幕間

第21話 お誘い

 晩餐会から、二週間ほど経った日のことである。

 ノックにこたえ扉を開けたら、いきなりとんでもなくキレイな女の子……つまり、アーティストが二人もいたものだから、驚いた僕は背の低い二人を見下ろしたまま、無言でまばたきをパチパチと繰り返してしまった。

「ごきげんよう、イサミ・ミズノ」ぬいぐるみをギュッと抱えた右のアイドルが無表情で僕に言う。見覚えがあるというほど記憶に残っていたわけではないが、それでも、あの晩餐会に集まった顔ぶれの中にこの人がいたことはすぐに思い出せた。

 ……あの人だ。

 あの日、とんでもないほど派手な赤いドレスを着ていた……そして、マカの椅子を居残って見物していた変態アーティストの一人である。今日もあの日とは全然印象が違うとはいえ、同一人物のセンスだとひと目でわかるゴッテゴテなドレスを纏っていた。花弁で作ったみたいにフワッフワでカラフルなスカートと、それとは正反対に硬質な黒と茶色のピタッとしたベストを着ている。腰回りと手首のベルトの意匠がどことなくメカニカルな印象をかもし出していて、素直にオシャレだなと僕は思った。腕に抱えるツインテールの女の子のぬいぐるみも、カラフルなパッチワークでサイボーグっぽさが表現されている。

 微かな震えもなく真っ直ぐに僕を見据える大きな瞳。10秒ほどたって、その意味を理解する。

「あ、あぁ、すいません」慌てて身を引く。「どうぞどうぞ……」

 パレードめ……来客がいるとは聞いていたけど、まさかアーティストが二人だなんて。

 僕は、相変わらずパレードの屋敷の一室で過ごしていた。パレードが住んでいる家は小高い山の上の小さなお城みたいな場所であり、普通の方法だと通うことすら困難だ。パレード自身は使い魔の移動力があるから全く気にならないのだろう。

 僕の前を通り過ぎテーブルの前に立った派手なアーティストの後ろに、使い魔が現れる。形状が複雑すぎて、何を模したものなのかは把握できなかった。使い魔が椅子を置いて消え去るまでの時間でわかったことといえば、沢山の貝殻が貼り付いているのかなって程度。

 僕も自分の使い魔から椅子を取り出して腰掛けた。この世界は椅子を持ち運ぶのが当たり前なので、場所によっては椅子が全く用意されていないのも普通だ。

「私はデカダンス。建築家だ」向かい合った僕に対し、そのアイドルはそう名乗った。抜群に通りが良くて、そしてちょっと低い、アナウンサーのような声だ。

 改めてその顔を見つめる。

 気高い瞳は、左右で色が違う赤と青で、白すぎるくらいに白い肌とはっきりとした顔の造形がパレードよりもずっと人形らしい。長い髪は赤と白で、頭の右側にふわっと一纏ひとまとめに縛られている。

 僕は「どうも、よろしくお願いします」と頭をかきながら、気まずさをごまかす意味も込めて、デカダンスの隣に座ったアーティストの方へ視線を移した。

 こっちの人には、ちゃんと見覚えがあった。晩餐会中は酔い潰れてずっと寝るか座ってるかしていた黒いボブヘアのアイドルだ。今日もあの日と変わらずスレンダーな体型が強調されるパンツスタイルで、反則的に可愛い。マカと同じで、親しみやすいタイプの顔だと思う。

 彼女は手に二つのプラスチックみたいなカップを持っていて、片方を僕に向かって差し出した。

「これ、差し入れのプリン。美味しいよ」

「あ、どうもどうも……」僕はペコペコと頭を下げて、プリンと小さなスプーンを受け取った。

「私はフー・フー。いちおう、画家のアーティストってことになってるクローンです」

「あー、はいはい、名前は聞いてます」頷きながら、フー・フーにならってプリンを口に入れた。「あ、うまっ……」

「君に仕事を頼みたい」

 プリンのバカみたいな滑らかさに感動する前に、デカダンスの美しい声音が、空気を引き裂いた。

「はい?」慌ててプリンをテーブルに置いて、僕は首を傾げた。

「フー・フー」デカダンスは隣の彼女に何かをうながす。ぬいぐるみを抱えた愛らしい姿とはかけ離れた、凛とした声と仕草である。

「はーい」

 フー・フーの後ろに、大きなクラゲの使い魔が現れた。そいつの触手が、自分の傘の中から光る額縁を取り出す。

 水面が波打つように、街の絵が浮かび上がった。

 僕は、あまりにもゴチャゴチャと看板にまみれたその景観を、なんとなく知っていた。

「これは……九龍クーロン城塞? いや、香港ほんこんか」

「知っていると話が早い」デカダンスはニコリともせず目で頷く。人形がそうしたみたいに機械的な動きだった。「これはフー・フーが描いたクローンの世界の風景、”香港”。私たちは今、これを作ろうとしている。それにミズノにも協力してもらいたい」

