魔王の婚印
紅夕陽
プロローグ
俺が死に瀕するのは、主観で言えばだが、これで二度目のはずだ。
小さな泉の周辺に生えている樹木へと力なくもたれかかる俺の前には、本来であればここらへんに生息していないはずの、大蜘蛛のようなモンスターの死体が転がっている。
奴の体中に刻まれた刀傷や穿たれた弾痕からは生々しく白色の体液が流れ出していて、幾つもある脚を痙攣させている。
俺も俺で、鼬の最後っ屁として受けてしまった突進のせいで死にかけだ。血が口へと逆流してきたということは、内蔵にも相当なダメージが入っているのだろう。
もしかしたら、折れた骨の破片か何かが具合悪く突き刺さっているのかもしれない。
「……だいじょうぶ、か?」
喉から無理やり絞るように出した声は、木に隠れているであろう子供に向けたものだ。
このクソ蜘蛛と戦う理由になったその子供は、ゆっくりと木陰から出て来て俺の前まで歩いてくる。
深くフードを被っているせいか、顔はよく見えなかった。
「……はい、あなたの、おかげです」
「そいつは、よかった」
返ってきた言葉に、俺は小さく微笑む。
女の子の震えた声だった。咄嗟に隠れさせたものだから、気付かなかったな。
――しかしなんでまた、こんなことになったのかね。
そう思っても後の祭りだ。
本当なら、里帰りしている間にこの場所を綺麗に掃除して、夕方には帰る予定だったというのに。
せっかく、しばらくはゆっくりと羽を伸ばせると思っていたのに。
俺はこのままだと、間違いなく死ぬだろう。指先というか、末端から体温が消えていく。痛みも含めて、五感が鈍くなっていくのがわかる。
今更、見ず知らずの子供を助ける為に戦ったのが間違いだったのだろうか。
変に芽生えた……というより、ぶり返してきた価値観による衝動に負けたのがいけなかったのだろうか。
ただまあ、甘い話ではあるが、見捨てられなかったと言うしかない。
これまで散々、餓えてる相手に手を差し伸べたりとか、手酷く奴隷を扱う主人にああだこうだと言うことはなかったというのに、目の前で襲われている子供だけは、見捨てられなかった。
それでこのざまである。本当、笑えやしない。
何にせよ、残り時間は少なさそうだ。このまま瞳を閉じれば、それこそ永遠の眠りにつくだろう――
「……わたしが、あなたを助けます」
――はずだった。
遠のいていく意識の中、ハッキリと聞き取れたのはそんな言葉だった。
霞みゆく視界に少女の決心をしたような表情が映って、混ざりけのない紅玉のような瞳が俺を見据えていた。
そして、徐々に顔が近付いてきて、唇に柔らかな感触があった、ということを最後に……俺の意識は、眩い光の中へと落ちていった。
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