第29話 ラフ

 結局、この日僕が見て回ったのは白組が最後だった。僕らではなく、僕だ。フーフーは今も居残っている。そもそもはフーフーが描いた香港の旧時代的夜景を再現しようというプロジェクトなのだから、彼女が現場で意見を求められるのは当たり前の話だろう。それにフーフー自身、この世界の建築様式を知るのが楽しくて仕方がないようだ。街の成り立ちや説明を聞くときのフーフーの目の色が全てを物語っていた。極端にテンションが上がるわけでもなく、半端に知識をひけらかしもしない。むしろ冷静なのだ。ごく自然に、そうあることが自分という生き物の習性であるかのように淡々と知識を吸収していく、そんな姿勢。楽園史上最速でアーティストになったという彼女の芸術家としての側面を垣間見た気がした。

 というわけで、あの後まもなくフーフーに群がった白組の男たちの「俺が案内しましょう」オーラに押し出され、一人トボトボとおうちに帰されてしまったのが今の僕である。時間はすでに夕方で空も暗く、雨でも降りそうな雲行き。楽園の四季事情はよくわからないが、時期としては梅雨に近いくらいなのかもしれない。

 長い雑草の間でバッタが鳴くのを聞きながら、ニスのきいたドアを開けてサロンの中へ。

 ふわっと、多少湿気った暖かい空気が鼻孔に滑り込む。

 サロンというのは、つまり、デカダンス組が使っている仮設の合宿場のことだ。合宿場といっても実際は居心地のいい円形のリビングルームに個別の部屋が連なっているような吹き抜け二階建ての特設居住区で、キッチン完備、シャワールームは各室付属で空調もばっちりと、仮設とはなんなのかと言いたくなるくらい素敵な条件だ。この世界では大きな仕事をする場合はこういうサロンで共同生活するのが普通らしい。

 誰もいないキッチンで試しにコーヒーを淹れながら、ぼんやりと今日会った人たちとその作品にあてる字を思い浮かべる。まだ大した量じゃない。まだ本工事の初日、自分の作品が明確に固まっている方が珍しいくらいだろう。

 使い魔に鍵を開けさせ、あてがわれた自室の中へ。バニラ色のベッドやガラスのテーブルの置かれたホテルの一室のような部屋で、空のチェストとキャビネットはゲーム缶置きに使えそうだ。他にはパレードの屋敷(城?)にもあった水やりだけで芳香剤となるユーカリに似た魔法植物の植木に、文字盤が腹に埋まったフクロウの置き時計などなど。

 テーブルにコーヒーを置いてベッドに腰掛けた瞬間、布団が襲い掛かってきた。

「うわあっ!?」

「うらめしやー、その体食い尽くしてくれるぅー」

 くしゃくしゃにくすぐられながら、僕は叫んだ。「ちょ、パレード!? パレードですよね!? や、やめて、くすぐったい、死ぬうっ!」

 布団がふわりと引き剥がされる。ベッドの反対側でパレードが、マリオネットを操るみたいな糸の付いた道具を持ってニヤリと笑っていた。

「よおミズノ、お仕事楽しんでる?」

「びっくりするなあもう……」バクバク唸る心臓を押さえながら、苦笑い。「あの、どうやって部屋に入ったんですか? ドアのロックって使い魔認証ですよね?」

 パレードの竜がふわりと浮かんで、ピカッと瞳を青緑に光らせた。

 カチャリと、ドアのロックが外れる音。

 またピカッと光って、今度は鍵がかかる。

「私らワールドデザイナーの瓦斯ってのは魔力の密度が高すぎてね。簡単な仕組みのものなら大抵バグらせられちまうんだ」

「うわぁ……おっかないなぁ」

「世界に三人しかいないがゆえに放置されてる例外ってやつさ」ベッドの上を滑るように僕の隣へ移動してきたパレードは、そのままテーブルのカップを持ち上げてコーヒーを飲む。「苦っ。で、どうなの。お仕事の方は順調?」

「気楽すぎて逆に落ち着かないくらいです。パレードは見物ですか?」

「いや、しばらくここに住む」

「へ?」

「んっとね」カップを置いて僕の膝に寝転ぶ。「私って実はね、クローンが生まれてから半年は付きっきりになってやらないとダメなんだよね。お世話係としての義務ってわけ」

「半年もですか?」

「ミズノたちからすればここは異世界なわけだろ? 常識から何から全く違うんだから、どんな摩擦が起きるかわからない。だから、クローンに一番詳しい私かベテランクローンが見張ってやらなきゃダメって四十年くらい前からキッチリ取り決められてんのさ。私はしょっちゅうサボるけど」

