下水道の吸血鬼



 暗視ゴーグル越しに見える緑色の世界。その世界の片隅で、何かが蠢くのを俺の目は確かに捉えた。

 反射的に聖剣を構え、その「何か」が動いた方へと剣の切っ先を向ける。

 そんな俺の挙動を感じて、背中合わせだった香住ちゃんもまた、構えたSMGの銃口を俺の視線の先へと向けた。

 しかし、香住ちゃんは銃器を使うんだな。てっきり、彼女は俺と同じように剣を使うものとばかり思っていたけど。

 まあ、普通に考えれば剣より銃の方が強いしね。それに何より、遠距離から一方的に攻撃できるのは強みだ。相手が変異体であるなら尚更だろう。変異体が飛び道具を使うとは思えないし。あれ? でも、ヒューマノイドタイプ……元人間の変異体だったら、飛び道具を使えるのではなかろうか?

 それに、特殊能力として何か遠距離攻撃手段を持っている変異体だっているかもしれないし。

「シゲキ、どうしたの?」

 背後から、緊張した様子のセレナさんの声。その声に俺は、彼女の方を振り向くことなく答える。

「何かが動いたような気がしました。何が動いたのかまでは分かりませんが……」

「ちょっと待って」

 セレナさんがそう言いつつ、俺の横に並ぶ。そして、俺が見ている方向を凝視した。

「あれは……ブロブね」

 ふっと肩から力を抜きつつ、セレナさんがそう答えた。それに合わせて、彼女と同じように緊張した様子だった《銀の弾丸シルバーブリット》のメンバーたちも、ほっと安堵の息を吐き出す。

「ブロブ? それって、何ですか?」

 セレナさんとは反対側から、香住ちゃんが問いかけた。

「ブロブは、この下水道に故意に放たれている変異体よ」

 セレナさんが指で差し示した先には、子犬ほどの大きさの何かがいた。

 暗視ゴーグル越しなので正確な色は分からないが、それでもそれが何かは分かった。

「……スライム……?」

 うん、その気持ちよく分かるぞ、香住ちゃん。俺も同じことを思ったし。

 香住ちゃんの言うように、それはここがもしもファンタジー世界なら、間違いなくそう呼ばれていただろう生物だ。

 不定形のぶよぶよとした体。おそらくだが、あれはアメーバのような生物が変異したものなのだろう。

 セレナさんいわく、この変異体は下水道の掃除係として、人為的に放たれたものらしい。

「このブロブは見かけとは違って大人しく、生物に襲いかかることはないの。だから下水道の掃除係としては、最適な変異体ってわけ」

 なるほど、人間にとって有益な変異体もいるわけか。そういや、初めて《銀の弾丸》と出会った時も、食用の変異体を狩るために都市シティの外に出ていたんだっけ。

「とはいえ、あまり放っておくと必要以上に数が増えすぎたり、通常よりも大きな個体へと成長し過ぎたりすることもあるから、時々私たちのような傭兵に行政から間引きの依頼が来ることもあるわ。でも、基本的に行政が管理しているから、勝手に殺したりしてはいけない変異体なの」

 どうやら、このスライムみたいな変異体は、何らかの方法で行政がその存在をコントロールしているらしい。一体どうやってコントロールしているのか分からないが、そこはそれ、俺の知らない未来技術が使われているのだろう。きっと。

 そっか。この下水道に入ってから、あまり足元がねばねばしていないなと思っていたんだ。下水道っていうとやはり悪臭とかヘドロとかを連想するのに、悪臭はともかくヘドロは妙に少ないと思っていたら、このブロブが掃除してくれていたらしい。

 ありがとう、ブロブ。見かけによらず、なんとも頼りになる奴だね、君。



 その後、何体ものブロブと遭遇しつつ、俺たちは下水道を進んだ。しかし、いるのはブロブばかり。もちろん、小さなネズミとかもっと小さな昆虫らしき生き物とかもいたが、俺たちに気付くとすぐに逃げていった。

 しかし、一向に問題の変異体らしきものとは遭遇しない。まあ、これだけ広大な下水道の中から標的の変異体──おそらく一体から数体程度──を探し出そうというのだから、そう簡単に遭遇するわけがないのだ。ちょっと考えれば分かるね。うん。

 だからこそ、セレナさんたちは下水道の各ポイントにセンサーやカメラを設置し、標的の存在する場所や行動パターンなどを割り出そうとしているのだ。

「やっぱり、そう簡単に遭遇しないっスね、セレナ隊長。折角、今日は《サムライ・マスター》がいるってのに」

 暗い下水道の中に、マークのどこかのんびりとした声が響く。そして、マークのその声に追従するように、他のメンバーたちもあれこれと話をし始めた。

「ほらほら、緊張し続けるのもよくないけど、気を抜きすぎたらだめよ?」

 先頭を歩く俺のちょっと後ろから、セレナさんの注意が飛ぶ。でも、ここまで来るのにずっと緊張しっぱなしだったもんな。ちょっとぐらい、気を抜かないとやっていけないのも確かだ。

 だからだろう。セレナさんも注意はするものの、話をすること自体は止めなかった。でも、マーク。もう少し小声で話した方がいいんじゃないか? 標的におまえの声が聞こえたら、それが原因で逃げちゃう可能性だってあるんだぜ?

