Five→dealer
夕
第1話 1日1個のりんごは医者いらず
そこは無情なほどに白い世界で、すべてを否定しているようだった。
聞こえてくるのは悲鳴、絶叫、残酷無慈悲な大人たちの声。
それでもあの場所から抜け出そうと思う奴は居なかった。そんな考えさえ思いつかないほどに、あいつらは器用に丁寧に執拗に執念深く子どもたちを飼い慣らしていた。
朝も夜も知ることはできない。運から見放された子どもは消えていく。
しかしそこに現れたのは、傷ひとつない幼い子ども。そいつはこの場所に不釣り合いな天使のような笑顔で、白く小さな手を差し出し確かにこう言った。
「死にたいなら、ボクが殺してあげる」
***
「チッ、もう終わりかよ」
体育館の裏側。刈る予定のない草花が自由に生い茂るその場所で、
制服のネクタイを緩め、枯れ木や壁に倒れ込んだ男子学生たちを眺める。短い、と思う。殴り合いを始めて5分も経っていない。相手の人数を数える気にもなれなかった。
「あっ、こんな所にいたんだね。探したよ」
体育館の角から茶色の髪をした生徒がひょっこりと顔を覗かせた。少し長めの髪をひとつに結んでいて、制服を見なければ男子学生だと判断できないような中性的な顔立ちをしていた。
柊はそれを一瞥しただけで、また倒れている生徒たちに視線を戻す。
――赤毛、トサカ頭、ピアスじゃらじゃら……くそ、どいつも同じような顔しやがって。
相手の顔はたとえ自分に関係のない生徒であっても覚えておくようにと言い聞かせられていた。だが人の顔を覚えるのは苦手だ。ましてや強くもない人間のことは、長く覚えていられそうもない。
「転校初日からまた喧嘩?あんまり目立っちゃいけないよ。この学校の体育館裏は格好の狩り場だって聞いたし」
「ゆき」
柊の制止の声に、名前を呼ばれた少年はぴたっと足を止めた。倒れている生徒の腕が草の間から見えていた。それを避け、注意深く確認しながら柊の前に辿り着く。
「9人、みんなかすり傷程度か。よくやるねぇー」
「こいつらから喧嘩売ってきたんだ。生きてるからいいだろ」
「よくないよ。けどまぁ」
ゆきは柊の右目を見た。白いガーゼが彼の目を覆っている。
「ソレしてたらいつか目を付けられるとは思っていたから、仕方ないかなぁ」
土埃で薄汚れたそれに、ゆきは指の腹でそっと触れた。
「少し、汚れちゃったね。あんまり外ではしゃいでほしくないかな」
「……気をつける」
柊はこの眼帯を幼い頃から身に着けているおかげで不便さは感じていない。喧嘩でも引けを取らない程度には。
しかしこの目に良い思い出があるわけもなく、柊は不服そうにズボンのポケットに手を突っ込んだ。
ゆきはふっと微笑み、来た道と反対の方を見て「あれ?」と声を上げた。
「そっちから来ればよかった。全然草生えてないじゃん」
「馬鹿だろ」
歩き出したゆきのあとに柊も続く。ゆきが振り返らずに言った。
「これでも心配したんだよ?慣れない校舎で迷子になってるんじゃないかなーとか、間違って人を殺しちゃってないかなーとか、銃持ってることがバレて逮捕されちゃったりしてないかなーとか」
声は笑っていたが、おどける様子もなく彼は言葉を紡いでいく。柊は無言のままゆきの背を追った。
「でも何もなくてよかった」
体育館の角を曲がると広いグラウンドに出た。サッカー部がグラウンドの隅でパスの練習をしている。他にグラウンドを使用している生徒は見受けられない。1月の寒さに耐えられないのか、ただでさえ少ないサッカー部の部員もだんだんと校舎へ戻って行った。体育館からも音がしないあたり、この高校はあまり部活動が盛んではないらしい。
そんな静かなグラウンドに下駄箱の方から騒がしい集団が出てきた。ほぼ女子学生だけで構成されたそこは、常に黄色い歓声が飛び交っている。