「はぁ……」なるほど、クローンが問題を起こさないとも限らないってわけか。

「変なことやらかしたクローンなんて今まで一人もいないし、正直いらない規約だと思うけどねー」そう言ってパレードは僕の脚にうつ伏せた。唇や鼻が内股でクリクリと動く感触がくすぐったい。

「ところで、白線はもうクリアした?」ブフォブフォとくぐもった声。

「はい、つい昨日」

「面白かったろ?」

「ラストステージが半端じゃなかったです」

 思い出す、最後のギミック。脱出不可能な狭い空間の中に、余りにも多すぎる看守たちがうごめく、正攻法ではクリア不可能なラストステージ。攻略法はずばり、白線の中の化け物に看守たちを……。

「で、次は何やるの? やっぱホラー?」僕が内容を思い返すよりも先に、パレードの声の圧力が、内股にゾワゾワと伝わってきた。

「ですかね」

「パレス・シリーズとかは?」

「まだランクが足りないです」刺激が強すぎるゲームは、クリア実績を積まなければプレイできない。

 和やかな会話をしながら繰り広げられたささやかなもみ合いの末、僕はパレードの小さな肩を引っ張って、なんとか仰向けにひっくり返すことに成功した。

 サラッサラな黒髪を散らせて僕を見上げるパレードの顔。本当は二百歳を超えてるとは到底思えない桁外れの愛らしさについつい見とれる。”親戚の家の可愛い女の子”の理想像って感じだ。

「フー・フーとは仲良くやってる?」花も恥じらう唇から快活な声が響く。

「まあ、友だち程度には」並の声でそう答えた。

「フー・フーって可愛いよな。なんかこう、素朴な感じで」僕の言葉はあんまり聞かずに、パレードは喋り続ける。「他のアーティストとはちょっと雰囲気違うっていうか」

「親近感湧きますよね」

「職場の連中はみんなフー・フーのこと狙ってるだろ? アイドルと付き合えるチャンスなんて滅多にないもんな」パレードは眠そうにも見える目で僕を見つめる。

「付き合うか……」僕はなんとも言えない気持ちで首の裏をかいた。周りの男たちがみんな揃ってフー・フーに熱を上げているのは今日だけで十分に伝わったが……。

「お前は違うのか?」

「うーん……」

「え? 違うの?」大きな目が更に丸くなった。

「違うわけではないですけど」

「……もしかして、お前あれか、体が子どもじゃんとか思ってる?」

 半分は図星だったので、僕は苦笑いだけ返す。

 フーフーの体は、まあ、パレードよりは年上っぽい印象だけど、やっぱりイメージ的には中学生か、高く見積もっても高校一年生って感じだ。中身が大人なんだからそんなの気にしなくていいって言われたって、やっぱりちょっと抵抗は残る。

 タンっと軽やかにパレードは立ち上がって、僕と向かい合った。片目だけ吊り上げて、呆れているのがひと目でわかる表情だった。

「ミズノお前……イヴのこと舐めすぎだろ。それとも脇毛教に入信済みか?」

「いやいやいや、そんなことは……」

 両手を広げ降参のようなポーズで否定する僕を見てため息をついたパレードは、あごに手を当てて二秒ほど時間を消費してから、悪戯っぽい笑みを桃のような頬に浮かべて、

「まあ、見るのが一番早いわな」

 と呟いた。

 そして、僕がその意味を吟味するよりも早く、透き通るような白いドレスをぐわっと一息に脱ぎ去った。

 布団が襲い掛かってきたときよりも、ビックリした。

 どれくらいって、初めてドラゴンを見せてもらったときよりも。

「どわっ!? ちょ、ま……っ」

 と、慌てて顔を覆った僕の手を、パレードの柔らかな手が掴む。

「いいから見とけって、損はないだろ?」誘うように、甘い声。「私は男だぞ? 二人でエロ本読むようなもんだ、何を照れる必要がある?」

「でも、いやいやいや……」

「いやいやじゃねえよ」今度は責めている風にも聞こえるマジメな声。「イデア式は世界一の”顔”じゃない。世界一の”全身人形”だ。人形ってのは裸が基本だろ? ガキじゃないんだから、美術品くらい黙って見ろ」

