第7話
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秋口になっても、暑さはいっこうに収まる気配を見せなかった。それどころか、ある週刊誌が掲載した記事によって、政府とマスコミの間には火傷しそうな熱気が渦巻いていた。
記事というのは、あの1031号こと久保田聡が書いた国籍離脱者センターへの潜入リポートだった。岸辺は体調不良を理由に、記者会見を官房副長官の
「ここに書かれていることは本当なんですか?」
「老人や病人を海に捨てているんですか?」
「低賃金で国籍離脱者を働かせているのは、どこの企業ですか?」
だが宇部は、すべてを否定した。
「そんなバカげた話、誰が言い出したんですの? 日本は人権を尊重する法治国家ですよ」
この時は、この談話で収まるかに見えた。あまりにも荒唐無稽な話だったし、美しい国民の党に不利になるニュースを、マスコミ側も積極的に報道するつもりはなかった。そのため、このことに国民が強い関心を示すこともなかった。
しかし、政府内に「非国民プロジェクト」という名称の極秘プロジェクトがあるらしいという報道がなされたことで流れが変わった。再び記者の質問にさらされた宇部はとぼけきれなくなり、こう答えた。
「すべて、特定秘密に属することですので」
この一言が、久保田の記事が真実であることを確信させた。火に油を注ぐような結果になり、取材競争はヒートアップした。
政府はついに記者発表を行わざるを得なくなった。
「報道されております一連の事象は、ある官僚が独断で行ったことであります。政府としてはまったく関知しておりません」
「しかし特定秘密なんでしょう? それを官房長官や副長官が知らないはずがないでしょう?」
「その官僚は特定秘密を悪用し、私たちにも秘密にしておりましたので」
「そんなバカな話を信じろと言うのか! じゃあ、その官僚というのは誰なんですか?」
「内閣府の槇島繁之という者が、一人でおこなったものと聞いております」
そう言うと宇部は、部下に合図して書類を配布させた。繁之が七年前に作成したシミュレーションのコピーだった。
「これは?」
「槇島という者が七年前に作成した資料です。本人には、これから事情を詳しく聞くつもりです」
宇部はトレードマークである人を小馬鹿にしたような微笑を浮かべ、会見を打ち切った。
霞が関から少し離れた場所に、表向きは内閣府の外郭団体を装った非国民プロジェクトのオフィスがある。清潔そうな白い壁と木張りの内装で統一された執務スペースのなかで、数人のプロジェクト・メンバーたちとテレビで会見を見ていた繁之は驚愕した。
確かに自分はシミュレーションのアイデアを考えたが、それを勝手な方向に発展させ実行したのは岸辺と福神ではないか。それなのに、なぜ自分の名前だけが官房副長官の口から発表されるのか。
すぐに立ち上がってメンバーたちに聞こえない場所に移動し、岸辺に電話した。
「これはどういうことです、官房長官」
「槇島君。君、困ったことをしてくれたねえ」
「は? 何のことです?」
「君は政府にも秘密で、老人や低所得者たちを国籍から離脱させているそうじゃないか」
そこまで聞いて、繁之はようやく悟った。岸辺は全責任を自分一人に押し付けようとしている、と。
「官房長官。あんた、俺にすべてをなすりつけようというのか」
「わかっていないようだね」
「何を?」
「君のような、さして優秀でもない男を重要ポストに置いていたのは、こういう時のためだよ」
怒りで眼の前が真っ赤になった。殴りつけてやりたいが、電話ではどうしようもない。
「こういう不祥事を起こされたのではねえ。辞表はこちらで用意しておくから。あ、退職金は期待しないでくれたまえ。もちろん再就職先も、だよ」
「それは、あんたが決めたことなのか?」
「村井総理も、賛成してくれたよ」
どうやって電話を切ったのかも覚えていなかった。繁之は、同僚たちの
その足で繁之は、近くのカラオケ・ボックスへ飛び込んだ。
