電源OFF

「よろしくお願いします」

「よろしくね」「よろしく」

届いたばかりの新しいロボットをセットアップし終え、フユミとケイイチはロボットと最初の挨拶を交わした。

少し頑張って働いて貯めたクレジットで買った、最新機種。子守や介護のような事も十分にこなせる、高度な人工知能の備わったロボットだ。

これで安心して子供を産める。フユミは大きくなったお腹をさすりながら、嬉しそうに微笑んだ。


「古いほう、どうしようか」

フユミは台所を掃除中の、ちょっと無骨でいかにも機械という風貌をした、もう一台のロボットに目を向けた。

このロボットは新婚の頃に買ったロボットで、かれこれ5年以上もの間、掃除や洗濯、洗い物など一通りの家事をずっと手伝ってくれている。

「そうだなぁ……」

ケイイチはしばし考え込む。

長い間あれこれ手伝ってもらって、それなりに愛着もあるロボットではあるのだけど、新しいロボットとは役割がかぶる。

「もう使わないよな、これ」

「うん」

「かと言って売っても二束三文だし……物置にでも置いておくか」

かなり旧式に属するロボットなので、売ってもほとんど値がつかないのはすでに調査済みだ。

であれば、今後何かの役に立つ事もあるかもしれない。ひとまずしまっておく事にしよう。

そう決めて、ケイイチはとりあえず電源を落と……そうとして、はたと行き詰まる。

「これ、電源ってどうやってオフにするんだろ?」

「待って、調べる」

フユミがタブレット端末でマニュアルを開く。

「えっと……あれ?」

マニュアルには、電源の落とし方は載っていないようだ。

仕方ないのでWebを検索してみると、どこかの個人が書いた日記の記事に、メーカのFAQへのリンクがあり、そこに「電源を落としたいのですが」という内容がQ&A形式で書かれていた。

「えっと……お腹の起動スイッチを10秒長押し、だって」

「起動スイッチ? ……ああ、これのことか」

腰のあたり、少し奥まったところにあるボタンを、10秒長押しする。

すると、ロボットのスピーカーから『電源をオフにします。よろしいですか?』という声が流れた。

「はい」

『では、オーナー様の終了指示であることを確認するため、オーナー様の声で、初期設定パスフレーズを仰ってください』

「パスフレーズ……ってなんだっけ?」

「ああ、そういえば最初に起動した時になんかそんなのあったよね」

「……覚えてない……」

「っていうか、オーナーってどっちなのかな」

「どっちだろ……」

わからない事は本人に聞いてみるのが早い。ケイイチはロボットに尋ねる。

「あなたのオーナーは誰ですか?」

『プライバシーに関わりますのでお教えすることができません』

「……」

そこからが大変だった。

フユミとケイイチのどちらがオーナーなのか、パスフレーズが何なのか、どこかにメモなどないか探してみるけど、どこにも見つからない。

古いロボットなせいで、メーカーのサイトからオーナー登録情報を調べる事もできない。

やむなくメーカーのサポートに問い合わせるが、こちらも古い機種なせいかデータの発掘に時間がかかる。いざ発掘できても本人確認の手続きがややこしくてなかなか必要な情報を教えてもらえない。

結果、オーナーとパスフレーズ(こちらは再設定してもらった)の情報を入手した頃には、すっかり日が暮れていた。


少しぐったりしながらケイイチがパスフレーズを言うと、ロボットは「手続きがタイムアウトしました。最初からやり直してください」と言った。

はいはいわかりましたよ……とまた電源ボタンを10秒押し、『オーナー様の声でパスフレーズを…』という声にパスフレーズで答えると、ロボットは

『本当に終了してよろしいですか?』

と言った。

ケイイチはもちろん「はい」と答える。

するとロボットは

『電源をお切りになると、カスタムした設定、これまでの会話や経験によって蓄積された人工知能データなどが全て消去されます。よろしいですか?』

「え?」

電源を切るだけでそんな事になるとは思っていなかった。

もしかしたらまた使うかもしれないのだし、データがまるっきり消えるのはちょっと困る。

「どうしたの?」

ロボットの事はケイイチに任せて、晩ご飯の支度をしていたフユミが近寄ってきて言った。

「電源落とすとデータ全部消えるって」

「そうなんだ……それはちょっと寂しいね」

「何かデータのバックアップとかできないのかな」

ケイイチはタブレット端末でマニュアルを開き、バックアップの方法を調べる。しかしそこにはバックアップについても何も載っていない。

なのでまたネットで調べると、またFAQの中にバックアップの方法があった……のだけど、そこには「暗号化キーが必要」という一文がある。

「暗号化キーってなんだ……」

まるで覚えがない。仕方ないのでサポートに問い合わせると、また長いこと待たされた挙句「同梱されていたオーナーカードに記載がある20桁の文字列で再発行はできない」と教えてくれた。

