3.リセットされた一年前
教室の中に、俺は立っていた。
自分のクラスの教室。まわりのやつらは全員座った状態。俺はカバンを持ってその中に突っ立っている。腹部に目をやる。傷はない。
「……えっ、何で?」
状況が理解できなかった。これは、何だ。さっきまで俺はカクタとナイフを取り合い、争い、刺されて走って、なのに――
「初日から遅刻とはいい度胸だな?」
声が聞こえた。声の主を探す。
教卓の前に、新井がいた。
新井?
「正確にはぎりぎり遅刻じゃないが、お前みたいなヤツはいずれ遅刻するって俺は知ってるんだ」
そう、俺の担任の新井だ。今年から俺のクラスの担当になった新井。俺がナイフを刺しちまった、新井。
「……大丈夫、だったんですか?」
「ああ? 何が大丈夫なんだ?」
「いや、新井先生、ナイフ」
「何でお前が俺の名前知ってんだよ? 変な奴だな」
新井は首を傾げる。いや、名前知ってるも何も今年一年間同じクラスで授業をしてたじゃねえか。
だが、より違和感を感じたのはこの後だった。
「お前、名前は?」
意味がわからない。これは、なんていうドッキリなんだ。
「オガミ。オガミシンヤに決まってるじゃないですか」
「そうか、オガミか。覚えたぞお前! お前の席は今空席のあそこだから早く座れ」
そう言って、新井は窓際の、後ろから二番目の席を指さす。
席が、いつもと違う。
パニックになりそうだ。動揺した状態で指示された席に座る。というか、この席って……
「はい、じゃあ自己紹介の続きだな。何名かは知っているかもしれないけど、先生の名前は」
新井が黒板に大きく文字を書く。
おいおい、嘘だろ。
「新井和樹と言います。今年からこのクラスの担任になるので、一年間よろしくお願いします」
デジャブだ。この光景を俺は知っている。そしてこの席も知ってる。
高校二年がはじまって、最初の四月の席だ。
「オガミンっ! あたしたち今年も同じクラスだぜ!」
真横の席から声をかけられた。ピンク色のカーディガン、ゆらゆら揺れるポニーテール。
「……今度はアオバ、かよ」
そう、アオバだ。あのアオバだ。一か月前に俺が振られ、ついさっきカクタが振られた、あのアオバ。なぜかカーディガンの色がさっきまで着ていた色と違う。
「アオバ、大丈夫だったのか?」
「大丈夫? ん? 何が?」
「いや、あの……」
聞かれないように耳打ちする。
「……カクタの話」
「カクタくん? カクタくんって、サッカー部のイケメンくん? 何で?」
バカ、声がデカい。
心底疑問、という顔でアオバが俺を見る。顎と頭のてっぺんが逆になりそうな勢いで首を傾げる。
おかしい。
「……いや、そうか。ああ」
何よりおかしいのは。
「……アオバ、お前、俺と話してて気まずくないの?」
「ほー?」
いよいよ首が一回転しそうなくらい首を曲げるアオバ。
「去年も毎日しゃべってたじゃん」
「毎日……ああ、そうだな」
「なんかオガミン、今日ノリ悪いよ……春休み挟んでボケちゃった?」
目玉が飛び出るかと思った。
「……春休み、ね」
「オガミン? 目の焦点が合ってないぞよ?」
アオバが机に寄っ掛かり、俺の目を覗き込もうとする。顔が近づく。照れ臭い。
確めたいことがたくさんある。
話しかけることを躊躇しないアオバがいる。
ナイフをぶっ刺されたはずの新井が元気に立っていた。
席がいつもと違う。
机の下でスマホを取り出す。今日の日付を確認する。
『二〇一×年 4月1日 Monday』
日にちが、変わっている。
「……始業式の日じゃねえか」
俺は苦笑いをした。
×××
「オガミ!またぼーっとしてるぞ!」
新井の注意が耳に入り、抜けかけていた魂が体に戻る。意識が授業に向く。
