第26話 期待

 ……それから大体30分後。

「どう、覚えられそう?」リストを眺める僕を、フーフーが小突く。

「むりむりむり」

「多分、全員の名前なんて監督しか覚えてないよ」クスクスと笑う彼女と取りあえずは同じ組であることに安堵しつつ、惰性に任せてリストの確認作業に戻る。とてもじゃないが把握しきれない人数だ。この人たちの作品全てに漢字で表題をつけるのが僕の仕事だが、まあ、コツコツやるしかないだろう。地道な積み重ねは苦手じゃないが、単純作業ではないだけに気が抜けない。センスを売るというのは大変なんだな。

 会議が終わってすぐ、搬入作業にあたっていた人たちも交えて、組ごとに分かれた個別ミーティングが始まった。僕は朱組だ。監督曰く、つまらない会議はこれが最後であるとのこと。朱組のミーティング会場はビリヤード台に似た何かや酒瓶の入ったショーケースが設置された遊戯室みたいなところで、会議室とは程遠いくだけた雰囲気のサロンスペースだった。事実、やや遅れて僕とフーフー、クァラが入ってきた頃には、若い男たちが中心のテーブルでカードゲームらしき遊びをやっていた。

 クイッと、リストを眺める僕の目の前にフーフーの後頭部が伸びてくる。黒い髪、そして果物の匂い。

「……ユーヤケ・フルコーラスってすごい名前だよね」

「個人的にはザコって名前が好きかな」

「青組のキューって人、友だちだよ。もっと上の方」

「へえ……この人が」スクロールすると、サングラスを掛けたスキンヘッドの男の顔が映った。とても強そうだ。友だちって、そのままの意味だろうか。

「注目」朱組ヘッド、モジャモジャ髪のクァラがうなり、各所のガヤがぴたりと止まる。

「……結局、うちらは暇な組だと思うわけよ」年季を感じる嗄れ声で、面倒くさそうに話し始める。「デカダンスの考えてることなんかわからんが、少なくとも急ぐようなスケジュールじゃない。私とマッパーで建築は進めるけども、あんたらは余計なこと考えず自分の作品作りに専念してな……ってことだと思うよ、知らんけど。以上、終わり」

 手元の資料によると、各組にはそれぞれ担当の区域内に建築エリアがあって、青組は3地区、白組は5地区分の街の建設を担当するのに対し、僕ら朱組の担当は1地区だけらしい。

「えっと、フー・フーです」隣のフーフーが立ち上がって頭をかく。「なぜか上司ってことになってますが、実際は皆さんの仕事を見学して勉強してこいと監督に怒られた研修生です。仕事もなんも振られてませんので、どうかよろしく」

 誰か、若い男が口笛を吹くのに合わせて場違いな喝采がおこった。みんなアイドルと同じ組になってテンションが上っているのだろう。僕だって嬉しい。

 ちなみにうちの組にはもう一人、輝いて見えるほど容姿が整った女の子がいる。名前は確かパニック・パイン。アイドルであるフーフーと比べると流石に見劣りするが、それでもびっくりするほど垢抜けた美人である。歳は17か6くらいだろうか。

「……んまあ、フー・フーはコンセプトデザインだからね」しばらく考え込んでいたクァラが口を開く。「大元の仕事は終わってるとも言えるし、まだまだやれることがあるとも言える。しばらくはそこの……ええと……ミズノとブラブラしてればいい」

「はい?」呼ばれてピンと背筋が立った。

「あんたらは自由行動だ。そのためにフットワークの軽いウチ所属なんだろうし、他の組でも見学行ってな」

「え、いいんですか?」

「ったり前だ」クァラは鼻で笑う。「生まれて一ヶ月の坊やがいっちょ前に職人ヅラか? 邪魔だからサボっとけ」

 とても親切な人なようだ。

「しばらくはイサミとチームか」フーフーが、卑怯なほどに愛らしく微笑んだ。「やったじゃん、よろしく」

 やっぱり、アイドルは違うな。

「はい、よろしくおねがいします」

「……なんで敬語?」

「上司だし」

「はいはい、じゃあすぐタメ語に戻すように」

「オッケー」

 ガタリと、クァラが立ち上がる。

「というわけで、取り立てて話すことはない。各々自分の作品とブースに精を出せ、以上、かいさ……あぁ、んの前にラブラヴィン、キミヲタク、ハーミン、ウナギ、フー・フーはちょいと顔貸してくれ。他は解散」