でたらめに選んだカラオケを流しながら、久保田のリポートを掲載した週刊誌の編集部に電話した。内閣府の槇島だと名乗っても、最初はいたずらだと思われた。だが書類の写しを持っていると言うとようやく信じた様子で、担当記者から連絡させると言ってきた。
少し待っていると、久保田聡というフリー・ジャーナリストから電話がかかってきた。例の記事を書いたのは自分で、夜になったら車で迎えに行くと言う。繁之はカラオケ・ボックスの場所を教えた。
永遠に思えるような数時間が過ぎた頃、再び携帯が鳴った。店の前にいるという連絡だった。繁之は支払いを済ませ、店の前に停まっていた軽自動車に飛び乗った。
店のなかでは、順番を待つ客を装うカップルがその様子を確認し、携帯端末でどこかへ連絡をした。二人は繁之を尾行していた公安だった。
車の座席に座ると、すぐに運転席の男が話しかけてきた。
「俺が久保田です。あんた、本当に槇島さんなのか?」
「そうだ。少し前まで、内閣府の非国民プロジェクト・チームにいた」
「政府は、すべてあんたがグッドジョブ社と組んでやったことだと言っているが」
「川崎沖に人工島を作るようなことを、たかが役人一人の力でできると思うか?」
「あんたはスケープゴートにされた、というわけか?」
「そうだ。俺は単なるシミュレーションとしてアイデアを出しただけだ」
繁之は、ことの成り行きを簡単に説明した。
「書類を持っているとか」
「ああ、これだ。パソコン内でコピーするとバレるから、書類を直接写真に撮った。これがそのデータだ」
鞄からメモリーを取り出し、久保田に渡した。
「これを、どうしろと?」
「君の名前で発表してくれ。どうせ俺は、もう……」
このようなこともあるかと保険のつもりで撮影しておいたデータだが、政府は名指しで自分の犯罪だと発表した。これでは、データの存在をちらつかせて岸辺を脅すという手も使えない。あとは、マスコミの手で非国民プロジェクトの正体を暴く手段に使ってもらうほかない。
「あんた、これからどうするつもりだ?」
「家族を連れて海外に逃げる。もう、それしかない」
繁之の声には、疲れがにじんでいた。
「あては、あるのか?」
「ない。とにかくどこかの地方空港へ行って、そこから出国する。それから先は、行ってから考える」
「俺に手伝わせてくれ。取材でいろいろな人間と繋がりがあるから、それよりはマシな手段をいくつか持っている」
すぐに連絡する、と言って久保田は繁之を降ろし、乱暴に車を発進させていった。
とにかくそこから早く離れようと、繁之は振り返りもせずに歩き始めた時のことだった。タイヤがきしむ音と、大きな衝撃音が背後から響いた。そして、まぶしい光と爆風が繁之を背後から襲った。
吹き飛ばされた繁之が見たものは、巨大なタンクローリーがすさまじい黒煙と炎をあげている光景だった。タンクローリーのシャーシー中央部には、久保田の軽自動車が頭から食い込んでいた。運転席はぺちゃんこにつぶれ、すでにオレンジ色の炎に呑み込まれていた。
あたりに緊急車両のサイレンが鳴り響くなか、繁之は恐怖のあまり、立ち上がることができなかった。
「うわ、うわあ」
うわごとのように叫び声を上げながら歩道を這いまわっていると、水色の服を着た救急隊員たちが駆け寄って来た。
「もう大丈夫ですよ。落ち着いてください」
そう言うと一人の救急隊員が、繁之の首に圧力注射器を押し当てた。一瞬で、繁之は意識を失った。救急隊員たちはストレッチャーに繁之を載せ、目立たない場所に停めた救急車に運び込んだ。だがその救急車は、病院とは違う方向に向けて走り去っていった。
自宅にこもっていた岸辺は、タンクローリーの衝突炎上事故を伝えるニュースを流すテレビの音量を下げ、机の上の携帯端末を取り上げた。
「私だ。今週末に決行する」
それだけ言うと、再び音量を上げた。
「軽自動車を運転していたのはフリー・ジャーナリストの久保田聡さん39歳とわかりました。火のまわりが早かったために救出に手間取り、助け出された時にはすでに死亡が確認され……」
