悪い奴ほどよく転ぶ
幽界キネマ
第1話
「陰謀説とかって信じる?」
長髪の男がバーカウンターの中の秋谷に聞いた。「近代の人類史は秘密結社によってコントロールされているっていうことなんだけどさ」
店の奥にはカラオケセットと申し訳程度のお立ち台。カラオケセットのスイッチは消されていて、何のBGMもない狭い店内にいる客はその長髪の男、一人だった。
シンクに落ちる水道水の音だけが店内に響いている。
「えー。わからない」
吉野は酒焼けの掠れた酷い声だった。オレンジ色の英語がプリントされたTシャツにジーンズという姿で喋る度に尻を小刻み揺らす。「けど、それって怖くない」
質問とも独り言ともとめないようなイントネーションで吉野は悪戯っぽく笑った。しかしその笑いも決して可愛いものではない。彼は化粧前のオカマであり、去勢をしていないその身体は平均男性から見たら華奢なほうでも、仕草と身体の肉つきのギャップが否めなかった。
「フリーメイソンだよ」
長髪の男は呟くように言った。
「それなら知ってるな」
吉野の隣りでグラスを拭いていた秋谷が反応した。秋谷は吉野と違い、その声は酒焼けをしておらず、水色のYシャツを着たその姿は仕事帰りのくたびれたサラリーマンと言ってもおかしくなかった。しかし彼は店を吉野と共に共同経営しているゲイだった。「イギリスの石工職人たちが作った組合だっけ。世界中に支部があって、政治を裏で支配してるとか、中国と地球の覇権争いをしているとか、なんか色々噂があるよね」
「お、良く知ってるな、さすが秋谷ちゃん。元警官だけある」
「ちょっと、それどういうことよ。あたしだって知ってるんだから、フリーメイソンくらい。そもそもアキは元警官じゃないわよ。元整体師兼探偵なんだから」
吉野が冗談交じりに反論する。
「誰が元整体師兼探偵だよ。俺は、元善良な心を持った汚職警官だよ」秋谷は呆れるように吉野の情報を正す。
「わかったよ。わかった。秋谷ちゃんは、元探偵兼ナイジェリアの大統領だよ。それでよ、それでフリーメイソンの話だけどよ、知ってるか? 野党の幹事長、あいつフリーメイソンらしいぞ」得意げに長髪の男は言う。
「うっそぉ」
吉野は驚きわざとらしく両手で口を覆った。
「なんでもこの不況も、奴らが起こしたらしいんだよ。まったくよぉ」
長髪の男は酒を煽り、グラスをカウンターに打ちつけた。「こっちは食い扶持が減ってどうにもなりやしねぇってんだよぉ」
「けどこの前、仕事が一本入ったって言ってたじゃない。オカルト雑誌の取材の仕事がなんとかかんとかーって言ってたわよ」
秋谷が言った。
「それがなくなったんだよ。なんかテレビでやってる都市伝説の企画に便乗した話で、フリーメイソンの記事を俺が担当する予定だったんだけどよぉ。雑誌を作ってた出版社が倒産したんだよ。パラパラパーなわけさ」
「ほんとに?」秋谷はカウンターで突っ伏すその男に同情する。「災難だね。うちらも他人のことは言えないけど」
「そのオカルト雑誌ってなんて名前?」
「言ってもしらねぇよ」
長髪の男は不貞腐れてしまった。
「ふーん。あらそ。そうそう。オカルトといえば、私たちの新しい家も幽霊が出るみたいなのよね。前の前の住人か前の住人がなんか自殺してて、その霊が出るらしいんだけど、なんかわかる?」
吉野が男に聞く。
「全然わからん。そもそもお前の家知らないし」
「あらそ。冷たいのね。まぁいいのよ。そのお陰で家賃がすごい安かったんだけど。ね、アキ」吉野が言った。
「まぁ俺たちは幽霊とか信じないし、いい話だったんじゃない」
「けどねけどね、昨日も仕事が帰ったらテーブルに置いてある私のコップの位置が変わってたのよ。ピンクのコップ」
「ピンクのコップなんて使ってるのか?」
長髪の男が言った。
「使ってるわよ。可愛いじゃない、ピンク」
「お前は全然可愛くないよ」
「あら厳しい。けど本当に動いてたんだから」
「お前の気のせいだよ。幽霊なんていないんだから」秋谷は言う。
「そうだよ。ほんと、そう。幽霊もフリーメイソンも占い師も祈祷師もぜーんぶ嘘」
長髪の男が何かを思い出しているような遠い目をしながら言う。「特に占い師とリフォーム会社」
「リフォーム会社?」吉野と秋谷が言った。
長髪の男は呟く。「前の彼女がリフォーム会社に勤めてたんだ。老人を騙してた」
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