11回目:川田琥絽靖<魔を穿つ神の一撃>

 猫の鳴き声が聞こえた。だが、この世界に猫という生物は存在しない。それならば、その声の主は何者なのだろうかと問われれば、答えは簡単だ。彼は猫である。ただし、ただの猫ではない。女神の祝福を受けた異世界転生者だ。


 彼の名は川田かわだ琥絽靖くろやす。正直に言おう。彼が猫の姿で転生したのは私の手違いであると。


「にゃー(ここはどこだ。俺はどうなった)」


 王都セリアネイムの王城へと続く大通り、その中心に位置する噴水広場で琥絽靖くろやすはちょこんと座り込んでいた。暖かい日差しの中、人の往来が多い大通りでは活気のある喧騒があちらこちらから聞こえてくる。


「にゃーにゃにゃにゃーにゃ(人がでかい……いや、俺が小さいのか。……って、黒い手足!?……これは、猫か?)」


 手足を確認して自分が猫であることを認識した琥絽靖くろやすは、視線を遠くに向けると、そのまま茫然としたように動かなくなった。


「にゃー(これ、どうすればいいんだ……)」


 どれほどの時間、そうしていただろうか。途方に暮れる琥絽靖くろやすの視界が、突如さえぎられた。琥絽靖くろやすが視線を上に移すと、一人の少女と目が合った。

 金髪碧眼の少女だ。年の頃は6~8歳くらいだろうか。風に揺れる髪を小さな手で押さえながら少し首をかしげて、珍しいものを見るような目で琥絽靖くろやすを見つめている。


「かわいい」


 少女から見た目通りの可愛らしい声が発せられた。少女はその場に座り込むと、琥絽靖くろやすにそっと手を伸ばす。そして、その黒い毛並みを持つ体に優しく触れると、満面の笑みを浮かべるのだった。



 少女に抱きかかえられ、自宅に持ち帰られた琥絽靖くろやすは、ひどく緊張していた。少女の家があまりにも立派すぎたこともあるが、それよりも一番の理由は今の状況だろう。


「ふんふふふーん、ふふーん」


 少女は鼻歌を歌いながら琥絽靖くろやすの体を丁寧に洗っていた。一糸纏いっしまとわぬ姿の少女が目の前に座っていて、琥絽靖くろやすは、少女の大きく開かれた両足に挟まれるような位置にいるのだ。白い肌が眩しい。柔らかそうな体に飛びかかりたい衝動を抑えながら少女の隣を見れば、おそらくお付きの侍女だろう女が、少女と同じく全裸で控えている。


「クロ。お湯かけるよー」


 クロと呼ばれた琥絽靖くろやすはハッとして目を閉じる。頭からぬるめのお湯をかけられた琥絽靖くろやすは、頭をブルブルと振ってお湯を払った。


 琥絽靖くろやすにとって、ここでの生活は至れり尽くせりだった。おいしいご飯も暖かい寝床も用意してもらえる。いつでも好きな時に寝ていいし、可愛い少女や綺麗なお姉さんに可愛がってもらえる。


「にゃ~(ああ、しあわせだなぁ)」


 少女の膝の上で日向ぼっこをしながら、琥絽靖くろやすは穏やかな時間を過ごしていた。王都から少し離れた場所にある小高い丘の上。ここは、広大な王都を一望できる少女のお気に入りの場所だ。吹き抜ける風が気持ちいい。

 周りにはお付きの侍女のほか、騎士の格好をした男たちがあたりを警戒していた。最近は魔物の目撃情報が多くなっていることもあって、騎士たちからはピリピリとした空気が伝わってくる。これからは、この場所にも来られなくなるかもしれない。


「にゃー(しかし、これだけの護衛が付くくらいだし、かなりのお嬢様なんだなぁ)」


 琥絽靖くろやすが少女を見上げると、それに気付いた少女は優しい微笑みを返してくれた。

 だが、その平和な時間は突如として破られることになる。

 騎士たちがざわめき始め、次いで悲鳴と叫び声が聞こえてきた。琥絽靖くろやすは少女の膝から飛び降りて、状況を把握しようと騒ぎの中心に視線を向けた。


 そこには巨大な獣がいた。その大きさは騎士たちの倍以上。上半身がワシ、下半身が獅子に似たグリフォンと呼ばれる魔獣だ。

 お付きの侍女はその恐ろしい魔獣の姿を見て卒倒してしまう。

 騎士たちは勇敢に応戦するが、相手が悪かった。グリフォンの強さは、並の騎士では足元にも及ばない。一人、また一人とグリフォンの巨大な爪に切り裂かれて倒れていく。

 少女のもとに一人の騎士が駆け寄ってきた。


「リフィア様!お逃げください!」


 騎士の叫び声に、しかし、リフィアと呼ばれた少女は腰を抜かしてしまったようで動くことができない。グリフォンは、そんな少女に狙いを定めたようだ。ゆっくりと少女に近付いていく。


「あ……あ……」


 魔獣ににらまれた少女は体を小刻みに震わせ、声も出せない。宝石のように綺麗な瞳からは涙が溢れている。その様子を見た琥絽靖くろやすは、少女を守るようにグリフォンに立ちはだかった。


「フーッ!(近寄るんじゃねえ!)」


 全身の毛を逆立てながらうなり声を上げる琥絽靖くろやすの瞳が金色に輝いていた。琥絽靖くろやすは以前から、自身に流れる力の存在に気が付いていた。その力を使うのはこれが初めてだが、やらなければならない。自身の平穏を、そして、一人の少女を守るために。


 対峙たいじする二匹の獣。先に動いたのはグリフォンだった。琥絽靖くろやすとの距離を一気に詰める。


「にゃー!!」


 黒猫がえた。琥絽靖くろやすの眼前にまばゆく輝く黄金の槍が出現した。黄金の槍はかみなりまとってバチバチと音を立てる。


 ――神の槍グングニル


 私は初めて目にする魔術に驚愕きょうがくした。ある世界では、異世界転生した英雄が自身の命と引き換えに、魔王を一撃で打ち滅ぼしたと言われる最上級の攻撃魔術だ。


 そして、放たれた神のいかづちがグリフォンを貫いた。その一撃は空に浮かぶ雲をも吹き散らし、天の彼方かなたに消え去っていった。

 恐るべき魔獣を倒した英雄の姿を前に騎士たちは歓声を上げる。少女は琥絽靖くろやすに駆け寄ると、その小さな体を抱き締めて、涙を流しながらクロ、クロ、と名前を呼び続けるのであった。


 とんでもない逸材を見つけてしまった。これが猫でさえなければ、どれほど良かっただろうか。あるいは、猫でもいい。世界を救うこころざしを持ってくれさえすれば。しかし彼は、今日も少女の膝の上で気持ち良さそうに眠っていた。


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