ドリーミー・ドリーマー

雨露多 宇由

1、Why did not have a dream?

 


 夢なんて偶像だ。

 夢なんて虚像だ。

 夢なんてまやかしでしかない。

 だから、僕は。






 中学二年生、十四歳。きっと一番妄想豊かで、夢見がちな時期だろう。

 はあ、と溜息をついた。

 空を見上げて、 下を向いた。見てるこっちが青ざめそうなくらいだ。

 太陽は調子よく輝いていていて、その元気をわけて欲しいくらいだった。

 燦々と降り注ぐ太陽光fが痛い。紫外線が質量と悪意をもって襲いかかってきた。

 日焼け止めを塗っていないので、皮膚に直接ダメージがいく。

 馬鹿じゃないかな、と自分でも思う。実際馬鹿なんだから救いようがない。

 たら、と頬を伝って汗が滑り落ちる。

 暑い。夏休みの中盤、つまりは夏真っ盛りなんだから当たり前だろう。

 耐えられない。でも地面からの照り返しを防ぐ方法なんて無いから、耐えるしかない。

 多分気温は32度くらい。でも、体感温度はもうサウナ並だ。 

 なぜこんなところで歩いているのかと言えば、ただ単純に忘れ物があっただけである。

 まさかの宿題のプリントを机の中に起きっぱなしにするという愚行。

 そのプリントは手に握られていて、正直手汗による被害が尋常じゃなく心配だ。

 まあ、別に濡れてしまっていても良い。僕のこのプリントに対する悪感情は、それなりにある。

 『将来の夢』についての作文を書け、との担任からは仰せだった。

 思わず題名を書くプリントを握りつぶしてしまいそうになる。

 なんの地獄だろうか、これは。

 まあそんなことはどうでも良くて。

 今はただ、早く家に帰って、エアコン効いた部屋で涼みたい。

 そう思いながら、なんとか硬いアスファルトの地面を踏みしめて、歩いていると、かしゃり、と。

 軽い、まるで何らかの紙を踏みつけてしまったような音が聞こえた。

 足元から。

 普段だったら、一瞥もせずそのまま歩いていただろう。

 しかし、その日の僕は頭が茹だっていて、自分が踏みつけたモノを見てしまった。

 長方形の紙。ただの、紙。文字が印刷されるのではなく、手書きだった。


「…………なんだこれ」


 やけに達筆な字で、こう書かれていた。

『あなたの夢は、なんですか? もし無いのなら――探しに行きましょう! 裏面へ→』

 前半はわかる。だが、後半は何だ。

 探しに行きましょう? どこにだよ。職業体験ツアーにでも行くのか。

 そう思いながら、何となく裏も見てみる。ほら、矢印があったから。


「夢の国……?」


 そこに描かれていたのは、チケットらしきもの。

 大きく、そしてカラフルに『夢の国:ドリームランド西エリア行き』とある。

 夢の国ってなんだよ、とか。それパクリだって怒られるんじゃないのか、とか。

 「夢」という言葉が目に入って、気分が落ちたりとか。

 いろいろ思ったが、無視して他のところを読む。

 その下には、小さく使用方法が書かれていた。


『使い方はとってもカンタン! このチケットを切り取って、枕の下に置いて寝ればOK。すぐに係員があなたを夢の国にご案内いたします!』

 

「バカじゃないか」


 そんな言葉が、口を衝いて出た。サーカスの呼び込みみたいな文章はどこか白々しい。

 エクスクラメーションマークがやけにファンシーで、それが僕を苛立たせる。

 そんな好きな人の写真でもないんだから、なんて思いながら、目を下に滑らす。

 その右下にはアスタリスクがあって、『夢のない方はもちろん、夢のあるかたも大歓迎!』とあった。

 

「じゃあ表面の『探しに行きましょう』って何なんだよ!」


 思わず手に持ったそのチケットを地面に叩きつけた。

 ……いけない、ついいつもの癖でやってしまった。別にそこまで突っ込みどころというわけでもないのに。

 落ち着こう。一旦深呼吸をして、今地面に叩きつけたばかりのチケットを拾う。

 拾うときに気がついた。

 さっきの文の下に、これまた小さく丁寧な字で書かれている。


「何々……『このチケットを地面に叩きつけるような真似をした夢のないお客様も大歓迎でございます』?」


 その文言を咀嚼して、意味を理解して、目を閉じる。もう一度地面に叩きつけようとして、すんでの所で止めた。

 ……だめだ。例えこのチケットが自分のことをおちょくっているように思えても、二度目はいけない。数は少ないとはいえ、周りに人もいるんだから。

 それに、チケットがこちらの行動に反応して言葉を書くなんて芸当、できっこない。目を閉じて、深呼吸して。

 ちら、とチケットの文面を見る。

 