「僕?」

「説明が、必要か?」デカダンスの人形じみた目と、ぬいぐるみのビーズの目玉がきゅっと僕を睨んだ。

「い、いや、わかります、えっと……」目をそらしながら、首をかく。「漢字、ですよね?」

 デカダンスは頷きもしなかったが、否定もしなかった。つまりは正解ということだろう。

 はあー……っと、僕はため息をつく。

 そうかそうか、そういうことか。

 実は今、僕はそこそこ有名人だったりする。晩餐会の翌日に筆とすみの代わりになるものをパレードと探して、僕が書いた四字熟語……「春夏秋冬」。

 あんな小学校の習字大賞みたいな紙一枚から轟々と灰色の瓦斯が取り出せたときには、さすがの僕もちょっと笑いが止まらなかった。

 なんたってこの世界には今まで、漢字なんてろくに存在しなかったわけだ。せいぜいタオシェンとか一部のクローンが自分のために使う程度である。少なくとも、漢字を自在に使いこなせ、なおかつ書にセンスがあるクローンは今までいなかったらしい。

 僕は地味ながら、書道の経験がある。と言っても多分、高校時代の部活程度だと思うが……記憶が薄いので、はっきりとしたことは言えない。でも、比較的字が上手い方だったのは覚えてる。そうなればもう、漢字、というよりも四字熟語やことわざというのは相当な武器となる。まず漢字自体が芸術度高いうえに、先人たちがつむいできた諺が、全部僕が考えた詩の一種ということになる。

 大儲けだ。

「え、でも……」僕は技術を見込まれての勧誘という味わったことのない状態がこっ恥ずかしくて、ごまかすみたいに苦笑いをした。「わざわざ僕が書く必要あるのかな。こういうのって、下手でも別にいい訳だし、色んな人がごちゃごちゃに作った方が……」

 言おうとした言葉が、眉一つ動かさないデカダンスを見てるうちに、徐々に途切れてしぼんでいく。

 しばらく沈黙が流れた。

 ……気まずい。

 やがてデカダンスがゆっくりと口を開く。「君は、この世界をどう定義しているのかな?」

「定義……?」

「ここは楽園、全てがただ芸術のためだけに存在する世界だ」

 デカダンスの声はどこまでも冷徹で、まるで人の言葉ではないかのように鼓膜に響く。

「この世界の資本は芸術のクオリティから取り出される。諸君らの世界ならいざ知らず、この楽園では、質を妥協して得られるものなど何一つない」

「…………」

「今、”漢字”という表現形式において、最も点数が高いのはミズノだ。ならばミズノがやらなければ、"九龍城塞”という作品の総得点は理論値に届かない。違うか?」

「……違いません」僕はうつむく。どうやら叱られているらしい。

「故に私は君に仕事を頼みに来た。イサミ・ミズノ。我々とこの世界が今、君のセンスを必要としている。聞きたいのはイエスかノーだけだ。如何に?」

 デカダンスの目は恐ろしく冷たく、内容とは裏腹に無感情な声音には抗いがたい威圧感がある。正直情けないくらいに心臓に汗をかき始めていた僕は、隣のフー・フーが、「私からも、お願い」とありえないほど素敵な笑顔で呟いたのにあっさりと平伏して、「はい、あの……喜んで」と色よい返事を返してしまった。

「何よりだ。では、明日から。細かいことはフー・フーに聞くように」

 デカダンスは立ち上がり椅子をしまうと、そのままきびすを返して部屋から出ていってしまった。

 途中、ドアのところでクルリと一度だけ僕を振り返る。「私の元で働く以上、君も今日からはデカダンス組の一員だ。私のことは、監督と呼べ」

「あの……はい」

 デカダンスが、片眉を釣り上げた。

「……監督」

「よろしい」

 交わした言葉は、これっきりだった。

 …………。

 なんか……変に疲れた。全身からプライドがにじみ出てるみたいな、怖い魂を搭載したアイドルだった。

 で……僕は明日から、何をすればいいって?

 悪徳業者に契約を押し切られたみたいな気分で僕は、居残ったアーティスト、フー・フーと向き合った。

「……プリン、食べないの?」スプーンをくわえたまま、そのアイドルは恐ろしく可愛らしく瞬きした。

「あ、はい。美味しいですとっても……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る