柊はぼーっと
「あそこに行くよ」
「え……。俺はいい」
「だめだめ。隊長が待ってるんだから」
ゆきは落ち着かない様子の柊の腕を掴んで、無理やり連れて行こうとする。だが女は厄介だということを柊は身を持って知っていた。
――特にああいう嬉しそうな悲鳴はヤバい。とにかくヤバい。
捕まったら終わりだ。柊は足を踏ん張った。
「俺は行かない!一人で行けばいいだろ!」
「隊長じきじきの命なんだから……行くよっ」
「そいや!」という掛け声とともにゆきが思い切り引っ張る。だが、柊はとっさに近くにあった鉄棒を掴んで対抗した。
「ほ、北斗が来るまで待っ――!」
そのとき校舎の前で止まっていた集団が走り出した。明らかに自分を目指していると察知した柊は冷や汗と一緒に鉄棒を握る手に力を込める。実際にはふたりの男子が先頭に女子を率いているのだが、そんなのは目に映らない。何本もの白い手が伸びてくるのが脳裏に浮かび、背筋がぞっとした。
「来てくれるみたいだね。優しい隊長でよかったね」
「くそっ……殺す」
朗らかに笑うゆきに対し、ドス黒いオーラを放つ柊。
ゆきが「隊長ー!」と叫んで手をぶんぶん振る。すると女子を率いていた男子のひとり、金髪で、制服を着崩した一見チャラそうな男子が手を振り返した。彼がゆきの言う”隊長”であり、柊の言う”北斗”だ。
「ゆきー!柊ー!会いたかったぞーー!!」
ふたりを見つけた北斗は猛突進で向かってくる。それは脇目を振らない闘牛の如く、しかし彼は背が高くとも細身なので馴れ馴れしすぎる大型犬とでも言おうか、なんにせよ無駄なく鍛え上げられたその体躯にぶつかれば自分が吹き飛ぶのが目に見えていたので、そのままの勢いで抱きつこうと腕を広げる北斗に柊は足を振り上げた。
「死ねっ!!」
「うぉわ!!」
当たればアゴが砕けそうな勢いだったが、北斗は寸でのところでそれを避ける。伊達に鍛えているわけではないようだ。
「おいおい、危ないじゃないか~。でも嬉しいぞ!これはお前にとっての愛情表現だもんなっ!」
「ざけんなよけてんじゃねぇ」
そこに女子を連れてきたもう片方の男子学生、中等部の制服の上に白衣を羽織った白い髪のしんくが、棒付きのアメをくわえながら呆れた様子で言った。
「なんでもかんでも暴力を振るうもんじゃないっすよ」
「じゃあお前ならどうすんだよ」
白い髪に白い服のせいで学生というよりも亡霊か何かのようだが、お気に入りのアメをくわえて思案する顔にはまだ中学生らしいあどけなさが残っている。
「避ける」
「追尾型爆弾をか?」
微かに笑みを浮かべた柊に、しんくは口に入れたアメを転がして眉間に皺を作った。
「キミかっこいいね。北斗もしんくも好きだけど、キミも好みかも~」
「名前教えて~?」
一切の遠慮なく迫り寄ってくる女子に柊は後ずさりし、逃げようと試みる。が、振り向いてもそこには女子の群れがあった。いつの間にか囲まれていたことに気付き、自分の失態に苦虫を噛み潰す。
「あ、ねぇ。その目どうしたの?」
「ケガ?大変だねー」
そう言いながら女子のひとりが眼帯に手を伸ばした。瞬間、柊は反射的にその手を払いのけ、加減を考えないままに振った腕はそのまま彼女の顔に当たるかと思われた。だが別の腕が女子を押しのけ、割り込んできた者を見た柊はギリギリのところでその軌道を変えた。
「おいゆきっ……」
柊の手は
絶対に当たらないという確信を持って飛び込んできたことは明白で、柊は肝が冷えたが、おかげで冷静さも取り戻していた。
「こっわ」
誰かの呟きが輪の中に広がっていく。「え、なに」「やば」そんな言葉とともに、呆然としたまま北斗に支えられていた女子も我に返った。
「わ、わたし帰る。北斗、しんく、またね」
