全軍突撃      同日 一八一〇時

 〈レスリー〉が離脱して以降も、〈リヴィングストン〉と〈レックス〉、そして〈ローレンス〉は敵艦隊を目指して洋上を走り続けた。

 その間、各艦の乗組員たちは戦闘開始の号令が下るのをただひたすら待ち続けた。波しぶきと強風が襲い掛かる吹きさらしの砲座や、機械類の発する高温に包まれた機関室など、彼女たちの配置についた場所は様々である。ある者はその場でじっとして、またある者は与えられた仕事をこなしながら待機していた。

「敵駆逐艦二隻を探知、重巡の前方に展開している模様。敵艦隊は現在左二五度、距離八海里にあり」

 レーダー室がそう知らせてきたのは、一八〇八時のことであった。ホレイシアは頷くと、発光信号で僚艦に伝達すると同時に艦内へ戦闘準備の号令を発する。甲板上の主砲や機関砲に最初の一発が装填され、いよいよ始まるのだと乗組員たちは実感した。

 そして、その時は唐突に訪れた。

「逆探に感あり!」

 電話員の声が艦橋に響き渡ると、その場にいる将兵たちの何人かが僅かに体を震わせた。敵艦隊がこちらの存在に気づき、ついにレーダーを作動させたのである。

 レーダー室からの報告はさらに続いた。

「敵重巡は右舷へ変針。駆逐艦群は増速、こちらへ向かいつつあり」

 ホレイシアは小さく頷いた。敵はおそらく駆逐艦群にこちらを牽制させ、足止めしているうちに重巡を船団のほうへ直進させるつもりなのだろう。

「現時刻を以て、電波封止を全面的に解除します」ホレイシアは電話員にそう言うと、正面に視線を据えたまま深く溜息をついた。「つづいて各艦へ伝達。『敵重巡に肉迫する、右砲戦用意。全軍突撃、我に続け』」

「……み、右砲戦用意。全軍突撃、我に続け。了解しました」

 電話員は息を呑みつつ応じると、通信室に上官の指示を伝え始めた。それを見たホレイシアは、続いて航海長のほうを見る。

「ジェシー、聞いての通りよ。最大戦速――二七ノットいっぱいで重巡へ接近してちょうだい」

「了解です」

 シモンズ大尉は頷くと、さっそく仕事を開始した。目の前にある海図を見やり、最適針路を素早く計算する。

「針路は東南東、方位一〇〇とします。……とぉりかぁーじ、いっぱい!」

 号令は直ちに操舵室へ伝わり、〈リヴィングストン〉は船体を傾けながら急速に針路を変えていった。しばらくすると見張り員とレーダー室から、僚艦たちも変針を開始したとの知らせがほぼ同時にもたらされる。

 針路変更に要した時間は、おおよそ二〇秒ほどであった。シモンズ大尉は定針を確認すると、すぐさま増速を指示する。勢いが増した風をもろに浴びて、リチャードは顔をしかめさせた。

「艦長」リチャードはホレイシアに向けて言った。「敵艦との速力差に注意してください。護衛任務用の本艦たちとは違って、あちらは少なくとも三〇ノットは発揮可能です」

「ありがとう。分かっているわ」

 ホレイシアは副長のほうを見てこくりと頷いた。敵艦隊が逃げの一手に徹すれば、戦隊に対抗できる手段はない。

「敵駆逐艦群、本艦の右四〇度、約五海里にあり。まもなく主砲の射程内にはいります」

 わずかに間をおいて、レーダー室からの報告が聞こえてきた。ホレイシアは受話器を手にとる。

「サリー、照明弾の用意は? ……よろしい、二時方向に撃ってちょうだい。いよいよ本番よ、頼むわね」

 彼女が連絡をとったのは、艦橋後方の射撃指揮装置の内部に陣取っている砲術長――サリー・フーバー大尉であった。

 直後に、その射撃指揮装置で動きがあった。円筒形の台座におかれたそれが、ゆっくりと指示された方向へ旋回していく。内部ではレーダーとスコープから得られた情報をもとに、大尉とその部下たちが射撃ポイントを設定しているはずだ。同時に甲板上にあるふたつの一〇・五センチ連装も、その砲身を右舷側に向けはじめる。

