宣戦布告



 今、俺は一人で下宿先の部屋にいる。

 いやまあ、いつものことではあるけどね? それでも、最近はちょくちょく香住ちゃんが訪ねて来たりするし、意外と一人の時間も少なかったりするんだ。

 それに、ここ最近はずっと聖剣が一緒だったし。だから一人で部屋にいるのって、ある意味で久しぶりと言えるのかもしれない。

 今ごろ、店長や香住ちゃん、そしてミレーニアさんは何をやっているのだろうか。

 実はあの三人、今夜はお泊り会なのだ。もちろん、場所は店長の家である。

 元々、店長と香住ちゃんの家族は知り合いだったらしいので、香住ちゃんが店長の家に泊まるのは問題ないと思う。でも、店長と香住ちゃんの家族、一体どんな知り合いなんだろう?

 そして、こっちの世界では実質的に店長の家しか居場所のないミレーニアさん。そのミレーニアさんが店長の家に泊まるのは当然なわけで。

 なぜか、女性三人による女子会というかお泊り会というか、そういうものが開催される運びになったのだ。

 もちろん、男の俺が店長の家に泊まるわけにはいかないので、こうして一人寂しく夜を過ごしていますです。はい。

 ちなみに、このお泊り会の発起人は店長だ。店長がミレーニアさんと香住ちゃんに、共に一晩一緒に過ごし、親睦を深めたらどうかと言い出したのだ。

 どうして、店長がそんなことを突然言いだしたのかは……俺に分かるわけがない。

 まあ店長のことだから、何か考えがあってのことだとは思うのだが。

 しかし、ミレーニアさんがこっちの世界に来ちゃったのは驚いたね。まさか、転移の瞬間に抱き着くだけで一緒に転移しちゃうとは。

 まあ、店長が言うにはこれはとても危険らしいので、今後こういうことは絶対におこらないように気をつけよう。

 もう一つの日本にいる瑞樹とか、向こうのかすみちゃんとか、意外とミレーニアさんと同じことをしそうだし。あの二人は要注意だな。うん。

 彼女たち以外だと、こういう真似をしそうなのは……いないんじゃないかな? 多分だけど。

 本来なら、ミレーニアさんだってこういうことはしなさそうだけど、それだけ思いつめていたってことだろう。

 しかし……そんなミレーニアさんを、俺は事実上振ってしまったわけで。

 まさか、この俺が……これまで女性と恋愛的にあまり縁のなかったこの俺が、異世界のプリンセスを振ることになろうとは。ちょっと前までは思いもしなかったよね。

 明日以降、どんな顔して彼女に会えばいいのだろうか? 女性を振ったことなんて一度もない──振られたことならあるけど──から、全く分からないぞ。

 だからって、ミレーニアさんと会わないわけにもいかないんだよなぁ。

 どうしよ?



 そして、一夜明けて。

 昨日は土曜日だったので、当然今日は日曜日。まあ、今は夏休み中なので、毎日日曜日みたいなものだけど。

 朝食を済ませ、身だしなみを整えた俺は、覚悟を決めて店長の家に向かう。

 極力、自然に。できる限り、いままで通りに。俺はミレーニアさんにそう接すると決めた。夕べ遅くまで悩んでそう決めたのだ。

 もちろん、ミレーニアさんが俺と顔を合わせたくないというのであれば、それは仕方がない。でも、俺からは特に態度を変えることなく、これまで通り「友人」として接しようと決めたのだ。

 それが彼女に対して、失礼に当たるかどうかなど俺には分からない。これまで女性を振った経験がないので、判断する材料が全くないから。

 こんなことなら、トクミツにその辺りの心得を聞いておくべきだったかも。あいつ、これまで何人もの女性と付き合ったり別れたりしているから。俺の知り合いの中では、あいつがそっち方面の経験値が一番高いのだ。

