第九十幕 ~決意~

 レティシア城にて戦勝の宴が催されてから二日後。雲ひとつない青空の下、オリビア、クラウディア、そしてアシュトンの三人は、王立図書館に向かって中央通りを歩いていた。道の両端には様々な露店がずらりと並び、威勢の良い掛け声が飛び交っている。勝利の熱、今だ冷めずといった感じだ。

 商家の息子であるアシュトンとしても、カッカと熱気溢れるこの雰囲気が嫌いではない。久しく会っていない両親のことを思い出していると。


「お城で食べたケーキとご馳走、とっても美味しかったなー。また食べられるかなー。食べたいなー」


 主に食べ物の店を覗き込みながら、オリビアが鼻歌を歌い始める。時折頬を撫でる優しい風が、陽光を浴びて煌めく銀髪をたおやかに揺らしていた。


「また食べたいなーって、まだ食い足りないのか? 散々食べたんだろ?」


 呆れ果てたアシュトンの様子を見て、オリビアは大きな目を何度もパチパチとさせて声を上げる。


「アシュトン知らないの? 人間、美味しいものはいくらでも食べられるんだよ」

「いやいや、それは間違いなくオリビアだけだろ。いくら美味しくても普通限界はあるから。クラウディア中尉も大分呆れていたぞ──ですよね?」


 アシュトンは隣を歩くクラウディアに同意を求めた。宴の席で披露したオリビアの健啖ぶりには皆引いていたらしい。最後は残った料理をお持ち帰りまでしようとしたオリビアを、クラウディアが体を張って止めさせたと聞いている。

 やつれた表情で『顔から火が出るとはまさにあのことを言うのだな』と語っていたのが印象的だった。


「ああ、少佐の細い体にあれだけの量の食い物が入るなどと未だに信じられん。それなのに体型は全く変わらないときている。実に羨ましい限りだ」


 クラウディアはオリビアをチラリと見て、張り付けたような笑みを浮かべた。よく見ると、彼女の左手は常にお腹のあたりをさすっている。

 その仕草と今の発言で、アシュトンはピンときた。


「もしかしてクラウディア中尉は太ったことを気にしているのですか? 大丈夫ですよ。今でも十分細いですし、少しも魅力が削がれていませんから」


 本人は知らないだろうが、兵士たちの間でクラウディアの人気はかなり高い。切れ長の瞳にスッとした鼻梁と端麗な口元。誰もが認める美人であることはもちろんのこと、平民とも分け隔てなく接する態度がさらに拍車をかけている。人気が出るのも当然と言えば当然だ。多少太ったくらいでは微塵の影響もでないだろう。

 アシュトンとしても純粋な気持ちから出た言葉だったのだが──


「──アシュトン・ゼーネフィルダ―」


 突然フルネームで呼ばれる。それは心穏やかでない証。おまけに氷の微笑付きだ。また口が滑ったと思ったときにはすでに遅し。クラウディアの右手がスッと伸びてきたかと思うと、アシュトンの耳を思い切り引っ張り上げた。


「いたたたっ! クラウディア中尉! 痛いっ! 痛いですってば! 耳を引っ張るのは止めてください!」


 大声でアシュトンが叫んでいると、通りすがりの女性が「兄弟かしら?」「仲がいいわねぇ」などと言って、クスクスと笑っている。クラウディアはコホンとひとつ咳払いし、アシュトンの耳から手を離した。


「はぁ。君って男はどうしてそう余計なことを口にするのだ。私だって一応女だ。そうストレートな物言いをされたらさすがに傷つく。そんなことでは好きな女ができてもすぐに振られてしまうぞ」


 その言葉に、心臓がトクンと跳ねる。慌ててオリビアの姿を探すと、なぜか二人から距離をとる形で後ろを歩いていた。しかも、こちらを警戒するような目を向けている。


(一体何を警戒しているんだ? ──ま、考えても仕方ないか。オリビアの奇行は今に始まったことではないし。とりあえず余計な話を聴かれなくてよかった)


 内心でホッとしながらクラウディアに視線を戻す。


「すみません。そういうつもりではなかったのですが」

「つもりがあろうとなかろうと、もう少し言動に気を付けたまえ。とくに女性の容姿に関しては細心の注意を払うように」

「はい。以後、気をつけます」


 アシュトンは頭を下げて謝罪した。


「ん、よろしい」


 クラウディアは微笑むと、しゅんとしているアシュトンの頭を乱暴に撫でてくる。そうされると本当に弟になったような気分になるから不思議だ。


(そうは言ってもクラウディア中尉が本当に姉さんだったと考えると……それはそれで結構厳しいよなぁ。事あるごとに説教されそうだし。クラウディア中尉をお嫁さんにする人は、きっと尻に敷かれること間違いなしだな)


 心の中で失礼なことを呟きつつ、ふと空を見上げたアシュトンの目に、ピーッと抜けるような音を発しながら大空を舞う鳥が映った。この独特な鳴き声を発する鳥は〝冥春鳥〟と呼ばれ、王国では春を告げる渡り鳥として広く知られている。農耕を営む者は冥春鳥の鳴き声を合図に種まきを始めるらしい。


「──もう春なんですね」

「ん? ──ああ、そうだな。ありとあらゆる生命が躍動する季節だ」


 クラウディアも空を見上げると、どこか感慨深げに口を開く。


「知ってる? 春になると美味しい獲物がたくさん獲れるんだよ。大黒蜥蜴にジャイアントグリズリー。まだら猪に吸血鳥。それとそれと──」


 いつの間にか隣を歩いていたオリビアが、弓を構える仕草をしながら話しかけてきた。ちなみにオリビアが名前を上げた獣や鳥は、全て危険害獣種に指定されている。その中でも第二種。人の生命を脅かすものたちばかりだ。普通の者なら出会った瞬間逃げ出すことに何の疑いもない。