 一〇秒後、〈リヴィングストン〉の前後で耳をつんざくような轟音が鳴り響いた。


 各砲座に二つ設置されている主砲のうち、実際に射撃を行ったのは一門ずつであった。砲弾は大きく曲線を描いて飛んでいくと空中で炸裂し、中からパラシュートがついた球状の発光体が現れる。ゆっくりと海面を目指して落下していくそれが、強烈な光でその周囲を明るく照らしていった。

「敵艦を目視しました!」見張り員の興奮ぎみな声が艦橋に響き渡った。「駆逐艦群は本艦の右四〇度四海里、単縦陣でこちらに接近中。重巡はその左奥、更に一海里の地点にあり!」

 いよいよもたらされた知らせに、艦橋要員たちはさっと身を固くしていった。ホレイシアが双眼鏡を手にすると、リチャードもそれに倣う。目が眩むのを防ぐため、照明弾を直視しないよう気を付けながら洋上を注視した。

 報告にあった方角に目を向けると、二隻の軍艦が近づきつつあるのが確かに見て取れた。艦種は〈リヴィングストン〉と同じ駆逐艦だが大きさは倍近くあり、その割には背の低い印象を受ける艦橋構造物が船体の上に乗せられている。

 更に観察を続けると、前甲板に背負い式――段差を設けて中央線上に並べられた二基の単装主砲があるのを彼は確認した。記憶が正しければ、その口径はこちらの装備よりも威力に勝る一二・七センチだ。敵艦はこれを前後に五基搭載しており、一隻あたりの砲火力で優位にある。照明弾から離れているためシルエットしか判別できないが、その後方にはもっと強力な武装を誇る重巡洋艦も控えている。

「副長、はじめるわよ」

 双眼鏡を下したホレイシアがそう言うと、リチャードは無言で頷いた。それを見た彼女は静かに、だがよく通る声で命じる。

「砲術長および各艦へ伝達。『敵駆逐艦群へ牽制射撃。打ち方はじめ』」

 おそらくすでに照準を定めていたのだろう。フーバー大尉の反応は素早く、二基の一〇・五センチ連装砲はすぐさま砲撃を実施した。砲撃による閃光が甲板上で発生し、ついに戦闘の火蓋が切って落とされる。

「敵艦発砲しました!」

 ほどなくして、敵艦のほうでも小さな光が煌めいた。それを見た将兵たちは身構えると、砲弾が空気を引き裂く『ヒュンッ』という音がこだまする。だが敵の初弾は〈リヴィングストン〉を飛び越え、左舷側二〇〇メートルほどの場所に着弾して水柱を立ち上らせるだけに終わった。〈リヴィングストン〉の主砲はひるむ事なく発砲を続け、しばらくして僚艦も攻撃を開始した。

 見張り員が再び知らせてきた。

「本艦の第一撃、すべて近弾の模様です」

「さすがに、初弾命中とはいかないわね」

 第一〇一戦隊が放った最初の一撃が近弾――目標に届かず、その手前に落下したという知らせに、ホレイシアは溜息をついて呟いた。移動による敵味方の位置関係の変化や波風で生じる船体の揺れ、そして砲を照準、あるいは操作する将兵の癖や精神状態など、大砲の発射には様々な要素が影響をもたらすものだ。そのため訓練ならばともかく、実戦時における砲撃の命中率はさほど高いものではない。射距離にもよるが、せいぜい一〇発に一回当たればいいほうというレベルだ。

 とはいえ、ホレイシアの命じた射撃はあくまで牽制が目的である。相手をひるませることができれば十分だ。彼女は気を取り直すと、後ろに控える電話員へ尋ねた。「敵重巡の位置と針路は?」

 電話員がレーダー室へ確認を行っている間も、砲撃の応酬は続いていった。閃光が瞬き、水柱があちこちで立ち上る。報告までに要した時間は一分ほどであった。

「敵重巡の位置は右三〇度、約六海里。三〇ノットで北東の方角に向かっているとのことです」

 ホレイシアが報告を聞いて頷く一方で、その後ろに控えるリチャードは表情をわずかに曇らせた。

(少しずつだが、やはり距離が開いてきているな)

