5:対峙する二人


 ***


 放課後。旧校舎。

 俺はカクタを呼び出した。

「話ってなんだい、オガミくん?」

 カクタのニコニコした顔はいつだって不気味に感じた。それまで理由は分からなかったが、今なら分かる。

 こいつは、仮面を被っている。

「あれ? それより、僕らって話したことあったっけ?」

 カクタからすれば違和感があったのだろう。この時点では一度も話したことのない俺が、いきなり呼び捨てで呼んだことに。

「あ……いや、悪いな。馴れ馴れしくて」

「ううん。気にしてないよ。というか、ね。質問があるんでしょ?」

「ああ」

 俺は、息を飲み込む。

 言葉を迷った。

 しかし、遅かれ早かれ聞くことになるのだ。なら直球で聞いた方が良い。

「……『ナイフ』のことだ、って言って意味分かるか?」

 問う。

 カクタの表情が変わる。笑顔が失せる。無表情。

「何の話?」

 返答は食い気味だった。

 真っ黒な威圧感が俺の言葉を消そうとする。

 一瞬、うろたえた。

「ああ、いや、その」

 だけど、ここで負けてはいけない。

「……お前も分かってるだろ。双子の話だ。『巻き戻しナイフ』の」

 言い直す。

 無表情の顔は凍ったように動かない。

 どこからか、双子の笑い声が聞こえた気がした。

 無音の時間。それが数秒続く。

 カクタが顔を下に向けた。表情が見えなくなる。

 そして、

「……あははははははははははははは!!」

 あの笑い声。

 気味の悪さに鳥肌が立つ。後ろに一歩下がり距離を取った。怖い。けれど二度目だ。この怖いカクタを既に、俺は見ている。

 カクタが顔をあげた。口元がゆがんでいる。

 そしてまた無表情になり、まばたきもせずに早口で話をしだす。

「うん。分かるよ。巻き戻しナイフでしょ。たぶんそれを今オガミくんが持ってる」

 コトンコトンと足音を立てて、俺のそばに寄ってくる。

 スッと、相手の右手が動く。

 そして音もなく、前触れもなく、俺の腹に冷たい何かを押し当ててくる。

 見なくても分かる。ナイフだ。

「……安心してよ。殺さないから」

 耳元で囁かれる。死ぬかと思った。

「……何の冗談だよ」

「こうやって気を抜いている君を、僕はいつだって殺すことだってできるよ? でもしても意味ないから刺さないよって言いたかったの」

 見えない刃で頬をかすめてくるような、そんなセリフ。

 カクタが俺から離れる。ニヤニヤしていた。

「殺さない理由は分かる?」

「……分かんねーよ」

「殺してもまた時間を戻したら、君がこの場面をもう一度作っちゃうからだよ。だから意味がないんだ」

「……は?」

 急に言われても、すんなり納得できない。

「つまりね、僕が君を刺したら時間が巻き戻るだろ? そうやって巻き戻したとしても、同じ人生を過ごしたら僕の前にナイフを持った君はまた現れる。そして同じことを繰り返すんだ」

「ああ……なんとなく理解できた」

 つまり、永久ループに陥ってしまうということだ。

 ここで俺を殺したとしても、カクタは人を殺したまま普通に人生を過ごすことはできないため、時間を巻き戻すはめになる。しかし、時間を巻き戻したとしても同じ人生を歩めば再び同じにようにナイフを持った俺が現在の状況をまた作ることになる。なら、ここで俺を殺すことに意味はない、と言いたいわけだ。

 カクタが俺の足元を見ながらクククと笑う。まばたきはない。

「こんなことあるんだなぁ。毎回毎回、君は僕の邪魔をしてくるんだけど、ついにナイフを持って僕の前に現れたかぁ」

 毎回毎回、という言葉が気になる。

「それで……オガミくん。ナイフのことで相談があるんだろ? 何が聞きたいの?」

 いつもより言い方がぶっきらぼうだ。感情的になっている。だが、知っていることは相手の方が多く、交渉するのに優位なのは相手であることは変わらない。

 こんなやつを相手に、交渉をしなくちゃならないなんて。

「……まず質問なんだが、このナイフが消滅しない理由を教えてほしい」

 俺はナイフをポケットから取り出す。カクタが眉をひそめる。

「それはどういう意味だい?」

「このナイフは、未来のお前から手に入れたものだ。だから、今のように過去を変えようとしたら『ナイフを手に入れたという未来』が消失して、このナイフがここから急に姿を消すこともあるはずだ」