 さすがに今からトクミツに電話して、「振った女性と顔を合わせる時、どういう態度で接したらいい?」と聞くわけにもいかない。

 そんなことをあれこれ考えつつ歩いていると、いつの間にか店長が住むマンションの前に。相変わらず、でかいマンションだよね、ここ。

 俺がここに来た理由は、もちろんミレーニアさんに会うためだ。昨日ここから帰る時に、ミレーニアさんをエスコートしてこの町を案内するように店長から仰せつかったのである。もちろん、俺とミレーニアさんの二人きりではなく、香住ちゃんも一緒である。

 何気に香住ちゃんも一緒の方が、空気がぎすぎすするような気がしなくもないが……店長の言うことなので、俺は従うしかないのだ。

 あ、いや、断ろうと思えば断ることはできるけどね? 俺と店長はバイトとその雇用者の関係だけど、店長が俺に対する絶対的な命令権を持っているわけでもないし、言うことを聞かなかったからといって、バイトをクビにするような横暴な人でもないし。

 ちなみに、店長は一緒に行かない。だって、店長はコンビニの仕事があるし、他にも俺の聖剣のメンテナンスがあるからね。

 さて、いよいよミレーニアさんと顔を合わせる時が来てしまった。

 俺は大きく深呼吸をすると、マンションに入ってすぐのエントランスのインターフォンで、店長が住む部屋のナンバーを押す。ややもすると、インターフォンの向こうから店長の声がした。

『おはよう、水野くん。時間ぴったりだね』

「おはようございます、店長。時間に正確なのは重要なことでしょう?」

『うん、違いないね。特に、社会に出てからは、時間には気をつけた方がいいことが多いからね』

 インターフォン越しに店長と軽口を言い合っていると、ちょっとだけ緊張がほぐれた。ひょっとして店長、俺が緊張していることを予想して、こんな軽口に付き合ってくれたのかもしれない。

 インターフォンが切れると同時に、エントランス奥のガラス扉のロックが外れ、自動的にその扉が開く。

 以前に来た時と同様、俺は廊下を歩いてエレベーターに乗る。そして、俺が乗ると同時にエレベーターは自動的に動き出す。

 うん、この前来た時もそうだった。このエレベーター、21階以上に上がるには特別なカードキーが必要なのだ。

 そのカードキーを持っていない俺は、店長が住むこのマンションの最上階──25階──に上がることはできないので、店長が自宅からエレベーターを遠隔操作してくれている。

 ほとんど振動を感じないエレベーターに乗り、店長が住む25階へ到着する。

 このエレベーターのドアが開けば、そこはもう店長が住む部屋だ。俺はドアが開くと同時に、「お邪魔します」という言葉を発しながら店長の部屋へと足を踏み入れる。

「おはようございます、シゲキ様!」

 と、満面の笑顔を浮かべ、元気一杯なミレーニアさんに出迎えられた。

 え、えっと…………あれ?

 正直、ミレーニアさんのこの反応は予想外だった。



 今のミレーニアさんは、昨日俺が貸した服ではなく、ちゃんとした女性用の衣服を着ていた。

 トップスはオフホワイトのニットベスト。肌の色が極めて白いミレーニアさんにはとてもよく似合っていると思う。

 そして、アンダーはと言えば、くるぶし近くまであるすとんとしたシルエットのグレーのロングスカート。真夏にロングスカートは暑くないのかとも思うが、柔らかな素材っぽいので風通しもよくて涼しいのだろう。

 それに、ミレーニアさん的には、足を出すことに抵抗があるのかもしれない。

 実際、ヨーロッパの方では女性が足を隠すのがエチケットだとされていた時代もあったそうだけど、アルファロ王国もそういう風習だったりするのかな?

