夏行草

@kurayukime

序の一

 知らない番号から電話があった。久闊の友人であった。

「おお、だれかと思ったよ」

「ひさしぶりだねー」

「うん、そっちはどう?」

「ぼちぼち」

 もう七年は前になるか、一人の留学生に惚れて彼女の地元まで追っかけて、そこで結婚してしまった彼とは中々顔を合わす機会がない。今はシドニーで暮らしているはずだ。

 それでも会話の内容は他愛ない。お前もはやく結婚しろよ……そういえばあいつはどうした……修学旅行の時にさ……やっぱホラー映画はいいよな……最近仕事でさぁ……。

 久しぶりに友情みたいなものが身体の中に入ってきて、舞い上がってしゃべりたおした。あらかたしゃべり尽くすと、私たちはその気持を抱えたまま別れを告げ、電話を切った。

 私はしばらく電話を握ったまま気持ちよく思い出に浸っていた。煙草に火を付け、頬杖をついて、紫煙を眺めながら、中学時代の教室や高校の通学路、彼の結婚式。夢のように目に浮かんでくる。一本咽みおわっても頬杖で放心していた。

 そういえば、あいつの奥さんって毎年アデレードまで行くんだよなぁ……。

 と、私は唐突に空想から現実に弾き飛ばされた。

 血がザッと音を立てて落ちていく。

 真っ青になった唇に煙草をつっこむが、手が震えて火を上手く付けられない。

 クソッ、と呟いたらぽろりと煙草が落ちる。

 携帯電話を握りしめ、フラフラと立ち上がる。

「クソッ……なにやってんだ?」

 私は再び煙草をくわえた。幾らか落ち着いて火を付けることができる。一服すると更に落ち着く。で、考える。

 あいつは死んだはずだろ?

 そうだ。毎年ツアー・ダウンアンダーを見に行く奥さんに彼はついていった。車だった。

 一昨年のことだった。

 トラックに跳ね飛ばされた。夫婦は即死。

 ……じゃあ、今の電話は誰からだ?

 私は携帯の履歴を見る。

 ない。

 誰からも電話がかかってきてはいない。

 

 私は怪談を書く時、この体験を思い出す。

 これを心霊現象や霊界からの通信だと言いたいわけではない。むしろ逆だ。私はずっと放心して空想に浸っていたんだろう。――つまり、電話なんて掛かってきていないのだ。彼と話している空想をしていただけ。それを現実に電話が掛かってきたのだと思いこんでしまっただけだ。

 なぜそう思うか?

 証拠が何一つないからだ。

 かえって、それが幻の声である証拠があるくらいだ。履歴がないことが一つ、ぼんやりと頬杖をついて思い出に浸りきっていたことが一つだ。


 心霊現象を否定する気はない。もちろんだ。しかし、私たちは時々、自分たちで怪奇な出来事を作り出している。人間は誰も現実を全て見通せるわけではない。私たちは私たちが現実だと思っている世界の中で生きているにすぎない。

 私にとってこれはとても興味深いことだ。

 そこで、まずは人が作り出した「怪異」から話しはじめようと思う。

 残念ながら、私の能力不足で最近の話は少ない。ほとんど古い話だ。暑気払いに肝を冷やそうと思っていた読者の面々には変化球に見えるかもしれないが、どうか私の都合に付き合ってもらいたい。

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