 会議室の裏手のドアからクァラ、フーフー他名前を呼ばれた面々がぞろぞろと退出していく。妙に個性的というか、見た目からセンスがにじみ出てるような芸術家集団だったけど、彼らはベテラン組なのだろうか。

 どうしようか迷っていた僕の腕を、むずっと誰かが掴む。

 背中に殺気のような気配。

 ……なんとなく嫌な予感がした。楽園とはいえ、僕はまだ知らない世界。知らない職場。何が起こるかわからない。

 フーフーたちの姿が見えなくなった途端、若い男の手が正面から僕の襟をひっ掴んだ。

「わっ……」

「俺はトーマス」金髪の男が、鼻息がかかるほどに僕に顔を寄せてくる。こころなしか目が血走っていた。「ミズノ、質問に答えろ」

「は、はい……?」

「イサミっていうのは、なんだ? ミズノの本名か?」

「本名? ああ……その、はい」説明が大変そうなので、とりあえず頷く。この世界には名字にあたるものがない。生来の自分の名前よりも、自分自身で考えたペンネームの方が重要という価値観が楽園の基盤なのだ。

「お二人さん、ずいぶんと仲がよろしいようで」背後から別の男の声と、手。「まさかもうすでにパートナーシップ成立済み……ってほどではないだろうなあ?」

 お二人? パートナー?

 気がつけば、朱組にいた若者たち全員に囲まれていた。後から把握した名前で言えば、トーマス、ホクロ、ナッチ、チャルル、ヒトリデモ、それにフォーレ、パニック・パインといった面々だ。特に、男たちが僕に向ける視線の怖さったらない。揃いも揃って仇を見るような目だ。

 何か悪いことをしただろうか……。

 混乱した頭が一瞬だけ迷走を見せたのち、自分の置かれた状況と向けられた敵意の意味を完全に理解する。

 あぁ、そうか。

 フーフーか。

「いやいやいやいやいや」慌てて首を横に振り回した。「そんな深い関係は何も……ただ生まれた順番が近いクローンってだけですって」

「確かか?」

 首を、縦に。

「ウソはつくなよ」

 同じ動きを、早回しで。

「……まあ、いいだろう」トーマスという男の手がようやく僕から離れる。いかにも体育会系な、血気盛んな雄の顔だ。「しかし、こりゃ参ったな。せっかく同じ組だと思ったのに自由行動とは……」

「こりゃあんまり機会ないかもね」口周りに鍵盤メイクを施した坊主頭の男が深くため息をついた。「ねえミズノ、俺たちも一緒に行くのは無理なの?」

「無理ムリむり」今さっきまで背後にいたバンド風の男が大げさな仕草で肩をすくめた。「僕でさえダメなのにお前がいいわけないじゃん」

「え、ホクロも駄目なの?」

「ダメだめ、なんも言われてないってことは駄目ってこと。クァラが優しいのは新人にだけだよ」

「元からワンチャンなぞなかろうに」僕を囲っていた若者の一人、オレンジと赤に塗り分けられた髪の女の人が鼻で笑った。「フー・フーはアイドルだよ? お前ら夢見過ぎとちゃう?」

「それでもと比べりゃ何千倍も可能性あるだろうがっ!」金髪のトーマスが噛み付く。「こんなチャンス二度とないんだぞ!? 俺は男だ!! ここで踏ん張らないと一生後悔するわっ!!」

「だったらもっと点数上げなきゃ」パニック・パイン……例の可愛い女の子がニシシと笑う。「私に負けてるよーじゃ厳しくない? 無理くない?」

「うるせーよ」語気は荒いが、ややきまりは悪そうだ。「覚えとけパイン、男は点数じゃねえ、中身だ」

「ならなおさらダメじゃん。フー・フー暑苦しいの苦手だってさ」

「んなもんっ……魅力に気づいてもらうだけよ!」

 なかなか一本気な覚悟を吠えて、トーマスは、もう一度僕に向き直った。

「つーわけで、頼むぞミズノ。わかるよな?」

「え?」

 無防備かつ素っ頓狂に、僕は聞き返す。

 とんっと、男5人分くらいの手が、肩に乗った。

「わ・か・る・よ・な?」

 …………。

 そりゃあ……。

 わからないわけはないのだった。

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