それを合図に集団は散っていき、仕舞いには男子4人だけが残された。柊は居心地の悪さを感じ、口を尖らせる。
「……わるい」
小さく呟いた柊の肩に北斗が腕を回した。
「なぁ~に落ち込んでんだ。いつものことだろ?俺たちは気にしちゃいねぇよ」
「は?落ち込んでなんか……」
「そうっすよ。女嫌いなんてずっと女子といれば治るし」
「ボクたちも見ているだけで楽しいしね!」
「……死ね」
柊はしんくに飛び掛かった。突然喧嘩を仕掛けられたしんくは慌てて片手でそれを防御しながらアメを口から出し、大声でストップをかける。
「ちょちょちょちょっ!なんで俺だけ!?ゆっきーも言ってたっしょ!!」
「ゆきはいいんだ」
「理不尽すよっ!!」
連続して繰り出される蹴りに紙一重でよけるしんく。よけることに集中しながらも柊の表情を窺ったしんくは薄笑いを浮かべ、柊の蹴りが届かない位置にまで下がった。
「それなら俺も本気でいかせてもらいます!」
柊はほくそ笑むと、再び攻撃態勢に入る。しんくは片足に体重を乗せると勢いよく走り出した。ふたりが互いにぶつかり合おうとしたその時――彼らのポケットから一斉に同じ着信音が鳴り出し、すぐさま攻撃をやめて携帯を取り出した。
「チッ……!」
「あーらら」
先にメールを読んだゆきが北斗に言った。
「今回のは簡単そうだね」
「簡単というか……俺たちに頼むことじゃねぇだろ」
「面白そうだけどね。あっ、でも
心配そうに言うゆきに、しんくが校門の方を見ながら「大丈夫っすよ」と告げる。しんくの視線を追うと、寒そうに身体をすくめた少年が歩いてきていた。彼はふらふらとしながら弱々しい目つきで北斗を見上げる。
「隊長……仕事です」
***
彼らは一般的に呼ばれる”学生”とは違っていた。あるところから仕事をもらい、それなりの給料をもらって生活している。自由と引き換えに金をもらうようなものだったが、自由を奪われた割には気ままに過ごせていた。仕事の場所が転勤族並みにコロコロ変わるのもそのひとつだ。
高校2年の
高校1年の
中学3年の
中学2年の高橋燈夜。
この5人で同じタイミングで同じ学校に転校するので不審がられることも多かったが、そのたびに色々と理由をつけてやってきた。
そして今日も彼らは仕事に向かう。
――――裏社会の仕事に。
***
「まだですかねー」
「まだだな」
「……ぶっ殺す」
しんく、北斗、柊はコンビニで雑誌の立ち読みをしていた。
「遅いっすね。かれこれ40分は経ってますよ」
「これじゃ俺たちが不審者扱いされちまうじゃねぇか」
「そうっすね。そろそろここ出ます?あ、でもその前に俺アメちゃん買ってきます」
「おう。食える分だけにしろよー」
「いつも大量購入してるわけじゃないっすよ」
北斗はしんくを送り出すと読み終えた雑誌を置き、積まれた本を整える。ガラス越しに目が合った青年はそそくさと去って行き、ここに来てからというもの3人が居座る雑誌コーナーには誰も寄りつかなかった。
北斗は仕方なく、隣で殺気を放っている柊に声をかけることにした。
「おらおら、庶民のためのコンビニで黒いもんを撒き散らすな。まだ夕方だぞ?帰宅途中の学生やサラリーマンがビビってコンビニに寄り付かなくなっちまうだろ」
誰も寄り付かないのは身長178センチの金髪チャラ男である北斗自身にも原因があるのだが、自分のことは頭にないらしい。
「お前のせいでこのコンビニが倒産したらどうすんだ?いや、このコンビニだけじゃない。お前ならここの系列の店全部を倒産に追い込むかもしれない」
ひとりで頷く北斗。そこへアメを持ったしんくが戻ってきた。
「お待たせしました。無事りんご飴をゲットしたっす」
「そうか。今日はりんご味か……。って何だそれ」
「え?りんご飴」
しんくの持っているアメを凝視する。細い棒に大きくて赤い塊が突き刺さっていた。
