれば、私だけが無碍に断るわけにもいかないし、私のようなひねくれ者は好物くらいではないと釣りにくい。


 私は、美香に散々文句を言ったのだ。

「私に相談もなしに、どうして勝手に決めたの?」

と……。


 しかし、確信犯の美香は、

「美味しい砂肝、食べたくない?」

と論点を逸らし、不平を言う私をまんまと焼鳥屋に誘い出した。


 そして、私は、慎也から告白された。

「真剣なんです、付き合って下さい」

と……。

 田園調布駅の、駅前の焼鳥屋で……。

 美香が私の横に座っていたにも拘わらずだ。


 その焼鳥屋の砂肝が、美味しかったかどうかは覚えていない。





「プルッ、プルッ……、プルッ、プルッ……」

慎也からだ。

 渋谷に着いたのだろう。


 少し遅くなってしまったけど、ようやくデートが始まる。

 付き合いだして二週間目にして、生涯二度目のデートが……。


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