鬼の相談所

翼秋景

序章

いつかの如月のこと

 夜霧の立ち込める深い森に子どもの嗚咽の声だけが響く。

 草木も眠る丑三つ時。その森で動く人影は子どもただ一人だけ。

 天まで届かんばかりの杉は根も巨大で地表をうねるように縦横無尽に根が張っている。その木の根の一つに子どもは座っていた。

 悲しみに耐えるように体を丸めて、喘ぐように嗚咽をもらす。

 子どもの膝の上には首のない亡骸。

 つい先刻まで子どもを見つめていた深緋色の瞳も、子どもに語りかけていた口も、子どもの話を聴いていた耳も、ここにはない。頭部は首を切った男たちによって、どこかへ連れ去られてしまった。

 子どもはその一部始終を見ていた。今は亡骸となってしまった主人が、男たちを宴会に招き入れたところも、酒に酔った主人を男たちが首を跳ねられるところも、そして男たちが首を持ち去ったところも。

 子どもには体を持って逃げることしかできなかった。

 時間が経つほど子どもの足元の赤い水溜まりは大きくなる。子どもは指の間から零れ落ちる生温かい液体を逃がさないように逃がさないようにと必死に抱きしめるが、次々と首から溢れる液体は無情にも地面に吸い込まれていく。

 子どもの黒い髪も、柔らかな四肢も、身にまとった麻の布も、すべてが赤に染まっていた。むせるような鉄の臭いの赤に。髪から滴る赤は、頬に落ち、涙に混じり流れていく。

「会いたい。もう一度、会いたい」

 震える声で呟いた。一度言葉にすると、その気持ちは止めることができない。

「会いたい……、会いたい……!」

 声に出すごとに気持ちが強くなる。

 細い腕に抱いた、首のない亡骸に子どもは顔をうずめた。

「もう一度会う。そのために……」

 子どもの言葉は途切れた。

 死んだものともう一度会うためには、生き返らせる他ない。

 ではどうやって?

 子どもには皆目検討がつかなかった。わからなければ亡骸はただ朽ちるだけ。もう二度と主人と会うことはできない。

 わからないことを優しく教えてくれていた主人は、今は物言えぬ亡骸となっている。すべて子ども一人で考えなければならない。

 子どもは今までたくさんのことを教えてくれた主人のことを思い出す。捨て子だった自分を拾って育ててくれた主人。生きる術の他にも、時間があれば色んなことを教えてくれた。

「何か、……何かあるはずだ」

 子どもは亡骸の頭部があったはずの空間を見つめた。

 そのとき、亡骸の上にひとひらの桜の花びらが落ちてきた。近くに桜の木なんてなかったはずなのに。

 亡骸に落ちた花びらを摘み上げて、子どもはいつかの春のことを思い出した。

 今日みたいな朧月夜に主人と二人で桜の咲き誇る山に身を隠していた。そのときに主人は桜を見上げて不老不死の女の話をしていた。どこにいるかはわからない。それでも確かに不老不死の力を持つ美しい女がいるという、お伽噺とぎばなしのような話だ。

「その女の力を使えば、もしかすると……」

 悲しみに染まった瞳の奥に、ゆらりと炎がともった。

 どこにいるのかわからない。いつの時代の話なのかもわからない。それでも子どもは、その曖昧な話を信じるしかない。それが唯一、主人ともう一度会えるかもしれない手立てだから。

「女を探し出して、必ず生き返らせる。もう一度会うために」

 生きる意味を失った子どもは、今、主人を生き返らせるという生きる意味を得た。

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