「りんご!?」
「だからりんご飴って言ったじゃないっすか」
「いやいやいや、何でりんご飴がコンビニに売ってんだよ!!」
「えー。今じゃ普通っすよ」
「フツウ!?」
「あ、もしかして、隊長も食べたかったですか?」
「いやっ俺は結構だ!そんな怪しいもん食えねぇ!俺は夏祭りに屋台で売ってる普通のりんご飴で十分だ!」
「そうっすか?おいしいのに。『偏見は人生を損させる』これまさにってね」
目の前の本のタイトルを読み上げながら、さっそくりんご飴をペロペロ舐め始めるしんくに北斗はため息をついた。
「腹こわすんじゃねぇーぞ。仕事中に腹痛で倒れられても俺はお前を見捨てるぞ」
「……仕事」
柊が呟く。と同時にバシッと重い音を立てて北斗の後頭部に何かが飛んできた。バサリと床に落ちた物を見て、北斗のこめかみに青筋が浮かぶ。
「…………オイ、柊、テメェ何しやがる」
北斗は落ちたものを拾い上げ、それを柊に突きつけ
「こんなもん頭に投げんじゃねぇ!今月特大号でいつもより分厚い漫画本を投げやがって殺す気か!!その前にこれ商品だろうがッ!!」
「何で俺がトイレと仲良くなった奴を待たなきゃならねぇんだよ!!」
「あぁん!?俺に逆ギレすんな!!」
三人は今、トイレに閉じこもってしまった今回のターゲットである男を待ち伏せしていた。どうやら男は数人で違法の薬を使っているらしい。男を尾行してアジトを突き止めようとしたところ、コンビニのトイレに入ったっきり出てこない状態だった。
「ふざけんな……。絶対ぶっ殺す」
「今回はアジトを突き止めるのが目的なんすから、殺しちゃだめっすよ」
「そうだそうだ。絶対に殺すなよ!あぁーくそ……。なんでこいつを連れてきちまったんだろうなぁ」
空は暗くなっても街は明るいままで、人の波は今日も鎮まりそうもない。
――尾行のとき見失わないように気を付けねぇとな。
北斗は人々が行き交う様子を見るのが好きだった。話しかけるのも素通りするのも、すべて自由だ。何度も選択と決定を迫られて、それでも良い方へと悩みながら歩こうとする人々が好きだった。しかしそこに孤独を感じた時、北斗はいつも自分の目の前にある選択肢を見つめた。そこに悩みはなかった。だが疑問はある。今回の任務に関してもそうだ。
――そもそもこんな仕事を頼む方がナメてる。俺たちにはもっと大事な仕事があるのに……。
北斗は痛む頭をさすった。たんこぶが出来ているような出来ていないような、錯覚のような気もするし、そうでもないような気もする。
――あとでゆきに見てもらうか。
***
「大丈夫?」
ゆきはふらふらと歩く燈夜を気にしながら、デパートをショッピングカートを引いて歩いていた。燈夜の口が動くが、夕方のセールを謳う店員の声でよく聞こえない。彼の口の動きを見つめ、「大丈夫です」と言ったと判断する。
「そう?具合が悪くなったら言ってね。しんくに薬もらってあるから」
「……ありがとうございます」
燈夜は昔から身体が弱い。体力はあるのだが熱が出やすかったり貧血になりやすかったりする。そして今日は足取りがそれほど
――早めに帰って精がつくもの食べさせてすぐに寝かせよう。まずはにんじんだね。栄養のありそうなにんじんは、と……。
「うん。これかな」
「あの……りんごを、買ってもいいですか……?」
ひとりで使命感に燃えていると、燈夜がいつの間にか手に持っていたりんごを見せた。知らぬ間に果物コーナーに行っていたことに驚く。さすがはチームいち気配のない暗殺者だ。
「もちろん。そうだねぇ、みんなりんごは好きだから……6個くらい買っとく?」
「はい……」
りんごの積まれた場所に戻り、熟れて真っ赤になったものと、これから美味しくなるだろうものを選ぶ。真っ赤なりんごは今夜の夕食に。不器用な柊とうさぎのりんごを作る練習をしよう。