 おそらく煙幕を迂回するつもりなのだろう。敵重巡がとる行動の目的を、彼はそう解釈した。追撃の手を振り切られる前に、あの大型艦になんらかの損害を与えて変針を強要する必要がある。そうすれば退避を援護するため、随伴の駆逐艦二隻も――少なくとも一隻は――戦域を離脱するはずだ。

 〈リヴィングストン〉の周囲が明るくなったのは、その時であった。


「一〇時方向に照明弾です!」

 眩しさに目を細めたリチャードが左舷側を見ると、空中に小さな太陽が確かに浮かんでいた。接近する二隻の駆逐艦か、それとも退避しつつある重巡か、敵艦隊のいずれが発射したものかは分からない。だが、これで敵の砲撃がより正確になるのは確かだろう。

 彼の懸念は正しかった。敵弾の着水地点は徐々に近くなり、最終的に〈リヴィングストン〉は水柱に取り囲まれたような状態に陥る。噴き上がった海水が、艦上に降り注いでいくるのも度々だ。一〇分ほど前までの静寂さとは打って変わり、一帯は花火大会を思わせる喧噪に包まれている。

 砲撃のそれとは異なる爆発音と共に、〈リヴィングストン〉の艦橋が大きく揺れたのはそのさなかの事であった。

「損害報告を!」リチャードがそう命じると、右舷見張り員のひとりが半ば絶叫するような声で応じた。

「右舷中央、艦載艇置き場に被弾! 火災発生!」

「応急班に消火させろ、急げ!」

 すかさず指示をだす副長の姿を、ホレイシアは不安げに横目で見ていた。乗艦が初めて被弾したという事実に、動揺を隠せないでいる。

「敵艦との距離、まもなく一海里を切ります!」

 別の見張り員がこちらも大声でそう告げると、リチャードはさっと右舷側の洋上に視線をむけた。敵駆逐艦群発砲しつつ、高速で近づいてきているのが見てとれる。こちらの針路と交差するまで、おそらくそれほど時間はないだろう。距離が詰まってきたため、射程の短い機関砲もいつのまにか射撃を開始しているのに彼は気づいた。

 突然、敵艦のひとつで爆発が生じた。

「敵先頭艦に命中弾!」

「……ようやくね」

 やっとの事でもたらされた知らせに、ホレイシアは思わず安堵の声を漏らした。

 しかし、喜んでいられたのは一瞬だけであった。(軍艦にとっての)至近距離での撃ち合いに移行したことによって、次第に敵味方の双方で被弾が続出する。敵駆逐艦群と第一〇一戦隊が交錯するまでの短い間に、砲弾やその破片がぶつかる耳障りな金属音が何度も艦橋要員たちの耳にはいっていった。

 それから二分後、殴り合いといっても過言でない砲撃の応酬の末に敵艦はリチャードたちの後方をすり抜けていった。彼は振り向いて、通り過ぎていく帝国艦の様子を観察した。

 二隻の駆逐艦は、すっかり変わり果てた姿を闇夜に浮かび上がらせていた。どちらも艦上で火災が発生しており、主砲も含めたいくつかの装備が失われているのが確認できる。先頭を進む艦の損傷が特にひどく、船体の前半部には大小の穴が開いていた。

 もっとも、こちらも状況は似たようなものである。

「応急班より報告。被弾は少なくとも艦尾に一、中央部に三、艦尾二〇ミリ機関砲が消失」電話員の声が響き渡った。「右舷艦載艇置き場の火災は、まもなく鎮火する見込みとのことです。乗組員の被害は戦死一、重傷一、軽傷三。戦闘航海に支障なし」

 ホレイシアはしばらく目を閉じて瞑目すると、了解と答えて続けた。「敵駆逐艦群の動きは?」

「北東に針路をとって、こちらから離れつつあります」

「副長、どう思う?」

「おそらく」リチャードは水しぶきを浴びた顔を手で拭ってから答えた。「いちど距離をとって、態勢を立て直すつもりなのでしょう。今のうちに、敵重巡へ接近すべきです」

 彼がそう提案した直後、各艦からの損害報告が通信室を介して届いた。〈リヴィングストン〉の後方を進む〈レックス〉は各部に被弾したものの、現状で大きな被害は生じていない。帝国側は前方を進む二隻に射撃を集中したため、最後尾の〈ローレンス〉は特に損傷を受けていなかった。

 無論、両艦ともに戦闘継続が可能と報告してきている。

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