『あれあれ? やらないんですか? ビビっちゃいましたかぁ? これだから夢のない人はー』

「ああああぁぁぁああ! なんだこいつ! 心でも読んでるのかよ!?」


 良い感じに煽りながら気にしていることもつついてくる。

 無機物のくせに。無機物のくせに。

 周りの視線が痛い。何も気にせずに叫んだからだ。

 道の真ん中で、男子中学生が、急に叫ぶ。

 ……どうか、流してくれないだろうか。ほら、中学生には良くあることだと思って。今日暑いし。


『馬鹿?』

「馬鹿じゃねえよ!?」


 何で僕こんな紙切れに罵倒されてるの? おかしくない?


「……いや、ちょっとまてよ」


 今までなんかスルーしてたけど。というか、頭に血が上っただけだけど。

 現実的にありえない事象が、目の前で起きている。


「なんでこの紙切れ文字が勝手に浮き上がってくるの? あと内容も何か人間じみてるし」

『あ』


 ほら、人間くさい。

 ……いや、そうじゃなくて。

 おかしい。科学技術はここまで進歩していたのか、と傍観者みたいな感想を抱けるわけ無くて、正直言って気持ち悪い。なんてファンタジーなんだろう、虫唾が走る。

 実はこの紙は液晶で、スマホと同じような原理で……とか。

 

「いや、ありえないな」


 こんなペラペラで簡単に折り曲げられる液晶があったらそれはかなりの発明だし、そんなのがこんな道端に落ちているわけがない。

 ……なんだろう、これ。

 今更な疑問だけど。


「なあ、君って一体何なの?」


 この紙切れに聞いてみる。期待はあまりしていない。まあ、これで反応が返ってきたらちょっとしたホラーではある。

 反応は無い。というか周りの視線が痛い。

 これはあれだな。

 ひとまず、家に帰ろう。


 僕は逃げるようにして、このクソ暑い中を走って帰った。


 

 ◇



 ところ変わって、通気性皆無な僕の家である。

 扇風機の前に陣取り、目の前には紙切れを置いてある。

 まさかのクーラー故障とか言う事件があり、そういうわけで僕は家に二台ある扇風機の片割れを独占しているのである。


「……で、君は何だ」


 返答は依然として無し。ちなみにこのやりとり、都合三回目である。

 そろそろ飽きてきた。傍から見れば僕は唯の狂人だ。今日は親が遅く帰ってくる日で良かった。

 どうしようかな、と思案する。

 いっそちぎってしまえばいいのかもしれない。でも、チケットは切り取れるようになっているんだから、たいしたダメージは与えられなさそうだ。


「じゃあ、焼こうかな」

 