 後……服に隠されて当然見えないが、下着とかどうしたんだろうね? もしかすると服は店長の物を借りているだけかもしれないけど、さすがに下着は貸し借りできないだろうし。

 いくらなんでも、ミレーニアさんや店長に「下着はどうしたんですか?」なんて聞けないので、この謎は永久に解けることはないだろう。うん。

 さすがに下着を着けていないってことはないよね。

 いやぁ、うん、分かっている。自分が現実逃避していることに。

 まさか、昨日の今日でミレーニアさんが笑顔で接してくるとは思ってもいなかったから、思わず現実逃避してしまったんだよ。

 ともかく、俺はミレーニアさんに案内されて、店長と香住ちゃんが待つリビングへ。

「改めておはよう、水野くん」

「おはようございます、茂樹さん」

 リビングでのんびりとお茶を飲んでいた店長と香住ちゃんが、俺に挨拶をしてくれる。俺も二人に挨拶をしてから、店長が勧めてくれるソファへと腰を下ろした。

 うん、相変わらず絶妙な座り心地のソファだ。

 相変わらずと言えば、店長は今日もTシャツにジーンズというラフなスタイル。

 そして、香住ちゃんは赤いTシャツに白のダメージ加工されたショートパンツ姿。よく見れば、ショートパンツの裾部分がフリンジになっているので、そこがポイントなのかもしれない。

 だが。

 だが、この時の俺は香住ちゃんを甘くみていた。

 俺の隣に座っている香住ちゃんが、何気なく店長の方を向いた時、それは俺の目に飛び込んできたのだ。

 香住ちゃんが着ているトップスは、ただのTシャツではなかったのだ! なぜなら、背中の部分が開いていて、紐状のものがクロスしているという何とも大人っぽく、それでいてオシャレなデザインだったのだ!

 ちらちらと垣間見える首筋の肌が、何とも色っぽく見えてしまうのは、やはり惚れた弱みというものかもしれない。

 背中が開いていると言っても、それほど大きなものではなく肩甲骨も見えないぐらい。でも、そのちょっとだけ見えるところが、逆に俺の目を引き付けて止まないのだよ。これが。

 なお、今日の香住ちゃんの服装は昨日とは違う。一度自分の家に戻り、着替えなどを持ってきたのだ。もちろん、一度帰る時は俺が家まで送っていったぞ。

 さて、それはともかくだ。

 俺は対面に腰を下ろしているミレーニアさんを改めて見る。

 にこにことした表情で、冷たい紅茶を飲んでいる彼女。その仕草は一国のお姫様だけあって、実に優雅なものだ。

 てっきり、もっとどんよりとした雰囲気になっていると思っていたのだが……これってどういうことなのだろうか?

 俺は助けを求める意味でも、隣に座っている香住ちゃんを見る。俺の視線に気づいた彼女は、困ったような苦笑を浮かべるばかり。

「シゲキ様」

 音を立てることもなく、紅茶の入った茶器をテーブルに戻すミレーニアさん。

「昨夜、マリカ様とカスミ様より、シゲキ様とカスミ様が実は夫婦ではないことを伺いました」

 え? そのこと、ミレーニアさんに話しちゃったの?

 そんな意味を込めた視線を向ければ、香住ちゃんが申しわけなさそうに肩をすぼめた。

「ごめんなさい、茂樹さん。話の流れでどうしても……」

 うーむ。どうやら、昨夜の内に店長を含めた女性三人で何らかの話があったみたいだ。で、その時に俺たちの本当の関係をミレーニアさんに話さざるを得なかった、ということなのだろう。

 それはまあ、仕方のないことだったのだろう。そもそも、夫婦だと嘘をついていたのは俺たちの方だし。

「シゲキ様たちの国が、複数の妻を娶ることができないことは、以前にカスミ様より聞いております。しかし、シゲキ様とカスミ様が夫婦でないのであれば──」

 にっこり、と。

 今まで見た中でも、一番いい笑顔をミレーニアさんは浮かべる。

「──わたくしが、シゲキ様の妻の座を射止める可能性はまだ残されているということですよね? たとえ、その可能性が限りなく低かろうとも」

 え、えっと……ミレーニアさん、何を言おうとしているんですか? い、いやまあ、何を言おうとしているのか、分からないほど俺は鈍くはないですよ?

 でも、ほら、ねえ?

「このミレーニア・タント・アルファロ、正々堂々とシゲキ様の妻の座を掴み取ってみせましょう。そのことを偉大なる国父、建国王陛下の名の下に宣言致します」

 と、ミレーニアさんはきっぱりと言ってのけた。



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