「……すいません」
「お前、今年入って俺に注意されるの何回目だよ。しゃきっとしろ。しゃきっと」
新井が背筋を伸ばす素振りをする。俺は教科書に目を向ける。内容が頭に入ってこない。数日が経つが、今起きていることが非現実的すぎて、思考能力が擦り切れている。
・アオバが、なぜか学校の人気者に告白される。
・そして、その学校の人気者がフラれたことを理由に、校内でナイフを振りまわす事件が発生。
・巻き込まれて、ナイフが自分の腹に刺さる。
・新井をナイフでぶっ刺す。
・そして気が付いたら1か月前の過去にタイムスリップ。
ノートに箇条書きして整理した。文字に直すと余計にわけが分からない。
チャイムが鳴る。新井が教室を去って、昼休みがやってくる。机にドンッと猫のイラストが特徴的なお弁当箱が置かれた。びっくりした。青葉が椅子ごとこちらの方に体を向けている。
「おがみん! 元気出して!」
「え?」
「その顔はですねー、アオバさんのお弁当箱占いによると……女性にフラれたんですな!」
お弁当箱を占い師の水晶玉のように扱い、俺の悩みを当てようとする青葉。
「ちげーよ」
しかも、どっちかっていうとお前にフラれたんだよ!
「なぬ! では何を悩んでいるのだおがみんよ! 思春期か? 思春期なのか?」
お箸をビシッと前に突き出すアオバ。心配してくれているようだ。気持ちは嬉しいがタイムスリップの話は言っても解決しない。……いや、解決はしないが役立つ話はできるか?
「なぁ、アオバ?」
「ん?」
「お前、時間が巻き戻ったら何をする?」
アオバはそれを聞くと「ぷっ」と笑った。
「小学校の卒業文集みたいなのだ」
「うっせ」
「それじゃーね、まず無難なヤツ。ロト6を買うのだ」
「ああー」
ありがちな答えだ。だが、残念ながら俺は当選番号をメモってるわけもなかったので億万長者にはなれない。
「他には?」
「あとはねー、テストの解答を暗記して、期末テストで一〇〇点を取る」
なるほどな。それなら何が出たか覚えてるから正確な答えじゃなくともヤマは張れそうだ。
「できそうだな」
「ん? できそう?」
しまった。
「何でもない。忘れて」
俺がそう言うと、アオバは「ブー」と唇を尖らせる。
「まーた隠し事だ」
少し怒っているようだ。いかんいかん。機嫌を直してもらわなければ。
「あたしとおがみんの間には青春系の隠しごとは何一つしちゃダメなのだぞ!」
まだ俺が恋愛系の悩みを抱えてると思ってたのか。
「アオバ」
「ん?」
この時の俺はアホだったかもしれない。
直接聞いてみたらどんな反応をするか気になった。
「もし、お前が男で、それですっげー好きな女の子がいて、その子に告白したらフラれるって分かってたら、どうする?」
俺がこの質問をするとアオバは「んー」と唸りながら腕を組む。数秒ほど悩み、出した結論はこれだった。
「告白する」
「は?」
「フラれないように告白する」
「それでフラれたら?」
「OK出るまで告白する。本当に好きなら何度でも」
アオバの答えはシンプルだった。
「それ、うまくいくのか?」
「うまくいくか分からない、とかじゃないのだ。絶対うまくいくのだ。なぜならOK出るまで告白するから」
「それ、ストーカーじゃねえの?」
「うるさい。とにかく一度フラれたぐらいで諦める根性なしなんかじゃダメなのだ! 安西先生言ってたぜ、諦めたらそこで終了だーって!」
そう言って、アオバは弁当箱のフタを開けた。タコさんウインナーを箸でつまんで頬張る。
一度フラれたぐらいで、か。
その言葉が、少しだけ俺に刺さった。
