第20話 劫める、パレード

__まず、一つ。

 ……パレード、凱旋パレードにて



 悲鳴みたいに情けない声を上げながらもなんとか僕が踏みとどまれたのは、後ろにいるアーティストの誰一人として身動き一つ取らなかったから。

 呼吸もできないまま、目線だけ空に固定して腰を抜かした僕の頭上で、星空から降ってきたそれは軽やかにひるがえった。

 風を感じる。

 息もできない爆風。

 確かどこかで、見たことのある動き。

 だけど、あの時見たものとは比べ物にならないくらいにしなやかで、そして質量に満ちた飛翔だった。

 真っ白な体。

 雄大な翼。

 ……白竜。

 星のような光を全身に反射する一匹の竜が、羽ばたく轟音に空気と光を巻き上げて、僕らのもとへと降り立った。

 デカい。

 それも、とんでもなく。

 宙返りしたドラゴンは、いつの間にかバルコニーと同じ高さにまでせり上がっていた箱の屋根に着地して、大木を思わせるほど長い首を月へと振り上げた。竜が運んだ天空の冷たい空気が白く霧のように立ち昇り、瞳が冷やされて鳥肌が立つ。

 細長い……それでも太ったウナギほどの太さのあるひげが、独立した生き物のように揺れている。

 ゆったりとした動きでパレードの隣に添えられた、巨大な頭。

 翼にたがわぬ、規格外のサイズ。

 めまいを感じる。

 白いドレスをまとう美しき少女パレードは、自分の体よりも大きな竜の頭を小さな手のひらで撫でながら、めた瞳で僕を見下ろしていた。

 一匹の竜と一人の少女の、物語のように神秘的なシルエット。

 僕は口がきけなかった。

 ドラゴンって、こんなに美しい生き物だったのか……。

「月光竜……夜にのみ姿を見せる渡りの竜。五十ある私の作品たちの中でも、とりわけ可愛い白蛇ちゃんさ」

 空よりも澄んだパレードの声。

「すげえな、こいつは初めて見たよ」赤いポニーテールのアイドルが、真っ先に柵を乗り越えて竜の足元へと歩いていった。

 右を見れば、ココルは使い魔と額縁を出して、多分写真を撮っている。よく見れば大半のアーティストたちが、それぞれの使い魔で同じようなことをしているようだ。

 竜はその姿にたがわぬ高貴さで、巨大で細長い体を両足と翼で支えて堂々と佇立ちょりつしていた。

 僕はまだ一歩も動けない。

 生き物って、ただ大きいだけでこんなにも圧倒的なものなのか。自分がまっすぐに立っている感覚が希薄になって、正直気絶しそうだった。

 パレードの横に竜が顔を寄せているということは、僕の目の前にその鼻先がチラついているということ。竜は全体的に、角ばったところのない恐ろしく流線的のフォルムをしていて、首だけ見れば白い大蛇に見える。これ、一体何メートルくらいあるんだろう? 距離感がおかしくなって頭がクラクラする。少なくとも、象何頭分とか、そういうラインで語るべきサイズなのは間違いない。

 このサイズで生きている命があるという、ただそれだけでも感動的なのに、そいつは空を飛んでいて、そいつは月明かりのように美しい。

 巨大な青い宝石みたいに単純な瞳が、僕を見つめる。

 目を細める。

 透き通った輝き。

 その視線の中に僕がいるという単純な事実にさえ、なんだか魂が揺すぶられる心地がした。

「パレードはね、150年前に五十の竜と共にこの街に凱旋パレードしたのさ」ジョーカーの渋い声。「世界が生まれるであろう魔法生物の是非に思いを馳せている間に、彼はしれっと秘密の卵をかえらせて、世界中にその巣を散らばらせてみせたんだと。当然、俺は見たこともないが」

「すごい……」誰かはわからないアイドルの声。僕は振り返れない。

「あの日のことは、忘れない」

 低いささやき。

 イヴの声。

「空を覆った竜の群れ……この街の上を雄大に舞い遊び、咆哮を響かせた彼らに、僕らはただ息を呑むしかなかった」

 竜はゆったりと、頭をもたげる。

 月に並ぶ、蛇の頭。

 星のように白く輝く。

「ふはは、懐かしいなぁ」ベルゼブブの、エスプレッソのように深い声。いつの間に……。

 でも、ベルゼブブの存在程度で揺らぐような脆弱な感動ではなかった。

 なんか……。

 よくわかんないけど、僕は涙が出そうだった。

かつてはドラゴンなど、この世界にいてさえ絵空事であった」ベルゼブブは続ける。「想像したまえ。そんな時代に、この空を生ける竜が埋め尽くした壮大さを。史上最高のサプライズ・アート……人類は、永劫を望んだ一人のアーティストの夢に世界観をかすめ取られてしまったのだ」

 ……空を埋める竜の群れか。

 一匹でも、こんなに雄大。

 これが五十匹だって?

