第百二十幕 ~思い悩む少女~ 其の弐
「二人してどうしたの?」
「夜分遅くにすみません。少々お話があるのですが……お邪魔してもよろしいですか?」
「うん。別にいいけど……」
なんとなく歯切れが悪いクラウディアと探るような視線を向けてくるアシュトンの二人を、オリビアは部屋に招き入れて扉を閉める。
部屋の中央に置かれているソファーに座るよう促し、自らもテーブルを挟んだ形で腰を下ろした。
「なにか飲む?」
「そうですね。ではなにか温かいものをいただいてもよろしいですか? 大分冷えてきましたので」
クラウディアは窓の外へちらりと視線を向けて言う。考え事をしていたオリビアはまったく気づいていなかったが、いつの間にか外は雨が降り出していた。
「アシュトンはどうする?」
「そうだな……僕も温かいものを貰おうかな」
「わかった」
オリビアは早速テーブルの呼び鈴を手に取って鳴らすと、ノック音と共にメイドが現れた。本人が宣言した通り、廊下で待機していたようだ。
本当にご苦労なことだと思う。
「オリビア様、お呼びでしょうか?」
「三人分のお茶を用意してくれる?」
「紅茶などでよろしいですか?」
確認の意味でクラウディアとアシュトンに視線を移すオリビアへ、二人はそれぞれ頷いて同意を示す。
「紅茶でいいみたい」
「かしこまりました。すぐにご用意いたしますのでお待ちください」
部屋を出ていくメイドを見送ったオリビアは、再び二人に話しかけた。
「なにかあったの?」
「……その言葉をそっくりそのままお返しします。──閣下、ソフィティーア様からなにを言われたのですか?」
「え? どうしてわかったの?」
クラウディアの言葉に、オリビアは単純に驚いた。少なくともみんなの前では普通にしていたつもりだったからだ。
「それなりに長い付き合いなんだ。クラウディア中佐に言わせると僕は鈍感らしいけど、それでもオリビアの様子がおかしいことくらいはわかるつもりだ」
アシュトンがそう言った隣で、クラウディアが苦笑しながら頷く。最初の驚きは次第に薄れ、代わりに嬉しい気持ちが溢れてきた。
なぜかはわからないけど、とにかくオリビアは嬉しかったのだ。
「……なんだか機嫌が良さそうだな」
「うん、いいよ」
「相変わらず変な奴だな……」
アシュトンが眉を寄せる横で、クラウディアは咳払いをひとつした。
「閣下、それでなにを言われたのですか?」
「それは……」
「私たちにも言えないことですか?」
「うーん……」
オリビアは二人に話すべきか一瞬迷ったが、聖翔軍に誘われていること。そして、その見返りとしてゼットの行方を捜す手伝いをしてくれることを打ち明けた。
二人は驚きつつも、最後まで黙って話を聞いていた──。
△▼△
「驚いた?」
「そうですね。最初から彼女に魂胆があることはわかっていましたが、それでも予想外であったことは確かです」
「聖翔軍への勧誘か……。なるほど、オリビアの武勇を考えれば当然あり得る話だ。ふふっ。ふふふっ」
アシュトンは自嘲気味に笑った。最近は天才軍師だなんだと持ち上げられているが、ソフィティーアの思惑ひとつ見抜くことはできなかった。
これが笑わずにいられるかと、アシュトンは自分自身を罵った。
「──それで閣下はその……どうなさるつもりですか?」
クラウディアはオリビアを見ることなく、代わりに手にしたカップに視線を落としながら尋ねる。オリビアが育ての親であるゼットを慕っていることはアシュトンはもちろん、クラウディアだって知っている。ゼットを探し出すために王国軍に志願したことも大分昔に教えてもらった。
それだけに今のクラウディアは直接オリビアの目を見て尋ねることが怖かったのだろうとアシュトンは推察する。なぜなら自分も全く同じ気持ちだからだ。
しばらく無言の状態が続いたオリビアは、やがて困ったように微笑む。すでに聖翔軍に入ることを決めてしまったのか、今の微笑から判断するのは難しかった。
(まさかこんな形で攻めてくるとは思ってもみなかった……)
