第2話 取引


薄暗い部屋の中で、小野寺要は目を覚ました。


「ん、、?今何時だ、」


寝ぼけ眼で時計を見ると、針は12時を回ろうとしていた。


「しまった!また授業行きそびれた、、」


はあ、とため息をつきながらのそのそと起き上がる。


「うっ」


顔を歪めた。突如背中に激痛が走ったのだ。しかし、それは一瞬だった。


「何だ今の」


痛めたのかと思い、意を決してグッと背筋を伸ばしてみたが、もう痛みはなくなっていた。


そういえば、昨日背中に、、なんかしたっけ?


少し考えてみたが、心当たりはない。


「なんか、変な夢見たな」


内容はよく覚えていないが、寝汗はびっしょりだった。悪魔でも見たのだろうか。

服を脱いでシャワー浴び、午後の授業に間に合うように部屋を出た。


要は大学に上がってから、実家を離れ一人暮らしをしていた。つまり、朝ごはんを作っておいてくれる家族も恋人も、彼にはいなかった。

料理はできるが、最近はめっきりしなくなっていた。


「腹へった〜」


お腹の音を抑えながら、大学に着いて早々食堂へと向かう。だだっ広い食堂をジーっと見渡していると、


後ろからバシッと思い切り背中を叩かれた。


「いって!」


「要、遅えよ!また授業サボっただろ!」


見るとそこには無邪気な笑顔を浮かべた井上誠がいた。かなめより少し背が小さいが、見るからにスポーツ少年という雰囲気があり、高校ではサッカー部のキャプテンを務めていたほどだ。


要はバスケ部だったが、高校に入学して2人が仲良くなるのに時間はかからなかった。一見反対な性格をしているようで、井上とはとても気が合ったからだ。

そこから大学も偶然一緒になり、高校時代から今でも連んでいるのは、井上くらいだろう。


「悪い、寝坊した。というか背中痛い」


冷めた目でそう言うと、井上はヘヘッといたずらっ子のような笑顔をこぼした。


「それより、あっちで飯食ってるから早く行こーぜ」


見るといつものメンバーが座っている。

大学でできた小野寺の数少ない友人たちだ。


「かなめ〜また寝坊か?単位大丈夫かよ」


心配そうにこちらを見てきたのは佐藤大我(さとうたいが)。同い年とは思えないほど大人びていて、すごく優しい。みんなの保護者的な存在だ。


「今日は俺授業出たもんね〜、要ってば俺よりサボリ魔じゃねーの?さては、女か?」


こいつは神田幸治(かんだこうじ)。女遊びが大好きで、可愛い子を見かけると声をかけちゃうようなチャラ男だが、根はいい奴、だと思っている。

だが学校への出現度といえば、小野寺といい勝負をするほどのクズっぷりだ。

大学では、大体この4人でつるんでいることが多かった。もちろん他の3人はサークルや部活にも入っているから交友関係は広いが、要は大学で話すやつといえば大抵この3人なのだ。


「うるさいな。お前と一緒にすんな、意図的にサボっている幸治とは違う」


とは言うものの、さすがに授業に出ないと単位を落としそうなのは事実だった。

やばいな、と思いながらご飯を済ませた。


「あっやべ、そろそろ授業始まるぞ!いくか」


誠の言葉に、みんな嫌々立ち上がり学食のお盆を返しに行こうと立ち上がった。


うしろで「あ〜だりぃーなー」

と、幸治がぼやいているのを無視してテクテクと返却口へ向かう。


「おい、ちゃんと持ってないとうどんの汁こぼすぞ」

大我が注意している。


「大丈夫だって〜心配性だなあ大我は」


と言った次の瞬間、どんっと他の学生たちとすれ違った拍子に幸治の足元がふらついた。


「うおっ」

幸治の驚いた声と同時に


「かなめ!」

と言う大我の声で振り返る。


見ると体勢を崩した幸治が持っていたお盆をブチまけようというところだった。


そしてお盆に乗っていたうどんの器が吹っ飛びうどんの汁が、まさに要を目がけて飛んできたのだ。

まるで、スローモーションのように、うどんの汁が飛んでくるのが見えた。


要はうどんの汁をかぶる覚悟をして目を瞑った。


しかし、明らかに自分にかかろうとしていたうどんの汁は飛んでこない。

恐る恐る目を開けると、


まさにうどんの汁が、スローモーションのように飛んでくる、スローモーションのように、、スロモー、、



―――――というか、止まっている、、?