 いちいち突っ込むのも面倒なので、アシュトンはあえて流した。


「オリビアは本当にブレないな」

「エヘヘ。そこが私のいいところだから!」


 再び鼻歌を歌い始めたオリビアは、大手を振って先頭を歩き始めた。




 

 灰鴉亭を出発してから約一時間。豪華な屋敷がズラリと立ち並ぶのを横目に進んでいくと、大通りを挟んだ向かいに王立図書館が見えてきた。早速オリビアは詰所に駆け寄り、騎士の襟章を見せつける。


「ね、入ってもいいかな?」

「これはこれはオリビア少佐。もちろんです。オリビア小佐に閉ざす扉などあろうはずがありません」


 そう言って文官は勢いよく起立敬礼をすると、そばにいる部下に指示を飛ばす。


「何をぼさっとしてる。さっさとオリビア少佐を入口までご案内しないか!」

「は、はっ!」

「もう四回も来ているから案内はいらないよ?」


 オリビアの言葉に、男は即座に首を横に振る。


「そうはまいりません。ささ、どうぞこちらへ」


 腰を低くしながら前を歩く男の様子に、アシュトンは首を傾げた。初日を覗く三日間通ったが、今のような対応は一度も見たことがなかったからだ。隣に目を向けると、肩をすくめて苦笑いを浮かべているクラウディア。どうやら理由がわかっているらしい。


「どういうことですか?」


 疑問を投げかけると、クラウディアは不思議そうな表情で見つめてきた。


「意外とアシュトンも鈍いのだな。中央戦線における少佐の武勇が、あの者たちの耳にも届いているということだ」

「ああ、そういうことですか」


 敵の将軍をことごとく討ち取り、壊滅寸前だった第二軍を救ったオリビア。その話が伝わっているのなら、文官たちの態度も納得できる。


「あれはやや露骨だが、軍隊とは多かれ少なかれそういうものだ。特に戦争状態の今はな」

「確かにオリビアの武勲はちょっと抜けていますからね」


 昇進の話もちらほらと聞こえてくる。オリビアの昇進は間違いないだろうと思っていると。


「まるで他人事のように言ってるが、アシュトンも少佐と同じように手厚く遇されるかもしれないぞ?」


 クラウディアが真面目な顔で言う。


「僕がですか? まさか」


 鼻で笑うアシュトンに、クラウディアは呆れた表情を見せ始める。


「何を呑気に笑っているんだ。君の軍師としての才幹を上層部は高く評価している。前にも言ったと思うが、自分自身の功績をしっかりと認識したまえ」

「またまたぁ。クラウディア中尉の冗談はイマイチですね」

「…………」

「……冗談ですよね?」

「はああぁ」


 あからさまに溜息を吐かれ当惑していると、クラウディアは子供を諭すような物言いで語りかけてきた。


「いいか、良く聞け。キール要塞が陥落してからというもの、王国軍は連戦連敗。喉元に刃を突きつけられているも同然だった。ここまではいいか?」

「は、はい」


 アシュトンはぎこちなく頷く。


「ところが少佐と君が現れてから状況は一変した。南部と北部の帝国軍を退け、今また中央戦線の敵を排除した。それでも帝国軍の有利は揺るがないだろうが、一年前と比べたら劇的な変化だ」

「それはわかりますが、そのほとんどはオリビアの功績です」


 確かにそれなりの功績を上げたことは自認している。だからといってオリビアと同列に語られるのを良しとするほど、自分は厚顔無恥ではない。


「君の功績でもある。無論、他の者たちの頑張りもあったればこそだ。だが、二人の力が核となっているのもまた揺るぎようのない事実なのだ。だからこそ上層部も君の力を高く評価している。少佐に至っては言うまでもないだろう」


 急にズシリと肩が重くなるのをアシュトンは感じていた。それはまるで王国の未来を背負わされたような錯覚を覚えたからに他ならない。両親が今の話を聞いたら、きっと卒倒してしまうだろう。一年半前はただの学生だったのだから。


「──正直言うときついですね。僕には到底荷が重すぎる話です」

「すまない。プレッシャーをかけるつもりはなかった。だが、私もそばにいる。君に危険が迫ったとしても、守ってやれるだけの力は持っているつもりだ」


 そう言って、クラウディアは腰の剣を軽く叩いて見せた。その言葉には優しさと力強さが込められており、弱音を吐いた自分が急に情けなくなった。いつ終わるともしれない動乱に、彼女とて不安はあるだろう。にもかかわらず、守ると言ってくれたのだ。男としてここで立ち止まるわけにはいかない。


「……今後ともご指導のほどよろしくお願いします。それと、お説教はほどほどにお願いします」

「ふっ。そういうところが余計だと言うのだ」


 クラウディアはアシュトンの額を軽く指で小突くと、そのまま手を差し伸べてくる。


「だがまぁ、こちらこそよろしく頼む」


 お互い二度目となる固い握手を交わしていると、前方から鈴の音のような声が響いてきた。


「アシュトンもクラウディアも何しているのー? 早く行こうよー」


 見るとオリビアが笑顔で手を振っている。アシュトンとクラウディアはお互い顔を見合わせ、意味もなく笑い合った。

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