貳瑰洞怪先生のお気に入り
婭麟
貳瑰洞怪先生のお気に入り
第1話
作風はとても不思議で、この世とは思えない物が多いが、だからといっておどろおどろしいものではなくて、とても美しくて情緒があって、不思議な時間と世界が作品の中で流れていく……。
それが人々の心を捕え、その描写のひとつひとつに魅かれてしまう。
まるで違う世界の違うもの達が、直ぐ其処で蠢いて、物語を綴っているような……。
「はい。原稿……」
貳瑰洞怪は、上機嫌で書き上げたばかりの原稿を、担当になったばかりの、新米編集者である、俵崎要に手渡した。
「あ……ありがとうございます」
入社したての編集者の〝へ〟の字も理解できない要が、こんなに人気がある有名な作家の担当になるなど、たぶんあり得ない事らしいのだが、これも貳瑰洞先生のご要望だから仕方がないらしい。
「ああ……礼はいいから、早く帰って書き直して書き直して」
貳瑰洞は、にこにこしながら要に言った。
「あっ!はい」
「はは……その笑顔がいいね。頑張りたまえよぉ」
「はい」
要は大事な原稿を封筒に入れると、それをまだ新しいカバンにしまって、貳瑰洞先生の旧家の様な佇まいのお屋敷をあとにした。
そこから地下鉄に乗って三十分程度で、東京にある編集部に辿り着く。
「俵崎ご苦労さん」
編集長が直々に出迎えてくれるのは、貳瑰洞先生担当である要だけである。
「これから原稿を打ち出しますね」
「ああ、頼むよ」
偏屈で気難しいと評判の編集長も、何故だか要には優しかった。
他の編集者達が、幾度となく大声で怒鳴られているのを見ているが、何故だか要だけには当たりが優しいのだ。
「俵崎君は特別だからなぁ」
「そりゃ仕方ないさ。あの貳瑰洞先生が、何年かぶりに連載を書いてくれるのも、俵崎君のおかげらしいからね」
「うんうん。相当な変わり者で有名で、今じゃうちしか仕事をしないらしいからね」
「えっ?あんなに有名で、舞台やテレビ映画化される事も多いって人が?」
「そうそう、書く小説書く小説がベストセラーだからね……だから、うちの大事な先生様だからね。編集長も俵崎を大事にしない訳にはいかないのさ」
「えー、まさか俵崎君が辞めたら、先生も書いてくれないって?まさか!」
「それはわからないぞ。前のお気に入りの担当者が居なくなってから、暫く書いてなかったくらいだからな……」
「まじか?」
「それぐらい〝偏屈〟らしいからな」
同僚が面白可笑しく噂していても、とにかく目先のやるべき事に手一杯な要の耳には、そんは話は入ってこない。
何故なら、要は貳瑰洞先生が書き上げた原稿を見ながら、パソコンに打ち込む仕事があるからだ。
他の先輩達はこんな仕事はしていないようだが、要だけは貳瑰洞先生の原稿を、決して他者に見せる事なく、パソコンに打ち込む仕事があるのだ。
そして打ち出した原稿を編集長に見せる迄が、要に課せられた仕事なのだ。
その仕事が、他の同僚の仕事以上に匹敵すると言われているのだが、はっきり言って素人の要には、その価値や重要さなど全く解らない。
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