第5話
第五章〔S・R〕
彼女はあっという間に、二つのタイヤキを食べ終わった。
よほど美味しかったのか、それともお腹が減っていたのかはわからないが、
最初見た落ち込んだ悲しそうな顔は、そこにはなかった。
「あ~、美味しかった。」
満足そうに口をハンカチで拭く。
もちろん、俺の渡したハンカチで…。
「くそ~、ハンカチの奴~」
俺は自分のハンカチに嫉妬してた。
彼女が俺の顔を見て、
「なんて顔してんのよ。」
俺は慌てて、
「い、いや、美味しそうに食べるな~って」
「だって、ホントに美味しいかったんだもん。」
嬉しそうに彼女が答える。
気が付くと、夕日もほとんど海の中に消えていた。
しかし空はまだ真っ赤のままだ。
この時間帯に吹く風は、とても気持ちがいい。
それもすでに体験済みだ。
案の定、「うわ~、風が気持ちいい~!」
彼女の髪が風に揺れる、
「この場所、最高だね!」
「だろ、この場所が俺の知ってる中では最高の場所なんだ。」
自慢げに俺は答えた。
「でもよかったよ、元気になったみたいで。」
俺の言葉に彼女の顔が一瞬曇った。
「しまった…!なに言ってんだ…俺…」
しかし、次に口を開いたのは、彼女の方だった。
駐車場の方を指差し、
「あのオートバイ、あなたの?」
さっきの話をそらすように、俺に尋ねた。
「あ、うん。俺の…。」
俺はさっき言った事を後悔しながら、彼女の方を見た。
「なんだか古そうなオートバイね。お父さんの?」
「いや、親父のじゃないよ。正真正銘、俺のオートバイ。」
「古そう」という言葉にひっかかったが、仕方がない。
むき出しの真ん丸ライトにウインカー、
丸いタンクに長いシート。
たしかに昔のオートバイみたいだ。
でも、彼女の方がマシかもしれない。
妹には「古臭い」と言われたからな。
「あのオートバイは〔ヤマハSR〕といって、
新車を発売した時から、今でもほとんど形が変わってないんだ。
だから、今、新車を買ってもあの形のままなんだ。
俺、あの形がオートバイらしくて好きなんだ。」
でも、あのオートバイは中古なんだけどね。
俺はウンチクを自慢げに話した。
さらに、「名前の〔SR〕っていうのも気に入っているんだ。
俺のイニシャルも「S・R」なんだ。」
彼女は一通り聞き終わると
「へ~、そうなんだ。好きなんだね、あのオートバイ。」
彼女が優しく微笑む。
一瞬、何かを思い出したように
「あっ、私もS・Rだ。」
「へ~、S・Rかぁ、なんて名前なんだろう?」
俺は彼女に名前を聞こうと思ったが、すぐに思い止まった。
一番最初に彼女が言った「ナンパ」という言葉が、頭をよぎったからである。
「名前なんか聞くと、やっぱりナンパと思われるよな。」
彼女からも俺の名前を聞いてくる気配がない。
「俺の名前なんて、どうでもいいことなんだろうなぁ…」
、
頭の中で、あれこれ考えていると
「ねぇ、オートバイって気持ちいい?」
彼女がニコニコしながら聞いてきた。
たしかにオートバイが走ってるのを見ると、気持ち良さそうに見える。
イメージ的には、渋滞をすり抜け、
風を感じて、自然と一体になって走る。と、思われがちだが、
実際は、夏は暑いし、冬は寒い…
ヘルメットは被らないといけないし、長距離はつかれる…
雨には濡れるし、荷物はほとんど積めない…
マイナスポイントだらけなのだが、
それらを補って有り余る、気持ちいい瞬間が確かにある。
いや、マイナスポイントだらけだからこそ、
その「気持よさ」が、何倍にも感じるのかもしれない。
だから俺は、彼女の質問にこう答えた。
「うん、すっごく気持ちいい。ここの海岸線を走る時なんて、もう最高。」
俺の答えに、彼女は
「へ~、乗ってみたいな~」
思ってもみない返事だった。
「え?乗る?女の子が?俺のオートバイに?」
もちろん、今までオートバイに女の子を乗せた事など無い。
いや、それ以前に「乗りたい」って言った人間はいない。
あの妹ですら、言った事ないぐらいなのだから。
俺はドキドキしながら
「うん、いいよ。乗ってみる?
あ、でも、ヘルメットが一つしかないから、そこの駐車場の中だけね。」
俺は彼女と駐車場に行き、オートバイのエンジンをかけた。
「ドゥルン…!、ドッドッドッドッドッ…」
小気味よいエンジン音が、駐車場に響く。
「じゃあ、ここに座って。」
「うん」
小さく彼女が、うなずく。
足を揃えて、チョコンと女の子座り、なんともカワイイ。
緊張してるみたいだ。
「曲がる時は、オートバイを傾けるから、しっかり持ってて。」
ホントは「俺にしっかり、しがみついてて」と言いたかったが、さすがに恥ずかしくて言えなかった。
「じゃあ、行くよ。」
「う…ん」
彼女の小さな声が聞こえたような気がした。
俺はアクセルを少しづつ開け、人が歩くより少し早いスピードで、オートバイを走らせた。
Uターンするたびに、オートバイが右に左に傾く。
それに合わせて、彼女の「キャ~!キャ~!」という悲鳴が駐車場にこだまする。
そのうち、彼女の悲鳴が
「キャ~アハハ!」に変わっていった。
「あ~、面白かった。まるでジェットコースターに乗ってるみたい。」
彼女の満面の笑顔が、街頭に照らされる。
気が付けば辺りは真っ暗になっていた。
彼女も辺りの暗さに気が付いたのか、
「あ、もうこんな時間、帰らなくちゃ。」
彼女は腕時計を見ながら呟いた。
タイミングが良いのか悪いのか、ちょうどバスがやって来た。
まだ話しをしてたかったが、無理に引き止める事も出来るわけなく、
バスに乗り込む彼女を、俺は黙って見てた。
しかし、「せめて名前だけでも…」と思い、
「あ、あの…」
「ん?」
彼女が振り向く。
言葉が続かない…
「バイバイ。」
彼女は手を降りながら、バスに乗っていった。
彼女が、俺の見える窓際の席に座ったと同時に、バスの扉も閉まった。
バスが発射しようとした次の瞬間、彼女が窓を開け、
「あなたはダメなんじゃないよ!楽しかったよ!今日はありがとうね!!」
走り去るバスの窓から、彼女の手だけが、いつまでも動いていた。
俺は一人残された駐車場で、空っぽになったタイヤキの袋をゴミ箱に捨て、
寂しさを振り払うかのようにアクセルを開け、家路を急いだ。
さっきまで、オレンジに輝いてた海も、
今は真っ暗になり、船の明かりだけが、
ポツンポツンと光ってた…。
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