「ねぇ、燈夜。今回はボクたち仕事外されちゃったけど、その分頑張って夕飯作ろうね!ということで、今夜は激辛10倍カレーにしない?」
燈夜は首をぶんぶん横に振った。そんなに振って頭がぐらぐらしないだろうかと心配になる。
「だっだめです……み、み、みんなに怒られます」
カタカタと震えだす燈夜。よっぽど嫌な思い出があるようだったが、ゆきには思い当たる節がない。何度か食べているはずだがと思案するが、涙目になって訴える燈夜に慌てて言葉を足す。
「そ、そっか。ごめんね燈夜。燈夜は辛いのダメなんだっけ?でも大丈夫。ボク両方いけるから、最近CMでやってるアレ、激甘ラブラブカレーでも……」
「だっだめです!!今日はホワイトシチューにしましょう!僕今日はホワイトな気分なんです!」
すらすらと話す燈夜にゆきは目を丸くする。
「よっぽどホワイトシチューが好きなんだねぇ」
***
北斗が柊の叩きつけた漫画をレジで買おうとしている時だった。
しんくの真横を誰かが通り過ぎる。
「……ん?あれ?……あれれ?」
「なに」
漫画を手にうるさいと顔をしかめる柊に窓の外を指差す。
「あの横断歩道を渡ってるのって、ターゲットさん?」
しかし柊は漫画から目を離さず、「あぁ、そうかもな」と適当な返事をする。足踏みをし出したしんくは柊に「アレだってば!見て!」と叫び、柊はやっとこしんくに顔を向けた。
「今こっち読んでんだろ。邪魔すん……は?」
ようやくしんくの言葉を理解した柊は、一歩先に走り出したしんくの後に続いて駆け出す。
「北斗!奴がトイレから出た!!」
と言い残して。
「あークソッ!なんでもっと早く言わねぇんだよ!死ね!!」
外に出たときには信号は赤に変わっていた。車が目の前をビュンビュンと通り過ぎていく。
「待ってらんないっすね。他の道は……あ」
「なに」
「見失っちゃいました。テヘッ☆」
りんご飴を持ったまま首を傾げて笑うしんく。柊はこぶしを握り、しんくの頭を目がけて突き出したがヒラリとかわされた。
「カワイ子ぶってんじゃねぇ!死ねっ、このバカりんご!!」
「だってぇ~人が多すぎちゃってわかんないんだもんっ」
「気色悪いからやめろっつってんだよ!」
信号が青くなり、とりあえず走って辺りを見回すが、それらしき人は見当たらない。もうここからは見えない所にいるのだろう。そうしんくは思った。しかし、
「……いた。次の信号を右に曲がる。走れ!」
柊が人波をぬって走り出す。しんくはそれを追い、柊の顔を見て驚いた。柊は右目にあったはずの眼帯を外していた。左右で色の違う瞳。深緑の瞳を爛々と輝かせた柊を見て思う。
――学校でのときと同じだ。
柊は笑っていた。とてもとても楽しそうに、愉しそうに、笑っていた。まるで、戦うことが自分の生き甲斐とでも言うように。言葉よりもその表情が、その目が、彼の心情を饒舌に物語っている。
「……あーあ。その眼帯外してほしくなかったっす」
人混みを避けながら皮肉気に言う。
「視力メッチャいいってどんな感じっすか?ほこりとか気になりません?」
「お前が外させたんだ。だから責任取ってさっきの続きしようぜ!」
柊が眼帯を外すことは滅多にない。夜でもよく見えるその瞳にはリミットがあるからだ。ガチャ目と同じように、眼鏡で補正でもしないと視力の違いで頭が痛くなるらしい。それが相当堪えるようで、柊は眼帯を外したがらなかった。それを外す時は彼が全力を出す時――しんくは口角を上げた。
「絶対俺が勝ちます!」
スピードを上げる。しんくの目にもターゲットが見えた。頭には地図が思い浮かぶ。信号の角を曲がると
――だけど信号まで人波を避けながら行くよりひとつ前の小道を入った方が早い!