ニュースでは、タンクローリーを運転していた人間については一言も触れていなかった。だが、そのことに気づいた視聴者はほとんどいなかった。
週末。村井首相は川崎沖の人工島を訪れていた。桃香のときと同様、若くて美しい女を電気で執拗にいたぶっていた村井は、ふと我に返った。傍らにいたはずの福神も、アシスタントの技師も、いつの間にか姿を消していた。
「福神君?」
異変を感じ取った村井は、SPを呼ぶためにドアに歩み寄った。なかに駆け込んだSPたちは拳銃を抜き、あたりを警戒し始めた。そのとき、女が固定されていた椅子の下で、大音響とともに爆発が起こった。次の瞬間、床の上にバラバラになった肉片が転がった。村井とSP、そして女の肉片が炭化した血だまりのなかで混ざり合い、区別がつかなかった。
同時刻。〈美しい国民の党〉本部の一室では、関係閣僚と党の要職による連絡会議が行われていた。
「では、アジア経済会議には、以上のような方針で臨むということで」
参加者全員がうなずくのを見て、進行を務める宇部官房副長官は、手元の書類をまとめはじめた。そのとき、建物全体が細かく振動した。
「なに? 地震?」
不安げにあたりを見回した瞬間、部屋の四周にある柱と壁が崩れ、轟音とともに天井が落下した。一瞬の出来事に部屋からは一人も逃げ出すことができず、全員がコンクリートの下敷きとなった。八人の閣僚と党の指導部、そして党本部にいた多くの職員が命を落とした。
総理大臣官邸の地下一階に設けられた危機管理センターには、すでに各省庁から集められた40人ほどの係官が着席していた。室内は天井が高く広いわりには反響音が全くせず、係官たちが使う電話の声だけが折り重なって機械のノイズのように低く鳴り続いていた。
フロア全体を見渡せる一段高い壇の上では、内閣危機管理監の
そこへ、報告を聞いて駆けつけた岸辺官房長官が早足で歩み寄った。
「テロですか?」
町田は即答した。
「間違いありません。報告によると、爆薬の使用が確認されています。総理と閣僚八人がやられました」
「至急、生き残った閣僚を集めてください」
「承知いたしました。犯人逮捕に全力を挙げます」
「そんなことはどうでもいい。それよりもまず、私が臨時代理になることが先だ」
元警察庁キャリアの町田は岸辺の言葉に違和感を覚えたが、指示に従った。これまでに経験したことのない非常事態だった。何が正しいのか、判断する材料がなかった。
連絡会議に呼ばれていなかった閣僚7人が岸辺のもとに集まったのは、それから一時間ほど経ってからだった。岸辺は考える暇を与えずに宣言した。
「私が総理大臣臨時代理を務めます。ご異存があれば、うかがいたい」
生き残った閣僚は全員、村井に近いというだけで大臣の椅子を手に入れた人間だった。こんな時に否と言うほどの覚悟も気概もなかった。
「異存はない」
「異議なし」
数人があげた声につられて、他の大臣たちもあいまいにうなずいた。
「ご異存はないものと承った。これより私が内閣総理大臣の職務を代行する」
立ち上がった岸辺は深く一礼した。
その日の夜に行われた記者会見で、岸辺は早口でまくし立てた。大きな目を限界まで見開き、まばたきもせずしゃべり続けた。
「我が国は本日、未曽有のテロに襲われました。村井総理ほか八名の閣僚が殺害されました」
ざわつく記者たちを気にも留めず、続けた。
「残った閣僚による協議の結果、私が総理大臣臨時代理を拝命いたしました」
そしてひと呼吸置いたあとに軽く咳払いをし、いちだんと声を張り上げた。
「内閣総理大臣臨時代理の権限により、緊急事態を宣言いたします」
日本という国家の全権力が、岸辺という一人の男のもとに集中した瞬間だった。
新たに憲法に挿入された緊急事態条項には、国家が危機に直面した時、内閣総理大臣は緊急事態を宣言することができると定められている。
いったんそれが宣言されると、内閣は法律と同じ効力を持つ政令を制定することができ、また地方自治体の長をその監督下に置くことができる。そしてすべての国民は、内閣や公の機関が発する指示に従う義務が生じる。