「は?」


思わず声に出した。


なんだこれ。


うどんの汁だけではない。

焦った顔でうどんの器を見つめる幸治も、

それを止めようと手を伸ばす大我も、

こちらを振り返ろうとしていた誠も、


いや、この食堂にいる全員が、あるいはそれ以外も、、止まっているのだ。


いつもはうるさいはずの食堂が不気味なほど静寂に包まれた。


「おい、どうしたんだよみんな、

なんの冗談、、、」


焦って目の前の2人に声をかけたが、勿論返答はない。

要はどうしたらいいかわからず数秒そこに立ち尽くしていた。自分も止まっているかのように。

しかし、意を決して足を踏み出してみた。

とりあえずこのうどんの汁から逃れようと、数歩横へとずれた。

何かが成功したかのような達成感から、ホッとひと息つく。



すると、今度はみるみるうちに全員がゆっくりと動き始めた。

同時にうどんの汁が要ではなく、誰もいない床へと、パシャリと音を立てて落ちた。


「うわぁぁっ、かなめ?!お前今、ここにいなかったか?」


驚いた顔で幸治がこちらを向く。


「あれ、、?俺も今、要に汁がかかるとおもって、、え?」


と大我も同じ目で見てきた。


しかし1番驚いていたのは正真正銘、要だった。

なんだ今の。


時がーーー止まった、、?


いや、まさか、まさかな。


焦る心を抑えながら、「いや、気のせいだろ。それより早くこぼしたやつどうにかしろよ、俺先行ってるよ」

と言ってその場を離れた。


「えっおい要!」


後ろから誠が声をかけていたが、要には届かなかった。


まだ心臓がバクバクと音を立てている。

結局あの後、授業には出ずに近くの喫茶店へと入った。いつもは学生たちで賑わっているが、1番授業が多い時間帯ということもあり人は少ない。


落ち着け、落ち着け、と要は自分に言い聞かせた。

何が起きたんだ?なんださっきのは。


全く心当たりがない上に、いきなりあんな変な感覚に陥って、動揺しないはずがなかった。


はあ、とため息を着いて立ち上がった。考えていても答えなど見つかるわけがない。まさか、力が開花したのか、、?などと厨二臭いことを考えもしたが、そんな冗談で割り切れるほど心は穏やかではなかった。


もう授業に出る気分でもなくなってしまったので、とりあえず家に帰ることにした。



来るとき駅で、ティッシュを配っていたお兄さんは、相変わらずティッシュ配りをしていて、家を出てからまだ全然時間が経っていないようだった。


ぼーっと考えながら移動していたためか、気づいたらもう家のすぐ近くまできていた。いつものようにあの路地を通りかかろうとしていたところだ。


ん、、?路地?


何だろう。この違和感は。

ここで誰かにあった気がしてならなかった。

何か、特別なことがあるような。


しかし、何が起きたかは思い出せない。

もしかして今日見た夢に何か関係があるのだろうか。



何はともあれ、ますますこの路地が不気味に感じてしまった。通るのをやめよう、と振り返ろうとしたとき、




"カナメ、君は無事、力を手に入れたようだね"



再びあの声に呼び止められた。

路地の奥を見ると、1人の少年が立っていた。



「、、、ラルフ、、?」



自分が発した言葉に、要は違和感を覚えた。

知っている。彼の名前を。


だが、どうしてだ。会ったこともないのに、名前がわかるはずがない。



「昨日ぶりだね、要。

僕の名前、覚えていてくれたのか」



綺麗な顔でニッコリと笑顔を浮かべ、彼は言った。



「きのう、、?」



吸い込まれるようにラルフの瞳を見つめていると、昨日見た夢を思い出していた。

いや、正確には夢ではなく、現実だった。


昨日の夜、俺はこいつと会っている。

たしか取り引きがどうこう言っていて、意味がわからないから置いて帰ったんじゃなかったか?