 …………。

 そんな風に言われてしまっては実際、ちゃんと見ないわけにもいかなかった。確かにアイドルをイデア式少女人形という作品として見るならば、パレードの言葉は全く正しい。

 だけどさぁ……。

 汗が背中を伝っている。

 この場合、なんとなくだけど、子どもの裸というのが逆に嫌なのだ。大人の裸婦像とかの方が全然抵抗がなかっただろう。大人と子どもの中間の体というのは、悲しいかな、男にとってあまり気持ちのいいものではない。自分の中でに取っていいかわからなくて混乱するし、人の体に対してそんな面倒な悩みを抱いてることにも、罪悪感に近い気恥ずかしさを感じてしまう。

 でも……この場合、相手は男だ。

 それはそれで、なんか嫌な気が……。

 ええい、ままよ。

 心を落ち着けて、いつの間にか下着すら取り去っていた(元から?)パレードの立ち姿を、上から順に視界に入れていく。

 世界一の美術品を、まっすぐに見据える。

 つばを飲んだ。

「どうだ、ミズノ。これが、子どもに見えるのか?」

 僕は悲しいかな、声も上げられなかった。

 圧倒されてしまっていたのだ。

 パーツはすべてスレンダーなのに、全体が曲線美という言葉でパッケージされたみたいにまろやかな、白い肉体。理想的な長さの手足。美しい骨格。ここまでは、パレードのドレス越しにも伝わっていたこと。

 おかしいのは、その質感。

 ミステリアスな肉感。

 これほど痩せた体のどこから、見るだけでわかるほどに甘い柔らかさがにじみ出ているのか。

 これが、イデア式の……。

 え、なにこれ?

 意味がわからない。

 ていうか……。

 胸、大きくなってない?

 ビリビリと、腹の奥のよくわからないところからおかしな波動が流れてくる。

 異常な鼓動だった。

 なんだろう、この感じ。

 一番近いのは、多分……初めてエロ本を読んだ小学生みたいな気分。

 自分の知らない世界を垣間見てしまった、少年の心。

 それくらい、意味がわからない鼓動が全身を熱く突き上げていた。

 まさか今更、男なら誰もが体験したコレを味わい直すなんて……。

「……だから最初に言ったじゃないか。イヴは世界一のアーティストで、これアイドルは世界一のアートだって」

 眩惑げんわく的な表情で、じわじわと、パレードは両手を伸ばして僕へと迫ってきた。

 ベッドの上で、乏しく後ずさった僕に、アイドルが被さる。

 長い髪の毛が、水のように肌を流れる。

「イヴが作ったのは、世界一可愛い女じゃねえ……だ」

 仰向けのまま、二度目のツバを飲む。

 胸が苦しい。

 アイドルのスタイル……つまり首から下は、首から上と同じレベルの求心力を持っていること自体は、晩餐会の二次会でココルを見た時から知っていた。誰もが心の中に理想イデアとして存在させている、完璧な曲線。それがアイドルのシルエット。

 それくらい、わかっていたはずなんだけれど……。

 …………。

 やばいな。

 性的なアレやソレが足されただけのことで、こんなにも見え方が変わるものなのか。

 理想イデア的に淡く白く、奇跡のように健康的な肌色の上に目立つ、滑らかに鮮やかな色彩。

 それらは少なくとも、僕の知っていたものとは別物だった。

 もっと、上のものだった。

 ……このことについて、僕は自分の心に注釈をつけるのはやめようと思う。胸や乳首の形なんて語りたくないし、下はなおさらだ。

 正直アゴが閉じないままガックガクになっている僕の上で、二百歳の老爺は美しい少女の顔で、すべてを見透かし微笑んでいた。

「わかったか? アイドルってのは、理論値なんだ」

「理論値……」

が存在しなくなるまで突き詰められた、少女の理想イデアさ。これ以上に魅力的な人形カタチはもう、この世界の中にはありえない」

 …………。

「アイドルってのはそういうもんだ。大人とか子どもとか、そういうレベルの話じゃないんだよ」

 グッと、少女の理想形が顔を寄せてきた。

 甘い香り。

 誘う声。

 まつ毛の奥の瞳が、妖しく光る。

「もちろん、内側ナカミもな」パレードはそう言った。

 なかみ……?

