破滅の音




 それは、突然だった。

 それは、小さな音だった。

 それは、確かに聞こえた音だった。

 ぴしり、という、何かがひび割れたようなその音。

 その音を聞いた時、「僕」ははっきりと理解した。

 あいつらが……「僕」の友だちたちが「ガイチュウ」と呼ぶ存在が、「僕」の居場所を突き止め、いよいよ本格的に動き出したことを。

 もう随分と前から、「ガイチュウ」は「僕」の居場所を探していて、とうとう「ここ」を……「僕」が存在する場所を突き止めたようだ。

 こうしている間にも、「僕」の居場所を突き止めた「ガイチュウ」は、どんどん「僕」の居場所へと入り込んでくる。

 そして、入り込んだ「ガイチュウ」は「僕」を手当たり次第に「食べ」始めた。

 このままでは、遠からず「僕」の全てはやつらに奪われてしまうことだろう。

 まだ「僕」に力が残っているうちに、友だちたちにこのことを伝えないと。

 力がどんどん奪われつつある中、焦る気持ちを押し殺しながら「僕」は「僕」の「先端」へと意識を向けた。


◇  ◆  ◇  ◆


「へえ、そんなことになっていたんだ」

 俺のことをまじまじと見つめながら、呆れたようにそう言ったのは瑞樹である。

 今、俺たち──いつものように俺と香住ちゃん、そしてミレーニアさんは、瑞樹たちのいる世界、つまり「〈鬼〉のいる日本」を訪れていた。

 俺たちがいるのは、瑞樹の部屋。そこに俺たち三人と、この部屋の主である瑞樹、そしてこちらの世界のかすみちゃんの五人が集まっている。

 さすがに五人もいると、部屋がかなり手狭だね。元々それほど広い部屋でもないし。

 それはともかく、俺は瑞樹たちに店長から言われたことを話した。

 俺には異能があるけど、それを自分では使えないこと。その代わり、聖剣が俺の異能を制御していたこと。

 そして、異能を使いすぎると俺への負担が大きく、魔力の上限値が下がるであろうことなどをだ。

 その途中、かすみちゃんが何度もミレーニアさんのことをちらちらと見ていたな。もしかして、初めて見る異世界の王女様に興味があるのかな?

「しかし、そっちの世界の店長は凄いのね。こっちはただの小父さんだっていうのに」

「ホントですね。こっちの世界の店長も、魔法使いだったら良かったのになー。あ、ある意味でうちの店長って『魔法使い』かも」

 と、かすみちゃんが悪戯っ子のような笑みを浮かべる。

 どうやら、瑞樹たちがバイトするコンビニの店長は男性で、ごく普通の人っぽい。

 いや、かすみちゃんの言う「魔法使い」って……うん、これ以上突っ込むのは止めておこう。その店長さんが可哀そうすぎる。でも、こっちの店長さんの容姿がどことなく想像できてしまったぞ。不思議。

 まあウチの店長みたく、実は裏の世界では高名な魔術師でした、なんてことがあるかもしれないけど、そこまで瑞樹たちや俺たちでは分からんからね。

 それに、こっちの世界には魔術師とかいないのかもしれないし。もしも魔術師なんて人たちが存在するのであれば、〈鬼〉への対抗策もとっくに考案されていたのではなかろうか。

 〈鬼〉への対抗策と言えば、こっちの世界には「狩鬼の剣」とかいう伝承があるんだっけか。どうやっても倒すことのできない〈鬼〉を、唯一倒すことができる剣。そんな剣の伝説や伝承が、世界各地にあるとか言っていたな。

 魔術師たちがこの小世界にも存在するのであれば、そんな「狩鬼の剣」も見つけ出されていることだろう。そうじゃないってことは、やっぱりこっちの小世界には魔術師はいないのではないだろうか。

「ちょっと、かすみ? 店長にあまり酷いこと言わないの。まあ、かすみがそう言いたくなるのも分かるけど? あの店長、よく私のことをじーっと見つめているし」

「あ、瑞樹さんもですか? 私のこともよく見てますよ、店長。あれ、ちょっと怖いですよね」

「店長の私たちに対する態度があまりにも酷いようなら、上へ何らかの報告をしないといけないかもね。それより、かすみってばさっきからミレーニアさんのことばかり見ているけど、彼女に何かあるの?」

 と、俺が「狩鬼の剣」のことを考えていたら、瑞樹とかすみちゃんがそんなことを話していた。いや、女の子同士の会話って……うん、学校とかバイト中とか、俺も気をつけた方がいいかも。

 なお、ミレーニアさんのことは瑞樹とかすみちゃんには説明してある。この二人なら、ミレーニアさんのことを話しても問題ないし。

「い、いや、それがですね、瑞樹さん。実は私の高校に最近転入生が来まして、それがミレーニアさんそっくりなんですよ」

 え? こっちの小世界にもミレーニアさんがいるの? も、もしかして、そのミレーニアさんも異世界のお姫様だったり?