あの出来事を、何故か夢のように感じてなかなか思い出せなかったのは不思議だったが、よく思い出して見ると確かに現実だったような気もする。


眉間にシワを寄せて考えていると、

クスクスという声で我に返った。


見ると、ラルフがクスクスッと楽しそうに笑っている。


「記憶が曖昧なのも無理はないよ。

それは副作用のようなものなんだ。」


「は、、?どういう意味だ?!

まさか、さっき食堂で起きた出来事とお前、何か関係があるのか?!」


「あっはは。関係している、以外の何物でもないよ」


「ふざけるな!俺の体に何したんだ?」


「なに、そんな怒ることでもないさ。僕はただ、君に力を与えただけだよ。さっき体感しただろう。

それにしても、大成功!時を止められる能力なんて、やっぱり僕の目に狂いはなかったんだね。」


「なに言ってんだ、、力を与えた?能力?

意味がわからない!ちゃんと説明しろ!」


「わかったよ、カナメ。落ち着いて。うーん、説明しろと言われてもなぁ。

つまり簡潔に言えば取り引きさ。

僕は昨日の夜、オノデラカナメ、君に能力を与えた。それはどうやら"時を止められる能力"だったらしいが、その力を使って、僕の世界を救って欲しいんだ。」



要は深い溜息をついた。


「いや、全然意味わからん、、」



「本当に物分かりが悪いね君は。

時間がないんだ。カナメのその力なら絶対に世界を救うことができるよ!」



ラルフはそう嬉しそうに笑っていたが、当の要は全くわけがわからない、という感じで、頭の中はぐちゃぐちゃだった。



「世界を救う、、?いい加減にしろよ。さっきからなにを言ってるのかさっぱりなんだが。」



強気でそう言って見たはいいものの実際状況が全く理解できていないのは自分だけで、とてつもなく嫌な気分というのは間違いない。



とりあえずこのラルフとかいうやつの出方を見ようとした。


しかし、ラルフは顔色ひとつ変えずにただ要の目を見つめるだけだ。



沈黙を先に破ったのは要だった。

耐えられずため息をついて言った。


「わかったよ。お前が俺に能力を与えた代わりに、俺に世界を救えって話だろう。その話は理解したことにしてやる。だが、取り引きといったよな?この場合、俺の分が悪すぎやしないか?能力の代償が世界って、、スケールデカすぎて全くなにをすればいいやら。つまり、俺にはこの取り引きを決裂させる権利があるはずだ」



ラルフは暗い微笑を浮かべて言った。



「いいや、それは無理な話だよカナメ。何故なら君はもう能力を使ってしまったからね。僕は君に能力を与えたと言ったが、正確には"能力の種"を与えたと言った方がいいかもしれない。その時を止める能力を、発生させたのは君自身で、それを使ってしまった時点でその能力はもう君のもの。もう種を返すことはできないだろう。」



「そんな、勝手すぎるだろ!勝手にその種を与えておいて、後からなにを言おうが通じませんってこんなの取り引きとは言わないだろ」



「君の言うことも一理あるよ。でもそれは僕には関係のないこと。君が泣こうが喚こうが成り立ってしまったものは仕方がないことなんだ。君に取り引きを決裂させる権利はないが、世界を救う義務があるってことだよ」



ラルフは有無を言わさない威圧的な笑顔でニッコリと笑った。



頭に血が上って行くのがわかった。

そんな無責任な話あってたまるか。



「ふっざけんな!」



要は叫び、ラルフに飛びかかろうとした。


―――が、気づくと要の方が地面に這いつくばっていた。


消えたのだ。


今までここにいたはずのラルフが一瞬にして消えてしまった。



"信じているよ、カナメ。君が必ず僕の世界を救うと―――"



どこからともなく聞こえたその声が、頭の中でひどく響いていた。

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