 ちらりと肩越しに背後を見やれば、香住ちゃんが苦笑していた。どうやら、俺と同じ考えらしい。

 そんな香住ちゃんにひょいと肩を竦めて応えながら、俺はマークを注意しようと振り返った。

 その途端、俺の身体が勝手に動き出す。

「な、な────っ!?」

 俺が何か言うより早く、勝手に動き出した俺の身体はずん、と鋭い踏み込みと同時に腰から聖剣を抜き放つ。聖剣が銀の弧を描くその軌道上には、ぽかんとした顔のマークの姿がある。

「し、シデ……っ!?」

 驚いたマークが俺の名を呼ぶより早く、俺は──勝手に動いている俺の身体は──聖剣を振り抜いていた。

 ひゅん、という空気を斬り裂く音に、ぐちゃっ、という湿った音が重なる。

 その場にいた全員の視線が集まる中、俺の手に何かを斬った感覚が伝わる。

 それはマークの身体……では、もちろんなく。

 彼の背後から音もなく忍び寄ろうとしていた黒い影。それを俺の聖剣は確かに斬り裂いていたのだ。



「う、うわあああああああああああああっ!?」

 下水道の中に、マークの情けない悲鳴が響き渡る。だが、他の香住ちゃんを含めた《銀の弾丸》のメンバーたちは、その悲鳴に全く気を逸らすこともなく、たった今俺が斬り裂いた「モノ」へと油断のない視線を向けていた。

 え、えっと……自分のことながらアレだけど……今、俺が斬ったのは一体何なんだ?

 ってか、それよりも今の聖剣先生は、非殺傷のスタンガンモードに設定しておいたはずだ。あれ? もしかして、設定を間違えちゃった?

 い、いや、今はそれどころじゃない。聖剣の設定に関しては、後で確認すればいいだけのことだ。それよりも、俺が……いや、聖剣が斬ったモノに集中だ。

 改めて、俺は聖剣が斬り、今は下水道の床でぴくぴくと蠢いているモノを見た。

 体長は一般的な猫より一回りか二回りぐらい小さいだろうか。だけど、それは決して猫じゃない。だって、猫には複眼なんて絶対にないはずだから。

 大きさ……というか長さこそ猫より小さいといったところだが、体重はこの謎生物の方がかなり軽いだろう。なぜなら、この謎生物の体はとても細いからだ。

 巨大な二つの複眼──実際には無数の目の集まりだから、「二つ」という表現は間違っているだろう──と細い体。そして、複眼と複眼の間から突き出した細長い針のようなもの……あ、あれって、もしかしてこうふんか?

 だが、その謎生物の最大の特徴は、細長い体から生えたトンボによく似た翅だろう。もっとも、その翅はトンボのように四枚ではなく、実にその倍の八枚もの翅があるけど。しかも、一枚一枚の翅が、その細長い体に比してかなり大きい。

 こ、この謎生物、も、もしかして……。

「め、メガモスキート……?」

 も、もすきーと? って、やっぱりこの謎生物、蚊の変異体か!

 本来、蚊という生物は草の汁などが主な食料であり、生きる上で必ずしも人間や他の生物の血を必要とはしない。蚊が血を吸うのは、産卵する時に卵の数を増やすためらしい。

 何でも、血を吸った場合と吸わない場合では、かなり産卵数に差が出るのだそうだ。生物にとって子孫を残すことは最大の本能の一つ。だから、蚊は子孫を残すために血を吸う。

 しかし、このメガモスキートは食料として他の生物の血を吸うとのこと。もちろん、その巨体に見合っただけの血を吸うので、下手に人間が吸われると失血死する場合もあるとか。

 更には八枚もの大きくて薄い翅を蝶のようにひらひらと動かして飛ぶため、あの蚊独特のブーンという羽音を立てないらしい。

 以上の理由から、暗がりに潜んだメガモスキートはとても恐ろしい暗殺者となる。今は暗視ゴーグルのせいで色までは分からないが、この変異体の体色は黒。それもまた、メガモスキートを発見しづらくさせる理由の一つだ。