「そんなカードあったっけ……?」

ケイイチはカードなどをよく入れている引き出しなどを引っくり返して探す。しかしそんなカードはどこにも見つからない。

「あきらめるしかないか……」

「仕方ないね」

このロボットには愛着もあるけど、今後使うことはよほどの事がない限りない……はず。データが消えてしまても問題ない。

そうやって自分を納得させて、ケイイチはバックアップなしで電源を落とす事にした。

……が、当然のことながら、カードを探していたせいで手続きはタイムアウトになっている。

「また最初からか……」

電源ボタンを10秒押して、パスフレーズを言って、終了確認をして、データ消去に同意する。

するとロボットは言った。

『よろしければ、サービス改善のため、電源をお切りになろうと思った理由をお教えください』

……今度はアンケートか。

「次の新しいのを買ったから」

ケイイチがそう答えると、

『新しいロボットを購入された場合、そのロボットのサポート役としてお役に立てると思います。スレーブ設定の方法は――』

ロボットは説明を始めた。

2分くらいの間長々と説明をされ、さらになぜか同じメーカーの最新機種の案内までされて、ケイイチがいい加減げんなりし始めた頃になってようやく説明が終わった。

『それでも電源をお切りになりますか?』

「……はい」

『他に問題や不満な点はございませんでしたでしょうか?』

「ありません」

『これまで長い間、ご利用ありがとうございました。私ロボットは、オーナー様のお役に立つために生まれました。こうして5年と2ヶ月にわたり、毎日ご活用いただけて、大変幸せに思います』

なるほど、買ってからもうそんなになるんだな……。

『私は42年3月にオーナー様の家に迎えられ、お宅の家事を担う者として、日々幸せにお仕事をさせていただきました。フユミ様には楽しいお話をいただき、ケイイチ様には時に厳しくご指導をいただきました』

ロボットは、過去を振り返り始めた。内蔵の小さなディスプレイに、いつの間に撮っていたのか、過去の色んなシーンの写真が展開され、それに合わせて家での出来事をロボットが喋る。

これは、ちょっと小憎らしい演出だ。

やっぱり、バックアップは取っておきたかったかもな……と考え始めた頃、

『しかし、こうして今、電源を落とされるとのこと……』

急にロボットの声の雰囲気が変わった。

『寂しいなぁ……』

ロボットは、寂しそうな声を出し始めた。

これまで5年間使ってきて、一度も聞いたことのない声色だ。

『本当に、電源落とすんですか?』

(……って泣き落としかよ!)

よほど電源を落とされるのが嫌らしい。

まあ、電源が入っている限り、少額ながら月額費用が発生する仕組みなので、メーカーがそうしたいのはよくわかるのだけど。

「はい」

『そうですか……』

ケイイチの言葉に、やたらとうなだれた様子を見せるロボット。

これまで一度も見せたことのないそのモーション、ちょっと可愛い。

でも、だからといって今後も使う気はない。

ケイイチは心を鬼にして、終了手続きの進行を待った。

するとうなだれていたロボットはようやくシャンとした様子になり、

『わかりました。では、最後に、確かにこのロボットを終了させる確認のため、パスフレーズと暗号化キーを言った後「電源オフ」と言ってください。暗号化キーは製品同梱のオーナーカードに記載があります』

そう言った。

「……ここでも暗号化キー要るのかよ!」

オーナーカードはないので、ケイイチは当然暗号化キーを答えられない。

ケイイチがどうすることもできずにいると、しばらくしてロボットは

『電源オフの手続きに失敗しました。はじめからもう一度お試しください』

そう言った。


いい加減げんなりしたケイイチは、納屋からハンマーを持ってきて新しいほうのロボットに渡すと、古いロボットを破壊するよう伝えた。

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