 「現在」という時間は過去の出来事の積み重ねで生まれている。つまり過去を改変しようとしている今の状況は「ナイフを手に入れた」という未来をなかったことにしかねない。

 なのに、消えないのはおかしい。これはどういうことなのか。

 カクタが、俺に近づいてくる。

「いいよ。教えてあげよう。ただしこれは僕の仮説にすぎないけどね」

 人差し指を、俺の顔の前に出す。

「おそらく、この世界の時間軸は巻き戻す前の世界の時間軸と『分離』しているんだ」

 数秒の沈黙。

「いや、言ってることがさっぱり分かんねーよ」

「紙、持ってない?」

「コンビニのレシートなら」

「それでいい」

 カクタはポケットからボールペンを取り出した。

「仮説だけど、巻き戻しナイフの機能を正確に説明するなら『未来の自分の記憶を過去の自分に上書きする』んだ」

 カクタは俺が渡したレシートの裏に、何かを書き込む。


 〇分岐点(巻き戻し先)――4月4日(巻き戻す前)――未来<巻き戻し発動>

            \_4月4日’(巻き戻した後の現在)――新しい未来


 書き終わった後に、カクタは説明をはじめる。

「そして、書いた図を見てもらうとわかるけど、上書きした瞬間おそらく世界はもともとの経過していた世界の時間軸から分離するんだ。巻き戻したポイントを分岐点にね。そうしないといろんなことがおかしくなる」

 たしかに、それなら矛盾は生じない。

 つまり、巻き戻した瞬間に世界の時間軸は前の世界とは切り離され独自の時を進める。だから、ナイフの消失は起きずに済んだ。物理的にどうしてポケットにナイフが入っているか、という疑問はあるがひとまず納得はいく。

「今の説明で分かった?」

「ああ……なんとなくだが」

 そして、その仕組みなら元々俺が考えていた提案をしても問題は生じないはずだ。

「話はそれだけ?」

「いや、それだけじゃない。……というか、聞いてほしいことがある」

 俺は、言葉を選ぶ。

 何が最善で、何が一番コイツに響きそうな言葉なのか……考える。

「……お前、アオバが好きなんだろ?」

「うん。好きだよ。そして君もアオバが好き」

「おま、なんで知ってんだよ」

「僕は何度も未来をやり直してる。だから、君のことなんていくらでも知ってるさ」

 何を言っても相手のほうが格上で、何を言っても相手はそれを知っている。

「まあいい。カクタ、よく聞け」

「うん」

「俺は、お前と俺の両方が望む未来を手に入れるにはこの方法しかないと思った」

「言ってみて」

 促され、俺は言った。

「……お前、アオバ以外の人間を刺して過去に戻れ。俺は『この時間軸』でアオバと付き合うよう頑張るから、お前は別の時間軸でアオバと付き合えるようがんばってくれ」

 絞り出すように言葉を吐いた。しかし、完璧なアイディアだと思った。

 そもそも未来においてアオバが殺されるのは、俺が生きている世界においてナイフを持ったカクタが存在するからである。

 カクタが別の人間を刺して、俺の存在しない時空間に行ってしまえば未来においてアオバが殺されることはない。

 これさえ実現すれば、お互いがお互いの世界で幸せになれる。

 しかし、この提案を聞いて、カクタは一言。

「嫌だ」

 ニコリと笑っていた顔が真顔になり、黒く大きな瞳がこちらをじっと見る。

「ありえない」

「なんでだよ」

「じゃあ例えば君の提案を飲み込んで、僕が過去に戻ったとしよう。だけど、そしたら同じ場面でまたナイフを持った君が現れて『過去に戻れ』と言われるんだよ? だったら君が誰かを刺して、その向こうの世界で頑張ってくれ」

 ああ……言いたいことを理解した。俺を殺さない理由と同じ。こうなってしまえばもうダメだ。

 何百回やっても、相手がここで折れることはない。

 たとえカクタの言う通り、俺が誰かを刺して時間を巻き戻したとしよう。しかし、過去に俺が戻ったところで、また同じ交渉が必要になる。けれど、交渉される側のカクタには俺が一度別の世界に行った記憶が存在しないため、この局面で必ずこう言うに違いない。

『だったら君が誰かを刺して、その向こうの世界で頑張ってくれ』

 またも永久ループ。

 カクタは言葉を続ける。 

「たぶんだけど、ひとつしかないものを巻き戻しナイフを持った二人が手に入れようとするとき、根本的に解決する方法は二つある。一つは自分があきらめること。もう一つは、相手からナイフを奪って見つからない場所に隠すこと」

「奪う?」

「うん。時間を巻き戻す手段を相手から剥ぎ取るんだ」

 カクタは説明を続ける。

「そもそも、僕らが争うことになっている状況は両者に『ナイフ』が存在するから生まれているのであって、ナイフを相手から奪うことに成功すれば、相手はただの人間、何もできない」

「たしかにそうだな」

「でしょ? ただ、今の状況でナイフが僕の手からなくなった場合、真っ先に疑われるのは君だ。ナイフにどんな価値があるか、そしてその存在を知っているのは君しかいない。やるなら巻き戻して別の時間軸でやった方が無難なんじゃないかな」