ソフィティーアがオリビアをなんらかの形で害するようであれば、たとえ相手が一国の統べる人間であろうと、アシュトンは断固立ち向かうつもりでいた。
(だけど実際は違った)
聖翔軍に取り込むためとはいえ、ソフィティーアはオリビアの手助けを申し出てきたのだ。アシュトン最大の誤算はオリビアのゼットに対する思いの深さを見誤っていたこと。そして、ソフィティーアはオリビアの思いを軽視しなかった。
結果として、オリビアは王国軍を──アシュトンの下から去ろうとしている。
(僕はとんだ大馬鹿だ)
いつもオリビアは自分のそばにいて、これからも変わることはないと思っていた。そんなものは単なる幻想に過ぎないのに。
アシュトンが声をかけられずに黙っていると、クラウディアが張りつめた顔でオリビアに深々と頭を下げた。
「閣下の思いがそこまで深いものだと気づきませんでした。副官として失格です」
どうやらクラウディアもアシュトンと同じ思いに至ったらしい。そのままうな垂れるクラウディアを見たオリビアは、動揺した様子でクラウディアに声をかける。
「ゼットのことは私の問題だし、別にクラウディアが気にすることじゃないよ」
「しかしこれだけ王国軍に貢献してきた閣下です。たとえ私的だとしても、人探しのために軍の諜報部隊を動かすこともできたはず。なのに、私は規律ばかり重んじて……」
言葉を詰まらせたクラウディアの瞳が微かに潤む。こんなにも弱々しいクラウディアの姿を目の当たりにしたアシュトンは面食らったが、それ以上に劇的な反応を示したのはオリビアだった。口をあわあわとさせながら懐から桃色のハンカチを取り出すと、クラウディアの目に急いであてがった。
「すみません……」
「ぜ、全然大丈夫だから!」
オリビアは素っ頓狂な声を上げてクラウディアの背中を必死に擦っている。クラウディアが落ち着きを取り戻したのを見計らって、アシュトンは聞いてみた。
「今からでも掛け合うことはできないのですか?」
クラウディアは力なく首を横に振った。
「反攻作戦も近い。今は国を挙げて人間が動いている……」
「つまり難しいということですか? ですがコルネリアス元帥閣下やパウル上級大将に事情を説明すればきっと力を貸してくれるのではないでしょうか?」
オリビアひとりの活躍で戦争の勝敗が決まったりしないが、オリビアがいたからこそ王国軍はここまで劣勢を覆すことができた、そうアシュトンは思っている。オリビアのことを可愛がっているパウルが知れば、間違いなく黙っていないだろう。
「さっきも言ったが国を挙げて人間が動いている。それは諜報部隊だって例外ではない」
「でも──」
「それにアシュトンも聞いているはずだ。神国メキアには〝梟〟という諜報部隊がいることを。聞けばあの陽炎を圧倒するほど情報収集に長けているという話だ」
そのままクラウディアは押し黙った。そのことがたとえ助力を得たとしても、王国軍の諜報部隊では歯が立たないことを雄弁に物語っている。つまり現状オリビアを止める手立てがないということだ。
天井まで届きそうな床置きの柱時計がそろそろ天頂の刻を指そうとしている。
確かめることが怖いと思いながらも、それでも聞かねば前に進めないと思い、アシュトンはオリビアを真っ直ぐ見つめて禁断の言葉を口にした。
「オリビアは聖翔軍に行くつもりか?」
声を震わせて尋ねるにアシュトンに、たっぷり間を取ったオリビアは、所在なさげに髪を弄りながら言う。
「まだ迷っている。ゼットのことは大事だけど……」
オリビアの唇が動きを止めた。静まり返る部屋に、カチコチと音を立てる柱時計がやたら耳に響いてくる。クラウディアが真剣に耳を傾ける隣で、アシュトンが辛抱強く続きの言葉を待っていると、オリビアの唇が再び時を刻み始めた。
「──でも私はアシュトンのことも大事」
「え……?」
思ってもみなかったオリビアの告白に心臓が飛び跳ね、そして、次第に鼓動が早鐘を打つのをアシュトンは感じていた。
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