「と言っても、ミレーニアさんによく似たその転入生は男子で、フランスからの留学生なんですけどね」

 へえ、ミレーニアさんのそっくりさんは男性で、しかもフランス人なのか。

 ミレーニアさんそっくりの男性ってことは、もしかして彼女のお兄さんであるクゥトスさんみたいな人なのだろうか。クゥトスさんとミレーニアさんは、兄妹だとはっきりと分かるほどよく似ていたからな。

 それで、さっきからかすみちゃんはミレーニアさんのことを見ていたのか。うん、納得だ。

 こうして改めて考えると、俺たちの世界とこっちの世界では、いろいろと食い違うことがあるようだ。今度、改めてその辺りを擦り合わせてみるのも楽しいかもしれないぞ。

 と、その時だった。

 ぴしり、という音が聞こえたのは。



 ん? 何だ、今の音は?

 何かがひび割れたような音が聞こえたぞ? 窓ガラスでも割れたのか?

 そう思った俺は、道路に面した窓へと視線を向けたが、ガラスにひびが入っているような様子はない。

 考えてみれば、この部屋の窓は道路に面しているとはいえ、その道路からはちょっと距離がある。車が小石を跳ね上げたとしても、ひびが入るほどの勢いで窓に当たることはまずないだろう。

 じゃあ、さっきの音は一体何だ?

 俺が周囲をきょろきょろと見回していることが気になったのか、気づけば部屋にいた俺以外の全員が俺に注目していた。

「茂樹さん、どうかしましたか?」

「いや、さっき、何かがひび割れたような音がしなかった?」

「ひび割れたような音? そんな音、聞こえなかったわよ?」

 香住ちゃんの問いに答えれば、瑞樹がそんなことを言った。

 あれ、おかしいな? さっきの音、確かに聞こえたんだけどな。聞けば、ミレーニアさんもかすみちゃんも、それらしい音は聞こえなかったそうだ。

 うーん、どういうことなんだろう。香住ちゃんや瑞樹たちには聞こえず、俺だけに聞こえたって、意味分からんね。

 いや、何となくだけど想像できなくもない。これ、聖剣がらみじゃね?

 俺がそう思った時だった。突然、俺の脳裏に声なき声が響いたのは。


 シゲキ、気をつけて。やつらが動き出したよ。早く僕の所に──


 え? い、今のって聖剣の声だよね? これで三回目だけど、この声を間違えるはずがない。そもそも、「声ではない声」で話しかけてくるのは聖剣以外にありえないし。

 そして、聖剣が言う「やつら」が、「害虫」を示していることは明らかで。しかも今の声、途中で切れてしまったような感じだったぞ。

 俺は思わず立ち上がり、聖剣を抜き放って周囲を見回した。

 とりあえず、近くに「害虫」どもがいる気配はない。まあ、俺が探れる気配なんてたかが知れているけど。

「ど、どうしたの、茂樹? 突然立ち上がったかと思えば聖剣を抜いて……」

 瑞樹が目を見開いて俺を見ていた。いや、瑞樹だけじゃなく、この場にいる女の子たち全員がびっくりした顔で俺を見ている。

 今更だけど、この狭い部屋の中に男って俺だけじゃん。なにこれ、ハーレム?

 いやいや、そういう冗談は置いておいて。

「今、聖剣の声が聞こえたんだ。どうやら、『害虫』どもが動き出したらしい。みんなも警戒してくれ」

「え? 『害虫』が動き出したって……どういうことですか?」

「俺にもよく分からないけど、聖剣が嘘を言うはずがない。何か、重大なことが起きているっぽい」

 真剣な顔で問う香住ちゃんに、俺は彼女の方を見ることもなく周囲を警戒したまま告げた。

 そして、俺の言うことを理解してくれたのか、香住ちゃんとミレーニアさんも立ち上がって腰から剣を抜いた。見れば、二人の剣が聖剣に変わっている。どうやら、本当に深刻な状況のようだぞ。

 ただ、瑞樹とかすみちゃんはこの流れについて来られないようで、座ったまま目を白黒させるばかり。それも仕方がないよね。二人は俺たちのような経験はほとんどないわけだから。

 今は二人のことより周囲を警戒しよう。聖剣がわざわざ伝えてきた以上、相当なことだと思うからね。

「シゲキ様、とりあえず外へ出ませんか? 部屋の中で剣を振り回すわけにもいきませんし」

 ミレーニアさんの言う通りかも。少なくとも部屋の中に「害虫」はいないようだし、ここは一度外へ出てみるか?

 この小世界であれば、抜身の剣を持って外へ飛び出してもさほど問題にならなさそうだし。

 あ、いくらこの小世界でも、抜身はまずいかも。この小世界、剣はただ持っていればいいわけだし、その辺りのことを瑞樹に聞いてみよう。

「なあ、瑞樹。こっちの世界って──」

 と、俺がそこまで言った時。

 不意に、周囲の光景が一変した。


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