つまり、緊急事態のもとでは、内閣がこの国のすべてを掌握し、統制下に置くことができることになる。もしも内閣の構成メンバーが愚鈍ならば、その権限は総理大臣一人に集中する。憲法が停止されたのと同じ状態で、事実上の戒厳令といっても誇張ではなかった。
岸辺が最初におこなったことは、風評を垂れ流す報道を禁じる政令の制定だった。そしてこれに違反したとして、ある民放の電波を停止し、一部の週刊誌を発行禁止処分にした。
根拠のないでっちあげであることは明白だったが、マスコミは震えあがった。媒体を止められては商売にならない。こぞって岸辺にすり寄り、政府の宣伝機関と化していった。政府に不都合な情報は、いっさい報道されなくなった。
その後新たなテロ事件が起こらず、また国民生活に大きな変化が起こらなかったことも手伝って、一般国民の関心は日が経つとともに低下した。一週間もすると、日本が緊急事態下にあることも意識されなくなっていった。
テロの衝撃がおさまったタイミングを見計らって、岸辺は次の手を打った。美しい国民の党内の政敵や野党の指導者、政権に批判的なジャーナリストなどをつぎつぎに検束した。理由については、テロ・グループとの関連が疑われると発表した。
同時に、マスコミを通じて驚くべき発表を行った。
「テロの実行犯は、国籍離脱者のグループ、いわゆる『非国民』であるとの情報があります」
真っ赤な嘘であった。だがこれによって、何も知らない一般の国民の頭のなかには、非国民は凶悪犯罪者であるというイメージができあがった。
さらにマスコミを通じた誘導もあり、「非国民は社会から隔離しろ」「厳重な監視下に置け」といった論調が高まった。この時点で一般社会に出ている非国民は一人もいないにもかかわらず、彼らは嫌悪と差別の対象となった。一方、その水面下で非国民プロジェクトが全国規模に拡大されつつあることについては、一切報道されなかった。
イオは今日も例の女を尾行していた。外の社会で起こっていることについては、まったく知らなかった。
いつものように仕事を終えた女のあとをつけ、売店に立ち寄ったのを確認した時のことだった。
「止まれ。両手を上に挙げろ!」
いきなり、自動小銃を持った黒い服の警備員たちにまわりを囲まれた。何が起こったのかわからず、目を見開いたまま男たちの姿を見まわした。
「早くしろ!」
イオの足元に銃弾が撃ち込まれた。おずおずと両手を挙げたイオを、男たちは上からのしかかるように地面に押し倒し、うしろ手に手錠をかけた。
「立て!」
力ずくで立ち上がらされ、さらに両脇をがっしりと抱えられながらどこかへ連行された。わけがわからなかった。
同じ頃、37区工事事務所を警備員の一団が急襲した。こちらはさらに制圧力の大きい火器で武装し、厳重な防弾装備を身につけていた。
ビアンカがドアの外の動きを敏感に察知し、棚から大型の拳銃を取り出してヨハンに投げた。
「くそっ、岸辺の奴。こうも早く儂たちを始末にかかるとはな」
「ヨハンもヤキが回ったのかしらね。早く!」
ビアンカとヨハンは手近な家具を倒し、防壁代わりにした。
閃光弾の破裂とともに事務所内に突入した警備員のうち、数人がその場に倒れた。ヨハンとビアンカが家具の陰から乱射した拳銃が命中したのだ。予想外の抵抗を受けた警備員はややひるんだものの、すぐに体勢を立て直して応戦した。
だが、数秒もたたないうちに抵抗はやんだ。警備員たちが警戒しながら部屋の奥を確かめると、ヨハンとビアンカの姿はどこにもなかった。
部下から報告を受けた警備員のリーダーは、ポケットから携帯端末をとりだした。
「二人の確保に失敗しました」
電話を受けた福神は、拳で机を叩いた。
「例の若い男はどうなった?」
「大丈夫です。地下の監獄に収容してあります」
「わかった」
福神はすぐに岸辺に連絡を入れた。
岸辺に呼ばれた町田危機管理監は、謎めいた笑むみをたたえる総理大臣臨時代理の顔を見つめた。
「町田さん。村井首相を殺害した犯人を捕まえました」
