長寿
その老人が診察室に入ってきた時、医師は産業用ロボットか何かが迷い込んできたのかと思った。
(なんだこれは……)
その輪郭はたしかに人なのだが、人と呼ぶにはあまりに異様。
体のそこかしこからチューブのようなものが生え、様々な機械がつながれている。
肌のそこかしこに人にはあり得ない金属の光沢が見え、ところどころに小さなステータスランプのような光が明滅している。
歩みを進めれば、人体からは決して発せられることのないような機械音がギシギシキュインと鳴り、その動きもどこか機械的で、人のような滑らかさに欠ける。
しかしその一方で、ところどころにはきちんと人間らしい肌――ただしやたらと皺の多い老齢の者の――があるし、人間らしい衣服も身につけているし、やはりこれは人間なのだろう。
(いわゆるサイボーグ、というやつだよなぁ……)
アンドロイドの実用化が近いこのご時世、体の一部が機械化されている例はいくつも見てきた。
だが、ここまで全身くまなく機械に覆い尽くされた人というのは、未だかつて見たことがない。
医師は一体どう接したものか、と考えながら、ひとまず軽い会釈をした。
「初診なんじゃが、お願いできるかね」
会釈に応えるように、老人が口を開く。
「え……ああ、はい、もちろんです」
医師は一瞬返答に詰まる。老人の声がその口からではなく、口のあたりの金属プレート上のスピーカーから聞こえてきたせいだ。
「ああ、すまんね。前に声帯をやられてしまったんでな。今はこうして人工声帯代わりに機械合成した音声で喋っておる」
「なるほど……」
「ちなみに合成音声の元はちゃんとワシの声じゃぞ」
そんなまったくどうでもいい事を説明しながら、老人は人体からは出ない種類の音をいくつか鳴らしながら診察椅子によっこいしょと腰掛けた。
普段相当な肥満の人でもびくともしない椅子が、今日は悲鳴を上げそうな様子だ。見た目以上にこの機械まみれの肉体は重量があるらしい。
「これは……すごいですね」
「ああ、この体か? こんな面白い時代に死ぬのは惜しい、もっと先の未来を見てから死にたいと思って延命しとったらこんな事になってしまってな」
そう言って老人はかっかっかと愉快そうに笑った。
笑い声ももちろん合成音声だし、表情もかなりの部分が機械なのでいまいちその愉快さ具合が伝わりきってないが、多分愉快なのだろう。
「ちなみに今おいくつなんですか?」
「640歳くらいじゃったかな」
「640……」
医療技術が進歩して寿命は確かに伸びつつある。伸びつつあるが、さすがに640年生きているという人は聞いたことがない。
というか、640年前といったらもう歴史の教科書に載る時代だ。そんな時代から生きている人間がいるとしたら、もっと話題になってもおかしくはないはずなのに、そんな話は一度も聞いたことがない。
さすがに640歳というのはこの老人のジョークか何かだろう……と思いながら、医師は端末に表示された電子カルテをチラ見すると、生年月日はたしかに今から642年前という、普段接する患者では見たことのない数字になっていた。
「なるほど……」
「いやー、これまで担当しておった医師が、肉体の限界だとか引退しおってな。困ったもんじゃわ」
老人がやれやれといった様子でぼやく。
そりゃ、640年も生きる患者を死ぬまで診続けられる医師などいないだろうが……。
「ちなみにこれまでのご担当の医師とは?」
「K大学のジェイという男じゃよ」
「K大学のジェイ……ってあのジェイ博士ですか!?」
「おお、さすがに知っておったか」
知っているも何も、機械などの人工物を活用した人体の修復や改善の世界的権威であり第一人者だ。現代の医師で知らない者はいないだろう。
「あいつは優秀じゃが、自分の作った技術で自分を延命するのは嫌だとか言いおるからな。変な奴じゃ」
そんな老人のぼやきを聞きながら、医師はふと気づく。
老人の体に埋め込まれた機械は、表に見えているものだけでも相当な数だ。
恐らく内蔵にもかなりの機械が埋め込まれているだろうから、その機械の購入費、手術費、そして維持メンテナンスの費用はとんでもない額になるはずだ。この老人がとんでもない財力を持っている事は間違いない。