アオバは飯をもぐもぐと食べながら、自分の持っている恋愛観を俺に語る。ハムスターみたいに口を膨らませたアオバさんによる恋愛講義は、九〇年代くらいに流行った少女漫画の名台詞のオンパレードで、参考になりそうになかった。けれど、こうやって昼休みにアオバと顔を向き合って話をするのが久しぶりだったので、いつもより食べている弁当がおいしく感じた。
そして、少し調子に乗った。
「アオバ」
「ん?」
名前を呼ばれて、アオバはパチパチとまばたきする。
「じゃあ今の話をふまえて、もしもだよ」
「うん」
「あのな、もしも、だからな」
俺は息を吸い込む。そして、震えそうになる唇を、バレないように自然に動かす。
「もしも」
「うん」
「もしもな」
「早く言えなのだ、じれったい」
何度も言い直す俺に、ニヤニヤしながら青葉が言う。
「もしも、お前が」
「うん」
「お、俺に告白されたら、どうする?」
少し噛んでしまった。そして、言う瞬間少し目をそらしてしまった。ダセぇ。
視線を戻す。アオバの表情が目に入る。
頬がほんのりと赤くなって。
そして、少しだけ恥ずかしそうな目になる。
あ、「前のとき」と、同じ顔だ。
「……それさぁ」
アオバは、少し間があいてしまったことをきまずそうにする。俺は「おう」とだけ返事をする。
「……もしも、の話だよね」
確認を取る。
答えが分からず、俺は言葉が一瞬出なかった。
喉まで出かけた本音を飲み込み、
「もも、もちろん!」
嘘をついた。
「……だ、だよね!」
お互いに愛想笑いをする。そして、アオバは答える。
「そりゃ……断るのだ!」
「そ、そうか」
「うん! おがみんは、なんか違う!」
大きく首を横に振るアオバ。そんなに振らなくてもいいだろ……。
「それじゃあ、フラれても、また告白したら?」
「断るのだ!」
「一〇回告白したら?」
「全部断るのだ!」
「一〇〇回」
「断る」
「一〇〇〇回」
「断る」
「いちま」
「だが、断る!」
立ち上がって断言する。
少し声が大きかった。クラス中の注目が集まる。アオバはきょろきょろまわりを見まわしながらゆっくり座った。
「……恥ずかしいのだ」
「なんかごめんな」
アオバは水筒のお茶を飲み、それから咳払いをする。
「とにかく、おがみんはアオバさんのストライクゾーンを大きくハズれているから残念ながら無理なのだ!振られたら諦めろ!」
「お前、さっきと言ってることちげーじゃん」
「うるさい!」
アオバはそう言って俺の顔面にパンチした。
「ぶはっ」
クリティカルヒットして鼻血が出た。
「あ……ごめん」
×××
マンガみたいに鼻血が大量に出てすぐ止まるなら楽だが、現実そうはならない。俺は鼻をつまみながら上を向き、廊下を歩いていた。目指すは男子トイレ。
「はい、どいたどいた! よけないと鼻血が付くよ!」
アオバが俺を誘導してくれているが、その文句がひどい。女子なんて逃げるように俺の前に道を開ける。ようやく男子トイレの前に到着し、俺は青葉を置いて一人トイレの中に入る。洗面台でタオルを濡らし、鼻に当てて冷やす。
「ああー。最悪だ―」
超カッコ悪い、と鼻を抑えながら思う。最近鼻血出してばっかな気がするぞ俺。幸い人はいないから洗面台を独占できてはいるものの、鼻血が授業の前までにちゃんと止まってくれるのか心配だ。よりにもよって両方の鼻の穴から出なくていいだろうよ。
上をずっと向きながら鼻を抑えていると、急に寒気がしてきた。うわ、血を出しすぎたかもしれない。 鼻血も収まってきたと思い、鼻を抑える手を離す。鏡に顔を向ける。
「見つけてくれたね」
「見つけてくれたね」
両隣に双子の女の子が立っているのが、鏡を通して見えた。
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