しんくは人が通りそうもない細い小道に入り、全力で駆ける。猫が体を
「よっしゃ」
ちょうど男が駆け足でこちらに向かってくる。柊は見当たらない。自身の勝ちを予測し、自然と笑みが浮かぶ。男はしんくの存在に気付かず、後ろを振り向いては何かに怯えている様子だった。男がしんくの横を通り過ぎようとしたとき、そっと片足を前に出す。瞬間、しんくは黒い影を視界に捉え、身体を硬くし、歯を食いしばった。影が男の背にめり込んだ。男は叫び声を上げながら物凄い勢いで前のめりになり、足掛けしたその足ごと持っていかれ、しんくは地面に倒れた。腕と背が痛んだが、りんご飴の無事を確認し、ほっと息を吐く。アスファルトの上をスライディングした男は失神していた。
「俺の勝ちだな」
「……今のはおあいこっすよ」
男に跳び蹴りを食らわした柊は、しんくを見下ろしながら満足げに鼻を鳴らす。話を聞いていないな。しんくはそう思いつつ、座り込んで壁に背をつきりんごに齧り付く。しゃくしゃくと鳴る音に耳を傾けていると、足音が近付いてきた。
「あ」
2人はそれに気付くと大事なことを思い出し、白目を剥いて倒れている男を揺すり起こそうとする。
「おい、はやく起きろよ」
「ここは寝る場所じゃないっすよ~」
足音はどんどん大きくなる。しんくも柊もすぐさま両耳に手を当てた。
「オラァーーー!!殺すなっつっただろうがぁああーーー!!!!」
怒鳴り声が路地に響き渡った。
「何してくれてんだよ!!尾行するっつったじゃねぇか!テメェら尾行の意味もわかんねぇのかッ!!」
目を吊り上げ、俊足で駆ける勢いに乗せて漫画を投げつけてくる北斗に、柊は真面目な顔をして言った。
「北斗、俺はやってない。殺したのはコイツ」
「いやいやいやいや、柊がこの人をオモチャのように扱ってたんすよ隊長」
北斗はぐでんと地面でのびている男の腕を掴んだ。
立ち上がったしんくは柊を呆れたように見る。
「ったく、さっきのはなんだったんすか。『俺の勝ちだな』とか言ってドヤってたくせに。やばかったっすよ。『……ふっ、俺の勝ちだな』」
顔真似をしてみせるしんく。柊は限界まで目を細めてその表情を見た。
「へたくそ。俺はそんなふざけた顔はしてない」
「……そっちの顔の方がふざけてんすけど……」
「おいこいつ脈あるじゃんか!!死んだっつったの誰だよっ!!」
どこも異常がないことを確認した北斗は、男の頬をぺとぺちと叩いた。
「大丈夫かー?お前こいつらに勝手に殺されて悲しかったよなぁ」
「お前が最初に殺したっつったんだろ」
「でも人生まだまだこれからだ。夢の世界に行く前にこっちの世界もしゃぶりつくしてけよ」
「アメちゃんうまいっすよ~」
「ん……」
「お?起きたか?」
男はしばらくぼんやりとしていたが、だんだん焦点が合ってきたようで、覗き込む北斗とばっちり目が合った。
「おぉ、よかったよかった。生きてるな。…………あ?」
北斗が安堵したのも束の間、みるみる男の顔から血の気が引いていく。
「あ、あ……」
「え、おい、おっさん。大丈夫か?」
「うぁ……うわぁぁぁあぁああぁぁぁ!!!」
「うぇっちょ、おっさん!!」
男は叫びながら北斗を押しのけ、猛スピードで路地を駆け抜けていく。
「おい!おっさん!」
ターゲットを逃すわけにもいかないので、三人は訳がわからないまま男を追った。
***
「全部入りました」
「よかったぁ。袋代取られなくてすむね」
3つのエコバックを持ち、デパートの外に出るゆき。燈夜はパンパンになったバッグと彼の顔を交互に見た。
「ゆき……僕も持ちます」
「え?いいの?じゃあ、これ持って。重いから気をつけてね」
ゆきが抱くようにして持っていた袋を受け取る。りんごだった。燈夜も同じようにして抱きかかえる。安定した体勢で歩けるようにとの、ゆきの心遣いが伝わってくる。
「もう真っ暗だね」
