31回目:園美弥史月<英雄の帰還>

 園美弥そのみや史月しづきは英雄である。異世界エンデベルトに転生してからの三ヶ月で彼が成し遂げた数々の偉業は、後世まで語り継がれることだろう。そして今、史月しづきはエンデベルトの衛星フォルモントへ向かう準備を進めていた。


 千年前、この世界は魔神王によって滅亡の寸前まで追い込まれた。それを阻止したのは、女神の祝福を授かった一人の英雄である。英雄は自らの命と引き換えに、魔神王の魂をフォルモントに封じたのだ。


 だが、封印の効力は徐々に失われつつある。永遠に続く力など、ないということだ。


 封印強化のため、史月しづきは世界を巡り、それぞれが異なる色の鱗を持つ七匹の竜と契約を結んだ。そして、竜たちが長い年月をかけて造り出した、魔神王を再封印するための聖剣を授かったのである。


「……このまま魔神王が復活してしまえば、この世界は終わりの時を迎えるのですね」


 史月しづきの隣に立つ女性が、空に浮かぶ衛星フォルモントを見上げながら呟いた。彼女は、祈りの巫女の血筋を受け継ぐ亡国の姫であり、史月しづきによって窮地を救われて以来、常に史月しづきの傍に寄り添っている。


 同じように空を見上げる史月しづきは、そこから視線を動かすことなく、彼女の肩を軽く抱き寄せた。突然のことに軽く驚いた彼女は、視線を史月しづきへと移す。


「そんなことは、俺がさせない。この世界も、おまえも、俺が守ってみせる」


「……はい、私も、信じております」




 それから更に一ヶ月、エンデベルトで最も魔力が濃いとされる、世界の魔力の中心地と言われる、その場所で、衛星フォルモントへと転移するための大魔術の準備が完了した。


 史月しづきは転移陣の中心で、その真上を衛星フォルモントが通過する、その時を待つ。長いようで短い静寂の中、ついにその時は訪れ、大勢の魔術士たちの詠唱に呼応して、転移陣はまばゆい光を放った。


 一瞬にして衛星フォルモントに転移した史月しづきは、聖剣をフォルモントの大地へと突き刺した。あとは、封印の呪文を唱えれば、それで全ては終わる。史月しづきは聖剣から手を放し、一呼吸置いてから言葉を紡ぐ。


「――――!」


 だが、その声は聞こえない。そして、史月しづきの声が聖剣に届かなければ、封印の力は発現しない。二度、三度と呪文を唱えようとする史月しづきだったが、結果は変わらなかった。


 今、史月しづきがいる場所は真空である。彼の肉体は魔術によって守られているので問題ないが、この空間では音が伝わることはない。


 そのことに気が付いた史月しづきは、すぐさま自らの周囲に結界を張り巡らせた。聖剣の力を発動させるためには呪文が必要不可欠だが、自身の魔力を使った魔術であれば、念じるだけで発動できる。


 史月しづきを中心に広がった結界は、しかし、聖剣を異物として認識して、弾き飛ばしてしまった。焦りの表情を浮かべる史月しづきだったが、すぐに冷静さを取り戻し、結界を解除して聖剣を拾い上げる。


 再び聖剣を大地に突き刺した史月しづきは、慎重に結界を張り、続けて結界の内部に空気を満たす。そして、結界内に封印の呪文が響き渡った。


 その言葉に反応し、青い光がフォルモントの大地を覆う。聖剣の力が衛星フォルモントに注ぎ込まれ始めたのだ。


「……これで、終わったんだな」


 安堵のため息を漏らし、全身から力を抜く。後ろを振り返れば、青い惑星エンデベルトが目に映る。史月しづきは意識を集中し、エンデベルトへ帰るための転移魔術を発動させようとする。史月しづきの持つ全魔力を使えば、ぎりぎり片道分の転移が不可能というわけではない。


 それは、史月しづきの賭けだった。必ず帰れるとは限らない。いや、どちらかといえば分の悪い賭けだ。だが、それでも、史月しづきはエンデベルトへ帰還できることを信じていた。


 結論を言ってしまえば、彼は賭けに勝つ。何故ならば、私が彼に授けた女神の祝福のひとつが、今、発動するからだ。異世界転生後に、ただ一度だけ起こせる奇跡の力。


 私は祈った。それによって、史月しづきの魔力が膨れ上がる。彼の周囲を明るく照らす転移の光が、より強く輝いた。そして、史月しづきの姿は、その場から消え去ったのである。




史月しづき様!」


 その声に視線を巡らせた史月しづきは、そこにを見つけ、愕然がくぜんとした。


「……何故、聖剣が、にある!?」


 史月しづきの視線の先には、魔神王を封印するために衛星フォルモントの大地に突き刺したはずの聖剣が、確かに、そこにあった。


「……まさか、俺の転移魔術で、……聖剣も転移させてしまったのか? ……たしかに、転移魔術を発動する瞬間、今までにない強い魔力を感じた。それが原因で、転移の対象範囲が広がってしまったのか……」


 史月しづきは空を見上げる。そこには、不気味に赤い光を放つ衛星フォルモントが浮かんでいた。


「……魔神王が、復活する」


 誰かが呟いたその言葉は、数日もしないうちに真実となった。封印から解き放たれた魔神王の魂が、エンデベルトの大地へと降りていく。赤く染まっていくエンデベルトを、私は、ただ茫然と見ていることしかできなかった。


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