 カクタの言ったことには納得ができた。相手のナイフを奪うことに成功すれば、未来においてアオバが殺されるシナリオはなくなり、俺はナイフを使って自分の考える通りに未来を改変することができる。

 しかし、一つ気がかりな点があった。

「……さっきから、ずいぶん丁寧に教えてくれるんだな」

 不自然だ。競争相手に情報をベラベラとしゃべるのは不利にしかならない。

 カクタの唇が歪む。

「そうだね。これだと怪しいよね。じゃあ僕の今考えてることを教えようか」

 カクタは話を続ける。

「僕の目的は君が最初に提案したことと同じさ」

「同じ?」

「そう。僕のやってほしいことは、君がこの時間軸から消えることなんだ。君に有益な情報を与えて、勝手にナイフを使って別の時間軸に行ってくれれば、僕は競合相手がいない状況でループを始められる。合理的だろ?」

 言われたことに嘘はないように感じた。辻褄は合っている。

「それに、別の時間軸に行くことは君にとっても合理的な判断だと思う。現状、君は僕に対して何一つ有利な情報を持っていない。唯一のアドバンテージ足りえる『ナイフを所有していることを僕が知らない』という状況をなくしてしまった今、どうやって僕からナイフを奪えるか? むしろ奪われたりする確率の方が高いと思わないか?」

 その通りだ。おそらくこのまま粘り強く交渉をしたところで、カクタが別の時間軸に行くようには思えない。こちらには交渉材料もなければ、巻き戻しの経験回数も不足している。

「純粋に殺し合いみたいなことをして僕からナイフを奪うこともできるけど、あらゆる面でリスクが多すぎる。それなら今、時間を巻き戻して別の世界にいる僕から物理的にナイフを奪う方が、今の僕を説得するより楽なんじゃないかと思うよ」

 言っていること、全てが正しいように感じた。

 脳内で他の手段を案だしを行う。考えられる限りで解決方法をし、最適な解決方法を考える。

「……そうだな」

 何をやるにしても、一度巻き戻した方が良い。

「……気に食わないけどカクタ、お前の言うとおりだ。この時間軸はお前の案に乗ってやる」

「おお! ありがとうオガミくん。何百回というループを繰り返してきたけど、はじめて君と和解できた気がするよ」

「その代わり」

 俺はカクタのおしゃべりを止めた。

「……ナイフと双子に関する正確な情報を、知っている限りでいい、俺に教えろ。じゃないと、俺は巻き戻しのために刺す相手をアオバにする」

 唯一の交渉材料を、ここでカクタに提示する。

「……ああ、そうやって脅すのか。」

 カクタから気味の悪い笑顔が失せる。

「いいよ。じゃあ話してやろう。僕の知ってる限りのナイフに関する情報をさ」


 ×××


「オガミ、お前どうした?」

 教室に戻ると、予定通り新井がいた。いつもは教室にいる新井が鬱陶しく感じていたが、今日はそれがありがたかった。

「いや、その……忘れ物をしちゃって」

「お前が忘れ物に気付くなんて珍しいな」

「バカにしないでくださいよ」

 背中を見せるタイミングを待つ。腰の後ろに隠したナイフを握る手が汗ばむ。

 机の忘れ物を探すふりをしながら、相手に隙が生まれるのを期待する。

 いや、待たなくてもいいか。

「あ、先生来てください。これ、何ですか?」

「あ?」

 適当に机の下を指さして、新井を呼ぶ。新井がこちらにゆっくりと近づいてくる。

「どれのこと言ってんだ?」

「え? わからないですか? ちょっとしゃがんで見たらわかると思いますよ」

「しゃがむ?」

 言われた通りに新井がしゃがむ。俺は新井に近づくフリをして背後に移動。

 さすがに……怖い。

 一回目の事故は自分の意志じゃない。しかし、今回は自分の意志で行う。

 万が一刺し損ねてナイフを奪われたりしたら……終わりだ。

 心臓が速くなるのを感じる。落ち着け。

「おいやっぱ分からねーぞ?」

 新井が振り返ろうとした瞬間に、意を決した。

 踏み込む。背中の中心めがけてナイフを突き出す。

 わずかに狙いが逸れて、刃は脇腹近くの肉に侵入する。新井が呻く。手が熱い。

 感覚を、思い出す。

 ぴたり、と教室の音が止んだ。世界が静止する。

 新井と俺を挟むようにして双子が姿を現す。

「始まったよ」

「始まったよ」

「「お兄さん、ここからは逃げられない」」

 冷たい声が俺に語りかける。 

 頭が重くなり、体中の熱が遠ざかり、視界が暗くなり――

 待ってろアオバ。俺がなんとしてでも助け出してやる。



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