 我ながら良い案であると思う。紙には火が効く。弱点だ。


『―――――ッ!』


 そうして僕はライター(父の)を手にとって紙切れに近づけていく。

 なんか震えているように見えるのは気のせいである。

 若干八つ当たりっぽく見えるのも気のせいである。

 気のせいと言ったら、気のせいである。究極、この紙切れに意志が宿ってるっぽいのも気のせいである。

 たかが三回ほど無視された程度で怒るほどに僕の器は小さくないのだ。

 カチ、と火を付ける。

 恐怖を煽るように、右端から、ゆっくりと。

 焼く、というよりはあぶっている感じだが、まあいいだろう。

 ちゃんと効果は出ているのだから。


『ちょっとまってストップ許してくださいお願いしますなんでもしますからぁ!』


 ほら、インクが滲んでいる。本当に人間くさいな、と思いながら、決して僕はあぶるのを止めない。


『熱い!? 紙なのに、感覚なんて無いのに熱い!?』

「あっはっはっはっは。ちょっと楽しくなってきた」

『サ、サイコパス……』

「そろそろ焦げそうだなー」

『ちょっいや、まじで待ってください!? ほら、私を焼いちゃって良いんですか。この世に二つと無いドリームランド行きチケットですよ!』

「へえ。そうなんだ」

『薄い! 反応が淡泊すぎる。レアモノですよレアモノ!』

「生憎僕はこんな気味の悪い紙切れを収集するような変態じゃないんだ」

『――――ッ! あなた、夢がありませんね? そうでしょうそうでしょう。世の中には一定量そんな人間がいるんです』

「だからどうしたというんだ」

『夢を、見つけてあげましょう! あ、いや。見つけるお手伝いをいたしましょう!』

「………………」


 少し、考える。ライターを離した。

 この奇っ怪な紙切れは生きているかのような反応をする。

 およそ普通ではありえないファンタジーな存在だ。

 口の端が歪んだ。きっと、意識もしないうちに。

 どんな笑みをしているだろう。多分ろくでもない。

 

「……君は、何をしてくれるんだ?」

『おっと。興味、抱いちゃいましたね? ええ、ええ! ! ならば、この私に縋るのも納得でしょう』


 調子に乗ったかのように喋る――実際には文字が浮き出ているだけなのだが――こいつに苛立ちを覚えて、ライターを近づけた。

 そのわかったような文言と、明るく言った「夢」という言葉の響きに心を動かされた。

 苛立ちが募る。


『うおおぉおぉ!? ごめんなさい調子に乗りましたぁ!』

「……で、君は何をしてくれるんだ」

『……はい。答えます。正直に答えますので火を遠ざけて頂けませんでしょうか』


 別に断る理由もないので、請われたとおりにした。火を消せば、ほっとしたように文字が安定する。

 

『ありがとうございます! ええ、では説明いたしましょう。この私、通称レア・イススリル・クライン、略してレインちゃんが懇切丁寧慇懃無礼に説明してやりましょう!』


 紙切れ――レインが映したその文字列は、どこか既視感があった。

 いつだったか、もう思い出せない。

 苦い、苦く重いような記憶だった。

 思い出したくないから、頭を振ってそれらを掻き消した。

 そうして、何でもない風に反応する。


「無礼は余計だろ」

『書いてあるとおり、私はあなたを夢の国に連れて行きます。入場料はいりません。私をもっているだけで十分です』

「……いや、ちょっと待て。その夢の国はどこにあるんだ?」

「……は?」

『夢の中です。あ、ちなみに住人はすべて夢ですので。ええ。ええ。誰かの夢でございます』

「ちょ、ちょっと待って。夢の中に夢の国? あと住民が誰かの夢って何だよ」


 夢っていう単語がありすぎてゲシュタルト崩壊しそうだ。それに、「夢」という単語に二つの意味があるのがいけない。

 どっちの意味で言っているのか訳がわからなくなる。


『そこらへんはまあ、ふわっと流しておいてください。続いて使用法ですが、まあ書いてあるとおりですね。ええ。あなた様が夜寝るときに私めを枕の下に忍ばせて頂ければ』

「……いや、流せねえよ。まるで知らない漫画か小説の世界設定を説明された気分だ」

『…………本当はですねぇ、懇切丁寧慇懃無礼に説明するつもりでしたが――そんな悠長にしていられなくなってきたので」

「おい、どういうことだ」


 垂れ流される文章の文字が歪んでいく。

 禍々しく、夢なんて見つからないくらいに。

 現存する感情の醜い部分を煮詰めて溶かしだしたような、そんな文字。

 恐ろしい。自分の予測できない事態が進行しているようなその様は、いやにでも不安をかき立てる。

 ここが現実なのか、それとも夢なのかわからない。

 茹だった頭が、困惑にごちゃ混ぜされて意味がわからなくなる。

 思考が溶けていく。文字を見ていると、狂いそうだ。 

 ああ。ああ。ああ――――。


『――――ちょおっとだけ負担はかかりますが……強制的に連れて行きますね』


 その言葉ぶんしょうを視認して。

 それを最後に、僕の視界は暗く染まっていく。

 気絶? 熱中症か、なんてぼけた頭が考える。今日は暑いから、なんてまさしく暑さにやられたような思考が巡る。

 ―――――違う。

 言いようのない恐ろしさと、普段何も働かない勘がささやいて、警鐘を鳴らしている。

 水分補給でもしようか、と伸ばした手は無駄になった。

 意味がわからない。理由がわからない。暗い、黒い、闇。それが一面に広がっている。

 気づいた。既視感のある、でも少し違うようなその感覚に思い当たることがある。

 ああ。

 僕は。

 ――――――。






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