「試してみる? 私は別に構わないよ」

 言葉の意味はすぐに理解できた。

 それでも、十秒くらい僕は何も言えなかった。

 深呼吸を、三回。

 決心して。

 僕はパレードから目を逸らし、肩を押し返す。

「だ、大丈夫ですっ! しません!」

 跳ね除けようとした僕の腕を、パレードは思いのほか強い力で掴み返す。そのせいで、バランスが崩れて軽くもみ合いになった。

 ピタピタと触れる、バターのように溶け出しそうな温もり。

 これが麻薬かと思えるほど、脳をとろかす甘い香り。

 情動。

 レベッカの顔が、匂いが、存在感が、強烈にフラッシュバック。

 わずかな表情の変化で、妖艶と純朴が目まぐるしく入れ替わる。

 気がつけば、僕がパレードを押し倒したみたいな姿勢に。

 ダ・ヴィンチやミケランジェロに並ぶ……いや、もしかしたら上回るレベルの大芸術家が、今、僕の下で、ゾッとするほどセクシーな様で笑っている。

 上下する胸と呼吸の音。

 ゾクゾクする。

「頑固だなぁ……お前はノンケだろ? いったい何がミズノをせき止めてるんだ?」

 ……。

「性に足を踏み入れた少年は、ビジュアルに気を取られ勝手な妄想を膨らませたのち、接触を経て初めて男女が触れ合うことの真の意味を学ぶ」

 甘すぎる声。

「アイドルもまた然りさ」

 首に手が回され、パレードの柔らかな吐息が、はーっと耳元にまで突き抜ける。

「抱いてみなきゃ、アイドルの本当の意味はわからないよ」

 鼻の奥が、熱い。

 抱き寄せられ、口元が目の前に。

 思い出すのは、レベッカの顔。

 全身を溶かすような、キスの味……。

 だからこそ、僕にはわかった。

 ここで引き返さないと、アイドルには、絶対に抗えない。

 スベスベなのにしっとりと手に張り付いているパレードの肩を、優しく、だけど渾身の想いを込めて、押し返した。

 パレードの手も、首を引き続ける。

 足が、背中にまとわりつく。

 ググッと、体と気持ちが揺れ動いた。

 ダメだ……負けるな、僕。

 ギリギリと、綱引きが一分ほど続く。

 僕はその間、一呼吸していたかどうかさえ怪しかった。

 やがてゆっくりとパレードの手が緩み、僕はアイドルから離脱した。

 開放。

 冷却。

 発火。

 ものすごい量の汗と、後悔みたいな意思が頭皮からダラダラと流れ出す。

 つ……。

 疲れた。

「すごいなミズノ」

 いつものように明るく軽い、少年のようなパレードの声。

「私を断りきれたクローンの男なんて五人もいないぞ」

「そう、ですか……」

 使い魔から取り出した椅子に腰掛けて、額を拭う。

 全く余裕の表情でパレードはベッドに腰掛けて、裸のまま素晴らしく滑らかな動作で肩をすくめた。胸がふわりと揺れている。

「なんだ、私が男なのがそんなに気になるか? 百年以上女の体で生きてる私の、生まれて三十年ちょっとだけ使ってた性別がそんなに大事か?」

 僕は、黙って首を横に振った。

 中身の性別なんて触れてしまえば少しも関係ないってのは、今の絡みだけでも十分すぎるほどわかってしまった。

 これが、アイドル……。

 恐ろしいほどに抗いがたい魔力だった。触れてしまったら最後、化学物質だかホルモンだか知らないが、とにかく本能の最も深いところがグラグラに刺激されて、本当にワケがわからなくなる。正しく、初めて女に触れた中学生の気分。中身が男だとか女だとか、そんな深いこと考えられる精神状態じゃなくなってしまうのだ。

 だから……僕がパレードを払い除けたのは、パレードが男だからじゃない。

 何も言わずに荒く呼吸している僕を見ながら、パレードは眉を吊り上げた。

「……惚れた相手以外とは、しない主義か?」

 どこまでも澄みきった黒い瞳を、見つめる。

「なんだそりゃ」ぷっと、パレードは吹き出した。「すっげえ童貞くさい」

「放っといてくださいよ……」訂正する力もなく、僕は乾いた笑いをこぼしてまたうなだれた。

 ……明日からのことを考えて、気が重くなる。

 フーフーの服の下なんてスケベなことは考えたくはなかったんだけどなぁ……。

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