 なんて途方もない。

「あの日から、この空は竜のものだ。私がそうした」

 パレードの薄桃色の頬に、微笑みが浮かぶ。

「竜じゃねえ。”竜が住むこの世界”。それが私の作品だ」

「パレードはね、この世界をファンタジーとして完成させた人間なんだよ」イヴが優しい声で、おそらくゴブリンに語りかけている。その言葉も、心に響いた。

「ほらおいで、怖くないから」柵から飛び降りたパレードは、怖がっているゴブリンの手を引いて抱き寄せてる。「鼻撫でてみな? 噛まないからさ」

 ゴブリンはパレードにしっかり抱きついて、オズオズと手を伸ばしている。そんな二人を、後ろからイヴが抱いている。なんだか親子のような風景だ。

 僕はようやく深く息を吐いて、白い神秘と冷静に向き合うことができた。

 だけどまあ、僕ごときに語れることなんてないなと思った。

 気がつけば、アイドルたちは竜を囲んで思い思いに見物している。柵の手前にいるのは、不老不死の三人とゴブリンの他に、ジョーカーとカサンドラの、体を変えていない二人だけ。

「お前ら見に行かないの?」パレードが聞く。

「危なっかしくて落ち着かんよ」と、ジョーカー。「人形アイドル連中は無茶できるからうらやましいよな」

「むさいんだよ、生き物は」えっと……カサンドラはハスキーな声で鼻を鳴らす。「ケツの前にいんのはカカリンか? 臭くねえのか」

「おらおらお前ら離れろ!」パレードが可愛い声で叫ぶ。「こいつはわりと繊細なんだ。街の連中にサービスもあんだからさっさと退け!」

 白竜が巨大な尻尾を振って、赤髪のアイドルを押しのけた。

「どわっ!? パレードてめえこの野郎!」

 声を無視して、竜はカーテンのように薄く模様の張った翼を翻す。

 ぬるい風。

 見物していたアーティストたちがみんな脇に退ける。パレード以外のバルコニー組も身を引いた。

 咆哮。

 鐘のように。

 笛のように。

 ライオンのように。

 甲高く。

 竜はふわりと、風をまとって浮かび上がる。

 何かが壊れる音。多分、竜が乗っていた屋根。

 見上げた先で、竜は宙返りと同時に大きく翼を広げ、空を叩きつけるように力強く羽ばたいた。

 暴風。

「きゃあっ!?」と、ゴブリンの叫び声。アイドルたちのスカートがなびく。

 あっという間に風を掴み数十メートルを瞬く間に上昇した竜は、見下ろす街へ向かって軽やかに飛翔を開始した。

 空気が剪断せんだんされ、痺れのように伝播してく波動の感触が、顔の前に漂う。

 僕はずっと、竜の軌跡きせきを眺めていた。

 五分か十分か……街の上で美しい光を巻き上げ続けた神秘の竜が花火のように上昇し、やがて星の一つに紛れて見えなくなるまで。

 ……凄まじかった。

 冗談じゃなく、人生で一番感動した。きっと、この世界に生まれる以前の記憶を含めてもブッチギリにとんでもない体験だったんじゃないだろうか。

 どうやら僕はまだ、魔法の世界のポテンシャルを舐めていたらしい。

 竜。

 生き物一匹が発せられる力の限界を遥かに超えた魂の威圧感、竜の鼓動、みなぎる巨大な力……そんなものが、僕ごと巻き込んで、この空間で脈動してる、そんな感じだった。

 なるほど、ファンタジー作品では竜がラスボスに選ばれるわけだ。

 あれが、パレードの作品アート

 アートと聞いて僕が思い浮かべたもの……絵画、音楽、小説、建築、彫刻。そんなありきたりな想像力の遥か上空を、星色の竜はあっさりと飛び去っていった。

 なんて、雄大。

 ……ならば、それを作った人間とは?

 振り返ると、体の透ける白いドレスを着た幼い少女が、僕を見つめている。

 落ち着いた顔で、微笑んでいる。

 あぁ、もう。

 僕の心を見透かすように黙って佇む、世界のデザイナー。

 茶目っ気を捨てたパレードの顔は、とてつもなくズルい。

 かなわないなぁ。

 心の中でお見逸みそれしましたとつぶやいて、僕は頭を下げた。

「よしよし、ようやく私の凄さがわかったか、新米クローンめ」パレードはまた、いつもの調子でニシシと笑う。「って、それあんまりいいことじゃねえんだけどな。あぁ、意せずとも尊敬を勝ち得てしまう罪な威光もやはり偉人の宿命なのか」

「……そんな偉人が、なんでクローンの世話なんかしてるんですか?」僕は素朴な疑問をぶつけてみた。

「ただの趣味」パレードは肩をすくめる。「面白いものを誰よりも先に知りたくなるのは人情だろ? 私は異世界に興味津々なのさ。ミズノにもいい作品期待してるぜ」

 作品かぁ……。

「まあ、時間はたっぷりあるさ。ゆっくり考えな」

「……考えはありますよ」僕は答えた。

 パレードは、目を丸くする。

「おっ? マジ?」

「いや、点数がどうなるかは全然わかんないんですが……」僕はなんとなく恥ずかしくて頭をかく。「損とかないんだし、やれるだけやってみようかなと」

 パレードはニッコリと微笑んで、僕を小突いた。「いいね、その意気だよミズノ。まずは何事もやってみなきゃ」

 そう……僕は一つだけ、僕にできそうなことを思いついていた。それも、もしかしたら結構な点数が出るかもしれないもの。初めて瓦斯の仕組みを聞いたとき……風景画でアーティストになったクローンの話を聞いた時には、頭に浮かんでいたアイデア。

 ……結局僕は、日本人なら誰でも知ってるそれのおかげで、このあとの人生がバラ色にひらけたわけだ。

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