ジェイ博士があれほどの成果を出していたその背景に、もしかしたらこの老人の金銭面と実験台的な意味での支援があったのかもしれない。
これはまたとんでもない患者がやって来たものだ。
ジェイ博士の研究については医師として聞いてみたい事が山のようにある。
医師は好奇心がふつふつと湧き上がるのを感じつつ、しかし今は診療の時間だということを思い出す。
「で、今日はどのような?」
「おおそうじゃった。老人は無駄話が多くてすまんの」
「いえいえ」
どちらかというとその無駄話をもっと聞きたいんだけど……なんて事を医師は思いつつも、後に待っている患者も多いのでそこはぐっとこらえる。
「ちょっと腰のあたりに違和感があってな」
「腰ですか。ちょっと見せていただいていいですか」
老人に背を向けてもらい、服の上から軽く手を当てる。伝わってきたのは金属的な感触。
なんとなく予想していた事ではあったが、これは普通の人間向けの診察じゃ無理だな、と即座に悟る。
「ちょっとスキャンさせてくださいね」
透過3Dスキャンをして、腰の状態をチェックする。
スキャン結果を見て、予想していた通りではあったのだけど医師はやはり驚かされた。
腰のあたりはほとんどが人工的なものでできている。人工骨格に、人工神経。消化器官も人工のものだ。
腰だけではない。その肉体はほとんどが人工物だ。むしろ元々あった人としての組織を探すほうが難しい。
まあ、640年にわたる長い間、正常に保てる体の組織はそんなにないのだから、こうなっているのが当然なのだが。
「なるほど……」
正直、ここまで機械化された肉体を相手に、自分のような人間むけの医師の診療にどれほどの意味があるのかは疑問だ。
だが、基本的には人間の設計仕様に近い構成にはなっているので、多少ならわかることもあるはず……。
そんなことを考えながら、医師はAR表示されたスキャンデータをつぶさに観察していく。
しばらくスキャンデータとにらめっこした後、医師は小さな違和感に気づいた。
どうも人でいうところの仙骨あたりの位置のパーツに、欠けている部分があるように見える。
スキャンデータを拡大して、人工知能に分析させると、やはりこの部分の骨格を作るパーツが、経年劣化で変形しているようだ。
「腰骨のパーツが経年劣化しているみたいですね」
「ほうほうそうか。腰のあたりはもう100年くらい前にやったやつじゃからなぁ」
なぜか楽しそうに話す老人。まあ640年も生きていたらこんな診療も慣れたものなのだろうが。
「治せそうかの?」
「多分その劣化してるパーツを新しいものに取り替えれば大丈夫だと思いますが、いかんせん私はそのあたり専門外ですからね……」
ここまで機械化・人工物化が進んだ肉体では、医者が医者として手を出せる範囲はほとんどない。
これ以降は義手義足などの修理を専門にしているサイバネ技師たちや、機械修理工達の出番だ。
「当院に専門の技師がいますので、そちらで念のため精密検査と交換をしていただくのがいいかなと」
「そうかそうか。じゃあそちらにお願いするとしようかの」
そう言って老人はよっこらしょと立ち上がると、再びギシギシキュインと人間らしからぬ音を立てながら、看護師に連れられて診察室を出ていった。
医師は電子カルテに症状と所見を書き込んで送信。同僚のサイバネ技師達の驚く顔が目に浮かぶ。
「しかし……」
あらためて老人のスキャンデータを見る。
腰はもちろん、骨格、臓器、筋肉、そのほとんどが人工物だ。
脳ですら機械化されている。恐らくひと昔前に確立された、脳を少しずつスキャンして少しずつ機械に置き換えていく例の技法でコンバートされた電脳だろう。
そうでもしなければ、今の医療技術で640年もの間、1人の人間を生かし続けることはできない。
できない、が……。
「これって……人って言っていいのかなぁ……」
人工物で埋め尽くされたそのスキャンデータを見ながら、医師は人間とは何か、人とアンドロイドの境界線というのはいったいどこなのかと、しばし考え込んだ。
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