空には半月が昇っている。店の灯りは遠ざかり、月の光が薄く透明な膜を張る。冬のそれはだいぶ弱く、燈夜の心は躍っていた。しかしそれを押しとどめるように口をつむぐ。
「今ごろ3人は何してるかねぇー」
「……」
「そろそろ仕事終わるかなぁ」
「……」
「なんか変な声が聞こえない?鳥かな」
「……」
返事のない燈夜にゆきは「もうそんな時間かぁ」と呟いた。
「あっ、噂をすれば」
前方から男の絶叫が聞こえてきた。ゆきが鳥と言ったのはこの声だったらしい。ゾンビが出たかのようなその叫びに、点々といる通行人は驚いて端に寄り、全速力で駆け抜けていくその姿を一様に目で追う。
男のあとに続く3人の少年もまた叫んでいた。
「待てよおっさん!目覚めたときに女じゃなくて俺で悪かったけど、そこまで嫌がらなくてもいいだろっ!」
「目覚めに北斗のいやにチャラい顔を見て逃げない奴はいないだろっ」
「いや隊長は関係ないと思う!あいつ薬使ってるからきっと幻覚、あっ!」
ゆきが手を振っているのにしんくが気付く。それを北斗に目配せすると、北斗は男の叫び声に負けないくらいの大声で遠くのふたりに叫んだ。
「ゆきー!!燈夜ー!!おっさんを止めろーー!!これ以上失敗はできねぇーー!!」
悲痛な叫びにゆきが苦笑しながら構えようとした。が、燈夜がそれを制止する。
「……僕が行く」
そう言うと同時に、燈夜は大口を開けて叫んでいる男に向かって飛び出した。
――――りんごをひとつ持って。
「燈夜が来るのか!なら俺たちも!しんく、お手!!」
「は?お手?」
こんな状況で何を、と思ったしんくはしかし、言われた通りに手の平を出す。
「おかわり!」
反対の手を出してくる北斗に、しんくも反対の手を差し出した。その手にはりんご飴が握られている。しかし北斗はそれを狙っていた。スリをするかのように俊敏にりんご飴を抜き取った。
「うっしゃあ!!」
「はあぁあ!?!?俺のアメちゃん!!!!」
しんくは奪い返そうと試みるが、背の高い北斗に高々と腕を上げられるとさすがに届かない。
「俺のアメちゃんをどうするんすか!!」
「そりゃあもちろんっ、こうするんだ!!」
北斗はアメを思い切り宙に投げた。同時に燈夜が買ってきたりんごを手に男に突っ込む。
「うおりゃゃぁぁぁあああ!!!」
「おぅらぁぁああああああ!!!」
「うあああぁぁぁああぁあ!!!」
3人の叫びがひとつになる。そして、
ガゴッ
前からりんごを食わされ後ろからベトベトのりんご飴を頭に投げつけられた男は再び眠りに落ちた。
「燈夜!よくやったぁー!!俺とお前の連携プレーは最高だぁ!!」
北斗は飛び上がり、そのまま燈夜に抱き着いた。
「ぐふっ」
はずだった。
「ばぁか。僕が隊長に合わせてあげたんですよ。感謝の言葉ぐらいあってもバチは当たらないと思いますが」
「うっ、ぐ……燈夜ぁ……」
みぞおちを蹴られて腹を抱える北斗。そんな彼にゆきと柊は哀れむような視線を注いだ。
「夜の燈夜にそんなことするから」
「おぅらぁあって叫び声でわかっただろ」
「うぅ~……かわいい燈夜が俺に歯向かうとは……思春期、なのか……」
「へぇ。これくらいもかわせないクセして大した親目線ですね」
燈夜は心臓が高鳴るのを感じていた。どんどん暗くなる夜道に乗じてテンションも上がっていく。
「しんく、りんごありますよ」
「……もらうわぁ」
地面に転がったりんご飴をじっと眺めていたしんくに袋に残っているりんごを渡すと、彼は途端ににんまりと笑ってうずくまる北斗の横にしゃがんだ。
「たぁ~いちょ。俺のアメちゃん、弁償してくださいねっ」
「はっ、や、やめろ!しんぐぼおぁぁぁ!!」
りんごを口に突っ込まれた北斗はその後、しんくに3カ月分のアメちゃん贈与を言い渡され、彼の小遣いの半分はしんくのアメへと変わっていくこととなった。
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