「は? 警察庁からは、まだ何も報告がありませんが」
「捕まえたのは警察ではありません。グッドジョブ社の警備員です」
「なんですって」
「犯人は、国籍離脱者センターに潜んでいた非国民です。あそこの警備員はなかなか優秀ですな」
不審そうな目を向ける町田に、岸辺は早口でたたみかけた。
「なにしろ国籍離脱者センターというところは、殺人や傷害が日常茶飯事ですからね。警察や自衛隊の出身者でなければ務まりませんよ」
「しかし、なぜその非国民が犯人だと?」
「彼は、フュルフュールというテロ組織に所属していたそうです」
「フュルフュール?」
警察庁にいたときにも、そんな名前は耳にしたことがなかった。
「どうして、一民間企業のグッドジョブ社がそれを? 警備局でも掴んでいない情報です」
「あそこは一種の無法地帯ですからね。いろいろなものが流れ込んできても不思議はないでしょう」
「そうだとしても、臨時代理は、なぜその報告をグッドジョブ社から直接受けられたのですか? グッドジョブ社と何か特別な関係があるのですか?」
「たまたま、あそこの福神CEOと知り合いだったというだけですよ」
「たまたま、ですか?」
「とにかく、この事件は非国民が起こした反政府テロという、いたって単純な構図です。それが真相なんです」
疑惑を感じているらしい町田の右手を、岸辺はいきなりつかんだ。そしてその指先を強引に自分の口のあたりに持ってくると、下から上に舐めあげた。異様に赤く、長い舌だった。
「ひいっ」
町田は岸辺の手を振りほどき、右手を左手でかばいながら体のうしろへ隠した。
「何をするのっ」
岸辺は嬉しそうに舌なめずりをした。
「あなた、私のことを疑っていますね」
「いえ、そんな……」
「人が何を考えているか、指先の味でわかるんですよ、私は」
町田はあまりの生理的な嫌悪感に、吐き気を覚えた。その様子を見た岸辺は町田に顔を近づけ、低い声で脅した。
「あまり、このことに深入りしないほうがいいと忠告しておきましょう」
「どういう意味でしょう?」
「臨時代理とはいえ、非常事態宣言下の総理大臣の命令は絶対ですよ。警察も自衛隊も、そして民間企業も私の命令には従ってもらうことになります」
「従わないと、どうなるというのですか?」
「非国民プロジェクトを主導した槇島という役人は、確か行方不明になったそうですな」
町田の顔面は、岸辺が唇に浮かべる暗い笑みを見て、しだいにこわばっていった。もしかすると今回のテロ事件は、すべて岸辺が仕組んだことではないのか、という疑惑が頭から離れなくなった。町田は辞任を決意した。
マオはニュースの報道を聞いて、思わず麻利絵の顔を見た。繁之は数日前から行方不明、そして今度はイオが総理の暗殺犯として逮捕されたと報道されたのだ。麻利絵が受けたショックを思うと、心臓に鉄の棒を突きさされるような痛みを感じた。
「逮捕されたのは非国民の槇島イオ17歳で、国際テロ組織フュルフュールと接触して影響を受け、今回のテロ行為に参加したものと思われます」
テレビの画面には、高校生のときのイオの顔が、未成年であるにもかかわらず、モザイクもかけられずに大写しされていた。
「なお、フュルフュールの構成員と思われる非国民の男女は、銃撃戦の混乱のなかで逃亡し……」
麻利絵は表情を変えずにテレビに背を向け、キッチンに向かった。このところキッチンに立つことなどなかった母を不思議に思ったマオは胸騒ぎを感じ、あとを追った。
まな板に包丁が打ち付けられる音が、リズミカルに聞こえてきた。マオが麻利絵の肩越しに覗くと、彼女が大事にしているクマのぬいぐるみが、まな板の上でみじん切りになっていた。
「繁之さんが帰ってくるから、今日はごちそうよ」
楽しげに包丁を動かす麻利絵の肩を、マオはうしろからそっと抱いた。
「母さん……」
母の体温をこんなに間近に感じたのは、いつだったろうか。それは、記憶にないほど以前のことだったような気がした。
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