「よく、メガモスキートの接近に気づいたな」

「さすがは《サムライ・マスター》だ」

「俺、シゲキが剣を抜くところ、全く見えなかったぜ」

 地面でぴくぴくと蠢くメガモスキートを囲みながら、《銀の弾丸》のメンバーたちがわいわいと言い合う。

 そんな中、マークが笑顔を浮かべて近づいてきた。

「シデキ! またおまえに助けられたな! 最初はおまえに斬られるんじゃないかとびっくりしたぜ!」

 うん、俺も聖剣がおまえを斬るんじゃないかって思ったよ。秘密だけど。

「ま、まあ、無事で何よりだ」

「おう! いつか、この借りは返すからな! まあ、いつになるか全く分からないけどさ!」



 と、俺とマークが暢気に会話していると。

「まさか、この下水道に〈ブラム・ストーカー〉がいるなんて……そんな話、聞いていないわよ……」

 セレナさんがそんなことをぶつぶつと呟いていた。

「〈ブラム・ストーカー〉って何ですか?」

「このメガモスキートの異名というか通称よ。吸血鬼ストーリーの元祖と言ってもいい物語の作者名と、こっそりと忍び寄る『ストーカー』をかけてそう呼ばれているの」

 香住ちゃんの質問に、セレナさんが答えてくれた。

 ああ、そういや「ストーカー」って本来、「忍び寄る者」って意味だもんな。今の日本だと「ストーカー」というと、何となく「変質者」ってイメージが強いけど実は違うんだよな。

 で、この蚊の変異体の異名が〈ブラム・ストーカー〉。暗がりからこっそりと忍び寄り、哀れな犠牲者が死ぬまで血を吸う吸血鬼。うん、言い得て妙だ。

「とにかく、このことは報告する必要があるわね。誰か地上の部隊に連絡を──」

 セレナがそこまで言った時だ。

 再び、俺の身体が勝手に動き出したのは。

 一度鞘に収めた聖剣を再び抜き放ち、俺は下水道の床を蹴る。

 俺の身体が目指すのは、セレナさんの背後。そこに、先程と同じ巨大な吸血鬼の姿があった。

「────っ!!」

 誰かが声を発するより早く、俺……じゃない、聖剣が再び巨大な吸血生物を両断する。

「お、おい……っ!!」

 背後から誰かの声が聞こえ、反射的にそちらへ振り向けば。

 俺たちが進む下水道の前方から、十体以上の〈ブラム・ストーカー〉が接近してくるのが暗視ゴーグルの中に映っていた。



 下水道の中に、激しい銃声が何度も何度も木霊した。

 暗闇の中でSMGのマズルファイアが煌めき、その輝きに照らされた中で巨大な変異体が体中に穴を空けられて地に墜ちていく。

 セレナさん以下銀の弾丸のメンバーたちは、香住ちゃんと同じようにSMGを使用している。限定空間である下水道の中では、長物のライフルよりも使い勝手がいいからだ。

 ぱぱぱぱぱっ、という乾いた連続音と同時に、《銀の弾丸》のメンバーたちの手元が何度も輝く。

 ちなみに、俺と香住ちゃんは後方で待機。俺が前に飛び出すと、《銀の弾丸》のメンバーたちがSMGを撃つことができないからね。

 他のメンバーたちの先頭に立ってSMGを撃ち放っていたセレナさんが、後ろを振り返ることなく指示を飛ばす。

「総員、対閃光機能をオンにして! カスミっ!!」

 細かい指示を聞くまでもなく、セレナさんの声に応じた香住ちゃんがフラッシュグレネードをメガモスキートの群れへと投げ込んだ。

 香住ちゃんが投げたグレネードが、弧を描いてセレナさんたちの頭上を越えていく。

 そして数秒後に、鋭い光が漆黒の下水道の中を駆け抜けた。

 黒が白によって駆逐されるものの、すぐに白は消え去ってしまう。だが、その効果は抜群で、閃光に幻惑された蚊トンボどもが、ふらふらと空中をよろめくように飛び回っていた。中には床に落ちて蠢いているのもいる。

「今よ! 総員、一斉射撃!」

 再び飛んだセレナさんの命令に応えた団員たちが、SMGをフルオートでぶっ放す。

 動きの鈍ったメガモスキートどもは、この一斉射を受けて瞬く間に駆除された。

「ふぅ……これだけ大量の〈ブラム・ストーカー〉が、都市シティの地下にいるなんて……」

「もしかして、例の人型の変異体と何か関係があるんですかね?」

「現時点では分からないけど……何らかの関係があると思った方がいいかもしれな──」

 突然、セレナさんの言葉が途切れた。

 そのことに、この場にいる全員が彼女の方へと視線を向ける。

 そして。

 皆の視線を受けたセレナさんが、まるで糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。

 その首筋から、大量の血を噴き出しつつ。


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